第54話 フレッド様の、牢獄暮らし


 カーネナイの、若き当主。


 赤いチョッキの若者、フレッド青年の呼び名である。

 まだ二十歳を超えてそこそこの、当主の地位を継ぐには、とても若い年齢だ。


 学生時代に、父を亡くしたためだ。

 そして、さほど時を置かずして、父の弟であり、前の当主であるカケットと言う叔父おじが、収賄しゅうわいで捕まったためだ。

 借金だけが、残された。かつての栄光は、名残だけの名家カーネナイを受け継いだ青年に、なにが出来ただろう。


 狭い室内で、ひとりつぶやいた。


「何も………しなきゃよかったのか………?」


 交易で財を成した、球根と小さな花で、家紋が構成される、名家カーネナイ。その栄光の日々は、繁栄が安定した時代には、停滞から衰退という道を歩んでいた。


 一発、逆転。


 そのような、危険であり、家の名前を危険にさらすことだけは、してはならない。フレッドの父であるケチットの言いつけは、弟であるカケットが破った。

 先細りする日々からの脱却に、望みをかけたのだ。


 かろうじて屋敷を維持するだけの日々は、そうして終わった。

 先祖より守り続けた屋敷だけは守ろうと、すでに追い詰められていた、当代のフレッドによって、トドメとなる。


 世間を騒がせた、カーネナイ事件である。


 最後の当主は、牢獄暮らしと言う末路だ。

 ただ、牢獄といっても、安い宿の一室という個室に、フレッドはいた。一応は地位のある人物であること、カケット叔父もまた、このような環境だろう。殺害や国家転覆に加担すれば定かではないが、かつての栄光への、ささやかな配慮だった。


「フレッド様………フレッド様………」


 気のせいか。

 フレッドは、しっかりと施錠されたお部屋の中を、見回した。食事と、裁判のための移動を除いて、この部屋の扉は開けられることがない。

 なのに、頼りになる、そして、巻き込んでしまった、忠実なる執事の声が聞こえた。


「………まさか………な」


 幻聴が聞こえるほど、未練があるのだ。

 自分の決断さえ、間違っていなければと、思うのだ。屋敷を手放し、小さな農園の管理人であれ、商家の倉庫の管理人であれ、選ぼうとすれば、選べた道だ。

 執事を雇うほどの収入ではないが、部下として、側近としてならば、どうだったのか。

 その道を捨てたのは、名家の跡取りとして、育てられたためなのか。

 牢獄と言うには贅沢な、客室の日々を送るフレッドが、いつも考えていることであった。


「こちらです、フレッド様」


 フレッドに、またもや、声がかけられた。

 大声では危険だ、客室と言う環境も、牢獄には違いない。警備兵が、すぐにでも駆けつけられる。

 そして、そのような環境でも、忍び込める存在は一人しか知らない。


「メジケル………」


 フレッドは、忠実な執事の名前を呼ぶ。

 大声になりかけ、とっさに声を抑える。そして、改めて周囲を、部屋の中を見渡しながら、静かに近づいた。


 扉の向こうに、忠実な執事がいる。


 まさか、脱獄して、主である自分もまた、逃がそうというのか。

 それは、危険である。カーネナイの家は、もはや自分のものではない。ただの、足手まといの青年でしかないのだ。


 お前だけでも、逃げろ。


 そう告げようと決意し、扉に近づくフレッド。牢獄であると思い出させる、扉の目の位置は、部屋の外から開閉できる、のぞき窓がある。

 その窓に、懐かしい、メジケルの顔があった。


「ガーネックが、動きます」


 フレッドの動きは、とまる。


 別れの言葉を考えていると、予想外の言葉が、もたらされたのだ。


 怒りが、瞬時に湧き起こる。


 腰の低い、善良な金貸しというガーネックの笑顔が、思い出される。

 確かに、今のカーネナイの没落を選んだのは、自分であり、おじのカケットである。それでも、そそのかされ、仕向けられたという側面も、強い。


 それ以外に、選べない。


 あとで、冷静に考えてもなお、選択肢が存在しない。そのように相手を追い詰める方法に、ガーネックは長けていた。


 全てを捨てれば、よかった。


 だが、捨てた後の日々にも、迫る不気味さを感じた。今もまた、カーネナイの家が終焉を迎えても、存在しているではないか。

 しかし、なぜ、メジケルがそれを知り、しかも、外にいるのか。


 フレッドの疑問に答えるように、メジケルが続けた。


「何者かが、このメモを差し入れたのです………」


 メジケルが、のぞき窓から、小さな紙切れを差しいれる。

 気付けば、牢獄のカギも、開いていたという。 紙切れを受け取ったフレッドは、目を見開いて、驚いた。汚い字であったが、驚くに値する出来事が、記されていたのだ。


 ――ガーネック、動く。キートン商会、危ない。


 短い言葉であるが、ひそかに差し入れるのだ、しかたがない。そして、ガーネックに踊らされた自分達になら、これで十分に、伝わるだろうと。

 あのガーネックが、またもや誰かを落としいれ、操っているのだ。


 面識などないが、キートン商会を救わねばと、何とかしなければと、フレッドは顔を上げる。のぞき窓から見える、忠実なる執事、メジケルの瞳にも決意が見える。



 手伝おう。


 いいや、どのように力を貸せばいいのだ、むしろ、メジケルだけならば、うまく立ち回ることができるのではないか。

 口を開こうとすると、またも、メジケルは驚きを手渡してきた。


「これを………手紙とともに、差し入れてきたものです」


 何者が………と言う質問は、不粋ぶすいだ。これが、自分達を陥れる罠だとして、その目的は何だ。

 むしろ、公には、何もできないために、協力者を募っている。それ以外に考えられないではないか。


 金貨を、手渡された。


「………かじりあとが………これは――」


 ニセガネだった。

 忘れることなど、出来るはずがない。自分達が捕縛される、そのきっかけとなった事件の、ニセガネだ。


 かじりあとのある銀貨が、事件発覚のきっかけだったという。


 強度は、本物の金属ほどではない。安価で、加工がしやすい反面、もろいのだ。

 おもちゃのコインがせいぜいで、ただし、薄い金属を貼り付ければ、かなりの存在感を持ち、すぐには、ニセモノと分からない。


 ただし、これは金貨だった。


「………俺たちはニセガネを広げる実験で、本番は、金貨………か」


 クマの顔が、情けなく涙を流しているようにも見える。かじり取られ、削れた金の破片が、そのように見せていた。

 本物の金であるため、薄く貼り付けられたこれだけでも、少しは値打ちがある。

 ねずみ銅貨で、何枚ほどであろう。


 フレッドは、執事を見た。


「行ってくれ、お前だけなら、身軽に動ける。俺はこの金貨で、一芝居打つ」


 メジケルがいなくなったと気付き、誰かが、ここに来るはずだ。主従の絆が強いと、自分達を捕縛したアーレックと、その上司らしい騎士は知っている。

 そのときに、事情を話そう。公に、なにが出来るわけもない。怪しいというだけで、人を捕縛できるわけがない。

 もちろん、調査もだ。


 しかし――


「………すまないな、いつも、苦労をかけて………」


「何をおっしゃいます。あなたの父上に信頼され、私は表の世界で生きることが出来たのです。裏の世界に戻っても、もはや、かつての私ではありません」


 しばし、互いの信頼を確かめ合い、そして、執事は消えた。


 足跡は、誰も気づかない。

 だが、さすがの執事メジケルも、自分達が監視下にあるとは、気付かなかった。何者かが、カギを開け、メモと、ニセガネの金貨を差し入れたということだけ。

 その犯人が、ねずみであるなどと、誰が思う。


「ちゅう………」


 すまない――


 ねずみは一言、鳴いた。


 メジケルが脱獄した。

 その事実は、動かない。新たに罪を重ねたということで、もしもつかまれば、より悪い境遇に落ちることになる。


 逃げおおせても、同じだ。


 しかし、それで終わっては、ガーネックと同じではないか。ねずみは、ニセガネの金貨を握り締めているフレッドが、何を考えているのか、気付いている。


 アーレックを、呼ぶのだと。


 かじり跡を見れば、アーレックは感づいてくれるはずだ。お義父上ちちうえさまにも、おそらくは報告するだろう。


 そして、気付いてくれ。


 今回、執事さんを脱獄させ、ガーネック包囲網に使おうとしたのは、自分だと。

 運任せのバクチだが、それしか、思いつかなかった。そして、すでに実行したのなら、進むしかないではない。


 ねずみは、牢獄の天井を、あとにした。


 ぴかぴかと、宝石も明るく光っていた。


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