第19話 がんばれ、若様


 どんぶらこ、どんぶらこ。

 臭気漂うせせらぎに、小船たちは小さく波を立てて、その流れに逆らっていた。

 しっかりと、ロープで岸辺に留め置かれていたためだ。本来は岸辺などない、下水の通路である。

 その数は、三。

 人が前後に座り、互い違いにオールをこぐタイプの小船が、ロープでつながれていた。

 街中にも小川が流れるこの町では、よく見る小船である。もちろん、流通にも便利であるが、レジャーとしても欠かせない。レンタルを始め、小船程度なら個人が所有していてもおかしくはない。

 そんな小船が、まさか下水の地下にまであるとは、誰も思うまい。

 その着眼点までは、よかった。そこまではよかったと、カーネナイの若き当主フレッドは、思った。


「はぁ、はぁ………あと、あと少しで………」


 ただでさえぼろの赤いチョッキは、汗と泥にまみれて、無残だった。

 フレッドのセミロングも、汗と泥にまみれて、正にドブネズミスタイル。それでも、なさねば成らぬと、新たな袋をつかむ。

 小さな袋に見えて、中身はずっしりとしている金属の塊である。滑りやすい足場の悪さに、薄暗い視界の悪さでは、無理をしてはいけない。


「オレの指輪、今頃、どこをほっつき歩いてるんだろうな………」


 執事は、見張りをしている。

 主従が逆転しているわけではなく、船の操作と見張りは、フレッドには出来ないことなのだ。本来は荷物運びの役割もある、あの、さわやかな仮面の青年たちが、いないためだ。

 それというのも――


「私が見たのは、銀行地下に向かったというところまでです。警備兵の気配があったので、それ以上は確認できませんでしたが………」


 周囲を警戒しつつ、申し訳なさそうに告げた。

 抑揚は単調であり、仕事人と言った執事である。そのため、仕事が不完全であるうえ、失敗しつつあるかもしれない状況には、大変不服で、不満だった。


「じゃ………じゃぁ、当局にオレのことがばれたって、決まってないんだな………」


 息も絶え絶えに、フレッドはたずねた。

 考えたくない可能性だ。

 証拠の指輪が当局に提出された可能性を、フレッドは強引に無視することにした。

 まさか、ネズミによって提出済みだとは思うまい。警備兵の隊長のおっさんに、指輪を手渡しをした後である。

 更に予想をしないことを、忠実なる執事が、ポツリとつぶやいた。


「ワニの腹にでも、入ってくれればいいのですが」


 フレッドは固まる。

 念のために見張りをしている執事は、この薄闇でも、些細ささいな変化を逃さない。いったい、どのような経歴の持ち主かわからない、フレッドの亡き父親の信任厚い、執事だった。


「下水にワニって………都市伝説じゃないのか」


 フレッドの声が、上ずる。ばれれば、人生が終了の、犯罪の真っ只中である。それが、物理的に、バクリと、人生が終了する可能性を聞かされて、青ざめた。

 忠実なる執事は、変わらぬ様子で、答えた。


「川がつながっていますからね。遠くの湿地からワニが泳いできても、不思議はありません。下水は広くて、暖かいですし、ドブネズミの数を考えると………なくは、ないかと」


 冗談に聞こえない。

 一面ドブネズミに覆われている通路など悪夢なのだが、そういえば、ドブネズミの数は少ないといえば、少ない。ねずみよけのまじないは、下水から這い上がる不快なものを拒む役割はあるが、下水にいないわけではないのだ。


「まさか………」


 ぞっとした。

 この薄暗いアーチのレンガの空間から、逃れたかった。

 いつ、船の合間から恐怖が襲ってくるのか分からないと思うと、もうじっとしていられなかった。

 もくもくと、何度も往復をしたはしごに、足をかける。その先にあるのは、フレッドのお屋敷にある、レンガの壁の倉庫であった。

 そこには、大人の胴体ほどの大きなタルが、たくさん並んでいた。一つは開け放たれており、銀色の輝きが除いていた。

 使えば楽になるのだが、使えば即座にばれてしまう、ニセガネの銀貨の山だった。

 落ち目のカーネナイのお屋敷が、急に羽振りがよくなったと、怪しまれないわけがない。そして銀貨がニセガネと判明すれば、もう確定だ。

 その結果を考えると、慎重に、犯罪を行うしかないのだ。


「はぁ、今日で、終わってくれよ………」


 カーネナイの若き当主、フレッドは、今のような日々の終わりを、夢見た。


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