第29話 ねずみと、アーレックと、追いかけっこ
石畳を、軽やかな足音が通り過ぎる。
あまりにも軽く、すぐそばで聞き耳を立てていても、人間の耳では、聞こえないだろう。
ちょろちょろと、ねずみが通りを走っていた。
王冠を頭に、走っていた。
目の端で、小さな影が動いたと、気付くのだ。
しかし、一度目にした人物は、その瞳を大きく開けて、その姿を目で追わずにはいられないはずだ。
頭に、指輪をかぶっているのだから。
そのねずみを、情けない声が追いかけていた。
「ま、待ってくれぇ~」
ドスドスと言うより、ドドド――と言う、ごっつい足音である。大柄の若者、アーレックが追いかけていた。
ただし、迫力はなかった。
情けない声だけが理由ではない、アーレックはねずみにあわせたように、駆け足の速さで走っていたのだ。
ランニングをする若者と、そのコーチのようだ。
もちろん、ねずみがコーチである。このままでは、町の外れまで走破しそうだ。
「あれ………アーレック殿?」
アーレックの知り合いのようだ。しかも、アーレックはあいさつをされる側のようだ。若い警備兵は、背筋を正して、敬礼をする。
アーレックは、それなりの地位らしい。返礼せねばと、アーレックは小走りで立ち止まる。
ねずみも、立ち止まる。
そういえば、騎士の家系と言っていた。サーベル使いのお嬢様との出会いも、格闘大会の表彰式だったとの話だ。実力もあるだろうが、生まれが地位に関わったに違いない。
ねずみは、世の中の不条理に怒りを抱きつつも、情けない下僕の姿を思い出すと、なんとも微妙な心であった。
しかし今、最も微妙な心であるのは、アーレックに挨拶をした若い兵士に違いない。
なぜか、ねずみも返礼しているのだから。
「私は急いでいるので、それでは」
「ちゅ~」
追いかけっこが再開された。
若い兵士は、ねずみとランニングをしているアーレックの後姿を、いつまでも見守っていた。
気付いた人々も、しばしその姿を見守っていた。
「お前、見たか?」
「あぁ、あのねずみ、何かかぶってたな」
「なら、飼いねずみか?」
「へぇ~、おれ、見逃した」
道々で、ねずみとアーレックのコンビは、話題づくりに貢献していた。
不思議なものを見た。寝ぼけていたのか、疲れていたのかと
最も驚いていたのは、アーレックである。
目の前で指輪を持ち逃げされてから、ねずみとは思えぬほどの、ねずみの仕草の数々を眼にしてきたのだ。
両手で指輪を捕まえ、頭にかぶった。
そして、こちらを誘導するかのように、時折振り向く。アーレックが立ち止まったときなどは、共に返礼していたではないか。
びしっと、子供が真似事をするかのように、敬礼したではないか。
教え込んでも、そこまで出来るねずみがいるのか、アーレックは知らない。
「………まさか、指輪を盗ったのも、わざと?」
偶然である。
そのはずである。
しかし、アーレックは常識ではありえない出来事を起こす力に、心当たりがあった。
魔法だ。
このねずみは、魔法的な何かで操られている、自分たちを導こうと派遣された何かだと。
なら、付き合ってみるのも、悪くない。
そう思ってランニングを続けていると、町外れの、緑の多い地区に入った。町の中心の賑わいとは逆に、広々としたお屋敷が立ち並び、お屋敷の合間には果樹園がある。
ねずみは振り向くことなく、荒れたお屋敷の外壁を、ささっと登った。
わき道にそれて、
ハートはチキンの若者アーレックは、そうは思わなかった。
自分を
ねずみに
「ここに、入れってか?」
ねずみは答えない。
と言うか、小さすぎて、うなずいたのかもわからない。きらりと、指輪の輝きのおかで、そこにいるとわかる。
頑丈な、レンガの塀を見上げたまま、アーレックは迷う。どこのお屋敷なのだろうか、手入れはあまりされていないため、捨て置かれた廃墟かもしれない。
とは言っても………
「不法侵入………に、なるのかな」
立場上、私物を取り戻すために他人の家にお邪魔をするのは、よろしくない。迷うアーレックに、天からの声が下った。
「ちゅ~っ!」
両手を
なぜか、そう感じた。
「………来いってか?」
まさかと思いつつ、声をかけると、ねずみは返事をする代わりに、すっと
もはや、迷うことは出来ない。本当に見失えば、ここまで来た意味がない。ただのねずみではない、指輪を盗んだのも、何か意味があるのではと感じはじめていたところだ。
ところで、どのようにして
アーレックは、周囲を見渡す。
そう思いながら、アーレックは数歩、下がる。
「まっ、ばれなきゃいいか………」
立場のある者として、よくないセリフである。さっと、周囲を見渡し、人影が見当たらないことを確認する。
すっと、息を吸い込む。
「ほっ」
巨体に似合わない軽やかな足で、
さっと助走を付けた後の垂直とびの後、
更に、勢いのままに半回転して、壁を飛び越える。
「ふっ………」
着地の姿勢のまま、アーレックは横目でチラッと、ねずみを見て、笑った。そのまま見詰め合うねずみとアーレック。
ねずみは、あごをしゃくると、再び駆け出した。
今度は、
ねずみの案内で倉庫に近づくと、違和感の理由に気付く。
人気のない広大な庭園からは、長年人の手が加えられていないことがうかがえる。ここが、廃墟だと確信した理由だ。
それでも、違和感があった。近づいてやっと気付いた、倉庫の周辺に、人が常に行きかった獣道を発見したのだ。
この倉庫に、何かある。そう思わせるものであり、ねずみが、自分をここまで導いた理由だと、アーレックは思った。
「まるで、犯罪組織のアジトだな………」
アーレックがレンガの壁に背を預けつつ、周囲を見渡していると、ねずみが告げた。
「ちゅっ」
その通りだという意味だろうか、ねずみはレンガの壁を登って中の様子を伺うと、すぐに戻ってきた。
ねずみは、偵察をしてくれたようだ。今度は倉庫の入り口に向かった。チェーンでも付けられていると思っていたが、無用心なことだ、すっと押すと木製の扉が開いた。
大きなタルが並んでいた。
ぱっと見て、数十はある。いくつかは満タンで、問題なのは何が
ねずみが、その上に、じゃらりと立ち上がった。
そして、かじった。
それは、銀貨だった。
アーレックがまさかと見守っていると、ねずみはそのままカリカリカリッ――と、銀貨をかじった。いかにねずみの前歯が頑丈と知られていても、金属をかじり取れるわけではない。お
ねずみは、アーレックに見せるように、かじられたニセモノの銀貨を差し出した。アーレックの表情が
飛び
これも
これも
これも
そう言っているようだ、近づいてその様子を見ると、かじり後が付いているのが見えた。
みんな、ニセモノだと教えていた。
アーレックも、銀貨を一つ手に取る。
お
またも、パキっと割れた。
断面を、静かに見つめる。
「ニセガネだ。それも、これほど大量に………」
なんということだと、早く報告しなくてはと、頭はせわしなく動き、肉体は呆然と立ち尽くしていると、アーレックはとっさに身をかがめる。
ここにいては危険だと、とっさに隠れたのだ。
足音がしたからだ。
ねずみも、隠れた。
ここまでは、ねずみの計画通りだ。
あとは、アーレックが怪しい会話を、黒幕たちの証拠たっぷりの会話を耳にしてくれればよい。ばれないように倉庫を抜け出すまでが大変だが、そのための
足音が、近づいてきた。
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