#2 隠された転生者

第八話:異世界転移したけど殺人事件の被害者だった


 高校生くらいの少年が道端に倒れていた。着ているものはラフなランニングウェアで、ミディアムボブの髪がそよ風に揺られて震えていた。彼は死んでいない。小さな寝息にも似た呼吸が背中を浮かせていた。


 ガン!


 どこかから物が落ちて、大きな音を立てた。それでランニングウェアの少年は目を覚まして、体を起こした。

 そして、見たこともない場所にいることに気づくも彼の表情はぱあっと明るくなった。


「これって、異世界転移だな!?」


 少年の頭は裏庭お花畑であった。

 つまり、学校ではコミュニケーション強者たちとウェイの輪に入り、学業部活を両立した完璧イケメンだが、家に帰れば小説投稿サイト「小説化になるぅ」に入り浸り、異世界転生ものを読んでは現実で満たされない欲望を満たすという人間的な人物だった。

 それゆえ、少年は普通の人間であれば危機感を覚えるようなところを喜んだのであった。


「あ、そこに居る人、すみません!」


 少年が呼びかけたのは道の先で彼を見る黒いローブ姿の人影であった。その容姿を少しは不気味だと感じたが、こういう異世界転生の典型において初っ端に出会うのは美少女ヒロインだと相場が決まっていると信じていた。

 最初出会ったときに敵対的だったとしても、戦って勝利すればすぐに媚びるようになる。それに主人公である自分が負ける可能性は万一にも無いと思っていた。

 だが、ローブの人物は微動だにせず棒立ちになっていた。フードに隠れた顔の表情をうかがい知ることは出来ない。


「あの、えーっと、言葉通じない感じ?」


 少年は声を掛けながら、ローブへと近づいていく。目と鼻の先にまで来たところで、ローブの頭が少し動いた。

 やっぱり聞こえていたんだ――と思うのもつかの間、その瞬間少年は胸に違和感を覚えた。下に視線をやると、違和感の正体が理解できた。

 ローブの腕が、胸まで届き、その先に紅く濡れた刃が陽光を反射して――少年が感じ取ることが出来たのはそこまでであった。それ以降は強烈な痛みと冷たさに全ての感覚が洗い流されていく。

 再び少年は道端に倒れ込むことになった。今度は血を地面に垂れ流しながら。痛みにもがきながら、意識は薄れていく。


 ローブ姿の人影は袖で刃物の血を綺麗に拭き取り、懐に戻した。


「結局、使えない人間だったな」


 そういって、彼は冷やかな視線を路上の死体に向けた。そして、死体を残して、その場を静かに去って行ったのであった。

 それは昼下がりの街の裏での出来事だった。


* * *


「シュヴェーカさん、その格好は……」


 FMF本部の一室、ヤエヤマ班室に出勤してきたシュヴェーカの姿をセプトは驚きの目で見つめていた。彼女は青色の軍装で職場に来ていたのである。それはパンツスタイルのきっちりとした憲兵士官の制式軍服だった。


「ラムノイちゃんがあんな服着てくるから、服飾規定調べてみたんだけど結構自由なのよ? だから、この服着てきちゃった!」

「しかし、なんでいきなり?」

「スーツだとなんだか新卒の頃を思い出しちゃってね。気合が入らないのよ」

「なんだか、アレ……いや、やめておきます」

「何を言おうとしたのか分かってるわよ~SMのSの方みたいって思ったんでしょー??」


 セプトは顔を歪ませながら、首を横に振った。


「良いわよ、セプト君となら」

「僕は良くないんですけ――」

「お姉さんと一緒にプレイし・ま・しょ?」

「うわぁっ!?」


 飛び込んできたシュヴェーカを間一髪でセプトは避ける。シュヴェーカはといえば、飛び込み前転の要領でカーペットの床をゴロゴロと転がって、すくっと何事もなかったかのように起き上がった。


「何するんですか!?」

「チッ、大人しく大人になりなさいよ」

「もう成人してますよ!!」

「大人じゃなくてオトナになるのよ」

「意味分かんないです!!!!」


 床の上で手と足を付きながら、後ずさるセプトにシュヴェーカは迫っていく。その様相はまるで獲物を追いかける野獣のようであった。

 壁まで追い詰められたセプトはもう逃げられないと確信した。ガクガク震えながら、逃げ道を探そうとするが相手は軍属の人間である。ただでは逃してもらえないだろう。考えているうちにシュヴェーカはセプトに手を伸ばしていた。その手が触れようとした瞬間、部屋のドアが勢いよく開いた。


「何やってんだ?」

「ああ、ヤエヤマさん、今セプト君にクモ歩きを教えてたのよ」

「クモ……歩き……?」

「ええ、我々憲兵捜査局に代々伝わる健康法の一つで――」

「なんかそれっぽく言ってるけどウソでしょ」


 バッサリ言ってのけたクールなボイスはパーカー少女、もといラムノイのものであった。彼女はヤエヤマの後ろに音もなく現れていた。

 ヤエヤマは彼女のいきなりの登場に驚きながらも腕を組んでチームのメンバーを見渡した。


「クモ歩きだかなんだか知らんが、後にしろ」

「……事件ですか?」


 セプトの質問にヤエヤマは頷きを返す。


「リーネ・ヴェ・キーネで身元不明の刺殺死体が発見された。出動だ、準備しろ!!」


 ヤエヤマの号令に三人は息を合わせたように「了解!」と返し、各々デスクから拳銃と捜査官身分証を取り出して出動の準備を始めた。


* * *


 現場は閑静な住宅街の一角だった。張り巡らされた規制線の前には既に野次馬の人だかりが生まれている。ヤエヤマ達は到着して早速それを掻き分けて進むという重労働をすることになった。

 規制線をくぐると、ヤエヤマは汗もかいてないのに本能的動作で額をぬぐった。


「まったく。野次馬ってのは捜査官の邪魔以外の何者でもないな」

「そうでもないで」


 ヤエヤマのボヤキに答えたのは小柄な体躯で灰色の薄毛の白衣の男――検視官キヤスカであった。ヤエヤマは彼の姿を認めると、すぐに歩み寄った。彼の目の前には被害者とおぼしき遺体が地面に突っ伏して横たわっていた。


「寂れた犯罪現場に華を添えてくれる。せやろ?」

「そんな綺麗なもんじゃないだろ」


 キヤスカは残念そうに首を振る。


「はあ、この感性が分からんとはお前もまだまだルーキーやな」

「分かりたくもないさ。先生、分かったことは?」

「死亡時刻は昨日の14時頃、まだ解剖してないから、推測やけど死因は腹部刺創が下行大動脈に到達したことによる出血性ショック死やろな」

「下行大動脈? きな臭いな……」

「それに気づくとはさすが手練の捜査官だけあるなぁ。ま、分かってるやろけどプロの手口っちゅうやつや」


 ヤエヤマは驚いていた。

 下行大動脈は腹部下部にある大動脈であるが、そこに到達するには正確な位置に125mm程の創を作る必要がある。その代わりに意識を失うまでは早いため、仲間の始末に特別なこだわりを持つマフィアはこの殺し方を好む傾向があった。


「ま、多分偶然だと思うけどねぇ」


 そう言ってヤエヤマの横に並んだのはアライスだった。日光の下ではそのホストじみた風貌が強調されて見えた。


「アライス、また邪魔しに来たのか?」

「ヤダなあ、ボクは君達に構ってほしいほど暇じゃないんだよ?」

「じゃあ、なんで情報特務局ファーフィスの人間がここに居る」

「身元不明の遺体は時々国家の敵だったりするからね。とりあえず見に来たけど、この様子だと浮浪者が強盗に刺されただけでしょ。この事件は君達に譲るよ」


 アライスは手を振りながら、現場を去ってゆく。その背中をヤエヤマはなんとも言えない表情で見つめていた。


「なんやあいつ、イヤミったらしい奴やな」

「ああいうのは放置するのが一番」


 ラムノイがいつも通りのアンニュイな視線をキヤスカに向ける。


「良いねえ、お嬢さんのその視線。ゾクゾクするよぉ」


 興奮しているキヤスカを前にして、ヤエヤマは呆れ返ってため息を付いた。


* * * 


 一行は一通り現場での情報収集を終え、本部に戻ってきていた。集められた資料はホワイトボードに磁石で貼り付けられ、関係性を示す矢印がマーカーで付け加えられていた。

 セプトが資料を片手にホワイトボードの前に立った。


「被害者の死因はやはり出血性ショックだったようです。遺体の衣服には財布が残っていたので物取りの犯行ではないと思われます」

「名前と身元は?」

「えっと……それが……」


 セプトは逡巡するように視線を巡らせる。


「分からないんです」

「分からない? 財布はあったんだろ。身分証でも入ってなかったのか?」

「いえ、身分証や紙幣らしきものはあったんですが、ユエスレオネ連邦のものではないんです」


 ヤエヤマは不思議そうに顎をさすった。


「じゃあ、どこの人間なんだ。ハタ王国か? PMCFか? それともILGAF諸国か?」

「どれでもないよ」


 ヤエヤマの質問に答えたのはラムノイだった。彼女は新たに手元の資料をホワイトボードに加えた。


「言語翻訳庁の言語特務データベースで被害者の身分証や紙幣の言語を検索したけど、ヒットしなかった」

「人工言語である可能性は?」

「データベースには人工言語も網羅されている。つまり、完全に未知の言語ってことだね」


 シュヴェーカは手を合わせて立ち上がる。その顔は好奇心に満ちていた。


「もしかして、新しい世界からの来訪者かも!?」

「そんなわけないだろ。もっと調べろ」


 ヤエヤマは自席から立ち上がって、部屋を去ろうとする。しかし、何かを思い出したかのように自分のデスクに再び戻ってきた。

 引き出しを開け、ミントタブレットを取り出し、かしゃかしゃと振り始める。手のひらに一つ、二つ出てきたところで口に放り込むと思いきや、ヤエヤマは一箱の中身が全て無くなる勢いで振っていた。30粒くらいのタブレットが出てきたところで彼は真顔でそれを口に入れ、バリバリと噛みながら部屋を出ていったのであった。

 この異様な光景を見ていたセプトとシュヴェーカはしばらく固まっていた。


「なんていうかワイルドって言うか……」

「ま、まあ、仕事に戻りましょ」


 そういって、二人は捜査資料の整理を始めたのであった。



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