第117話 レーバスさんは、やっぱり運がない
――死に神です。
そのように自己紹介をされても違和感の無い執事さんは、笑みを浮かべていた。
「ドラゴンめ………ははははは、希望を与えてから狩るとは、アジな真似を………はははは」
壊れかけていた。
かつて絶望を突きつけられながらも、かろうじて生き延びていた。それは人の領域を超えた身体能力がゆえんだ。
運が、ないだけだ。
ドラゴンの尻尾が、翼が、目の前に現れた。
「へぇ~………ドラゴン………ひょっとして、あの子かな?」
どこかで見た赤毛のロングヘアーが、森の上空から、舞い降りた。
それは、先ほどの丸太小屋で出会った、
レーバスさんが遭遇した
屈託の無い、小さな子供のような笑みだった。
「ねぇ、執事さん、連れてってよ………あの子のとこへさぁ?」
燃えるような赤いロングヘアーの女性は、楽しそうだ。
少女と言うには、そろそろお姉さんだ。年齢は二十歳前と言う、大人側のお姉さんは、いたずらっ子の印象で、微笑んでいた。
ただし、空中だ。
尻尾の、オマケつきだ。
さらに、翼まである。レーバスさんが、覚悟を決めるには十分すぎる、恐怖を与える姿であった。
ドラゴンの尻尾は、お姉さんの身長を倍するほど長く、胴体とほぼ変わらない太さを持つ。さらには、その影は明らかに人のものとは異なる、背中からは翼を生じさせていた。
翼の羽ばたきによって、空中にとどまっているわけではない。ただ、炎をまとわせて空中にとどまっていた。
幼い少女と、その姉と言う、絶対的なる存在の格の違いと言うべきだ。
無邪気に戯れる子供と、計算づくで微笑むお姉さんという、絶望的な力の差なのだ。
見た目どおりの年齢ではないだろうが………
レーバスと言う執事さんは、こぶしを強く握りしめた。
「もはや、ここまでっ」
きっ――と天を見上げる。
ドラゴンのお姉さんとの対決だ。羽ばたきをしていないドラゴンの翼とは異なり、赤いロングヘアーは、ばさばさと風にあおられている。
レーバスさんの黒い髪の毛も、ばさばさとはためいた。
自然現象ではない。力の高まりが、目にもわかる形で現れていた。ドラゴンのお姉さんは、とても楽しそうに、その様子を見つめていた。
そう、見つめているだけだ。
どう見ても、最強の一撃を放とうとしている執事さんを足元に、ドラゴンのお姉さんは、ただ、見つめていた。
警戒心などまるでない、ただ、待っていた。
その理由が分かるレーバスさんだったが、ありがたく時間を使わせてもらった。
そして――
「我がこぶしは、全てを砕くっ――」
叫んだ。
空気が圧縮され、ざわざわと、こぶしがうなっていた。
たとえ話でなく、すさまじい力が圧縮されたこぶしが、周囲の空気を揺さぶっているのだ。
この一撃に、全てをかける。
レーバスさんと言う執事さんは、口にすることなく、全てをかけて語った。
全力を叩き込み、それで終われば、悔いがないという覚悟のこぶしだ。
赤毛のロングヘアーをはためかせて、ドラゴンのお姉さんは、その全てを分かった上で、笑みを浮かべていた。
分かっていながら、ドラゴンのお姉さんは待っているのだ。
奥の手が出てくるのを、まだかな、まだかな~――と、のんびりとお待ち下さったのだ。
力の差がなければ、自殺行為だ。
この光景は、その通りに、ドラゴンと人間との力の差を意味していた。人としての最高位に到達したとしても、ドラゴンにとっては、脅威ではないのだ。
レーバスさんが誰よりもわかっている、経験済みなのだから。
ドラゴンめ、ドラゴンめ――と、絶望と言うか、悲壮感を漂わせてぶつぶつとつぶやく程度には、絶望を味わった経験の、持ち主なのだから。
だが――
「ドラゴンめ、行くぞっ――」
どん――と、地面が跳ねた。
レーバスさんは黒い一本の弓矢となって、空中にたたずむドラゴンのお姉さんへ向かって、
ただの岩の塊であれば、コナゴナになるだろう。
ミイラ様と言う、人の枠を超えているに違いない大妖怪さまのこぶしと同じ、あるいはそれ以上の威力を発揮するはずだ。
人なら、消し飛びかねない。
人で、あれば――
尻尾が、揺れた。
「てい――」
場違いな、かわいい声だった。
いたずらっ子のセリフで、なんら力むことの無い子供のような掛け声で、尻尾が
目にも止まらない速さのはずのレーバスさんは、そうしてはじけとんだ。
レーバスさんが最高の力を込めたこぶしなど、ドラゴン様は尻尾をぴし――と揺らすだけで、跳ね飛ばしてしまうのだ。
それでも、尻尾を使ったということは、人間の部位に当たれば危険と判断したためだろうか………
赤毛のお姉さんは、空中でたたずんでいた。
「あちゃぁ~、ちょっとやりすぎたかな?」
どこかで聞いた、
もしも、元気いっぱいに
ただし、力はドラゴン様だ。
フレーデルちゃんが小さな子供に見える、たくましいドラゴンの尻尾と、翼を持つお姉さんだ
レーバスと言う執事さんの、最強最後の一撃を、ぽいっ――という手軽さで退けたドラゴン様である。
ひらひらと、木の葉のように森へと舞い降りる黒い影を見つめて、つぶやいた。
「うん、驚かせるのもいいかもねぇ~………」
哀れ執事さんは、その身を案じられることもなく、イタズラのための道具になることが決定されたようだ。
風が、木々を揺らした。
レーバスさんが、最強最後の一撃を放った、その突風とはけたの違う嵐が、森を駆け抜けた。
気付けば、お姉さんの片手が変化していた。
ひじから先が、徐々にドラゴンの赤いうろこに覆われ、自信の胴体ほどの巨大な腕に変化した。
戻ったというべきか、アンバランスながらに、空中での姿勢に変化が無いのは、力を完全に操っている証だった。
一匹の羽虫を、そっと捕まえた。
ボロボロの執事さんが、手のひらに、ぎゅっと握られていた。
「あんた、案内しなよ。あの子のトコの執事なんだろ?」
静かに、地面に降り立った。
赤毛は変わらずになびいているが、気付けば巨大な腕も、翼も、そして尻尾までが消えていた。
腕だけが、細身のお姉さんにはアンバランスに、ドラゴンであるだけだ。
その姿を、自在に操っているようだった。
「ほら、お返事は?」
ドラゴンの腕でつまんだ羽虫――執事さんを見上げて、小首をかしげる。
赤毛の姉さんが、子供っぽい仕草をする。
逆らうなよ――と言う威圧だった。
忠実な執事さんは、どのように答えればいいのだろうか。色々な意味でボロボロなレーバスと言う執事さんは、唯一、許される言葉を口にした。
「はい、ただいま――」
うなだれていた。
瞳はうつろで、逆らう意欲が消失した、哀れなるお顔だった。
ドサッ――と、地面に落ちた。
ドラゴンのお姉さんが、解放してくれたのだ。
もう少し
どさっと地面に落とされた執事さんは、弱々しくも、執事さんと言う姿にふさわしい姿勢をした。優雅にお辞儀をして、腕を曲げて、こちらですと。
再就職先が、決定したようだ。
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