第18話 レンガの壁に、囲まれて
アーチを描いていれば、ねずみには見慣れた下水の風景である。しかし、ここは四角形で構成された空間だった。
あるものは、木製の四角い椅子と、机。それだけではない、食欲を
「まぁ、食え。
机の上に、コトンと、皿が置かれた。
そうだ、そうだと、湯気も誘っていた。ねずみは部屋の壁に背もたれて、優しい瞳を、机にうなだれる青年に向けていた。
皿の隣には、証拠品である金属で縁取られた、赤い仮面があった。
仮面強盗団の、リーダーさんだった。
「そ………そんな
食事を
ここは警備兵詰め所の地下にある、牢獄だ。
ねずみがトコトコと付いてきても、うなだれる一方の青年には、どうでもよかった。
共に水浴びをした仕草が、妙に人間っぽかったことも、どうでもいい。背中をタオルでごしごし洗う姿など、まるで人間だ。きっと、疲れがたまっていたに違いない。
下水帰りの水浴びは、最高だった。
個室に通されると、大切な自分の一部である、赤い仮面と再会した。誰かが汚れを落としてくれたのだ、泥が落ち、赤い輝きを取り戻していた。
そこに、「まぁ、食え――」という言葉とともに、おいしそうな匂いの漂うお皿が置かれたのだ。
お皿の名前を、
ごくりと
「わ………私は、負けない………」
声は負けそうだが、戦っているのだ。
よく働いた後に、おいしそうな匂いが目の前に漂っている。
これは、本能なのだからと。
最大の正直者は、青年の胃袋だった。
ぐきゅ~………――
空腹だと、メシを食わせろと、魂の叫びが、ハラから聞こえた。
優しい沈黙が、部屋に満ちる。目の前にある、おいしそうな匂いを漂わせる、皿のせいだ。
「まぁ、いいから………朝から、何も食ってないんだろ?」
皿の上には、庶民の味方、ぶつ切りポテトの山盛りがあった。
蒸したポテトをぶつ切りにして、鉄板の上で油と出会い、こんがり焼き色を付けられている。
その隣の鉄板では、分厚くスライスされた上、短冊に切られたベーコンが、カリッカリでお待ちかねだ。それらは皿の上で出会い、風味付けのバターがたっぷりと、そして香味野菜が盛り付けられていた。
それだけではない、ポーチドエッグまでが乗っかっていたのだ。ねずみは食堂にて、その職人技を目にしていた。調査のため、偶然訪れた食堂の技だが、普段お目にかかれない職人技は、目の端で
ぐらぐらと煮えたぎる湯に向かって、新鮮な卵が、ぽたりと落ちる。それも一瞬、お玉で
たっぷりとだ。
ポテトの熱と、卵の熱に当てられ、とろりと溶けて、混ざり合う様を見よ。
あぁ、なんとも安っぽく、なんとも
青年も、ごくりと、つばを飲み込んだ。
ねずみが人であれば、互いにバツが悪そうに笑い合うところだ。
「おいおい、せっかくの料理が冷めちまうぜ」
皿を机に置いたおっさんは、とことん、優しい笑みを浮かべていた。なかなか懐柔されない青年への
それもそのはず、この仮面強盗団は、自ら犯行現場に出頭してきたのだ。
ねずみを追いかけて、銀行地下の下水の鉄格子を持ち上げて、顔を出したのだ。その姿は正にドブネズミ、ただし、仮面つきだ。
しかも、ねずみが連れてきたのだから、あの光景を思い出すだけで、いつまでも笑うことが出来るだろう。思いもよらない、証拠の品まで手に入った。
ねずみがかぶっていた、指輪であった。
細やかな装飾が施された、それなりの品だ。家紋が施されていた所を見ると、貴族様か、名のある家の持ち物に違いない。
それは、地位の象徴。
それは、富の象徴。
そして、自己紹介。
盗品の可能性もあるが、犯人達のあわてぶりから、黒幕様につながる品に違いない。黒幕を捕まえて、初めて事件は解決なのだ。
考えをめぐらせたおっさんは、少しまじめに語った。
「今回の事件はな、誰も死んじゃいない。それどころか、ケガ人さえいない」
ゆっくりと、横を向く。
「おかしいと思ったんだ。はだしで
壁を見る。
太陽の光が、強く鉄格子の影を落としていた。
明りを取り入れ、風通しをよくする役割があるが、小さな窓だ。万が一にも脱走を防ぐためだった。
小さく、笑った。
丹念に削り、爆薬に見せただけの炭であっても、燃えれば危険である点には、変わりない。しかしながら、爆発的に周囲を巻き込むほどではない。むしろ、パニックになって、人々が押し合った場合が、危険だ。
作用したのは、恐怖であった。
それが、けが人ゼロの理由。そこまでを計算に入れていたとすれば、今回の黒幕は、なかなかの策士だ。ぜひとも、ぜひとも詳しくお話を聞きたいものだ。
いやもう、本当に。この取調室で、じっくりとお話を聞きたくて仕方がなかった。
「指輪の持ち主のこととか、今回の計画を考えたのが誰なのか、聞きたいことは色々あるけどよ、あぁ~あ、もう冷めてきてるぜ」
出前の品は、先ほどまでは、熱々の湯気を上げていた。
しかし、説得の合間に、徐々にその湯気はおとなしくなっていった。まぁ、猫舌であれば、ちょうどよい温度と言うことだ。
ちょうどよい、ホクホク、カリカリであろう。
「お前はまだ若い。きっとやり直せるさ。人を殺してないし、注文どおりに、演じる度胸もある。ほれ、朝からがんばって演じてきたんだ。もう、いいんだよ」
説得するための言葉であるが、本心でもある。誘惑に負けた愚か者は、どこか応援したくなる。罪があり、罰があれば、その次は?
まじめに、出直せ。
ぐきゅ~――
「ははは、
しばらく笑った。
ねずみも、やさしく笑った。
落ち込んでいた仮面のリーダーも、ばつが悪そうであるが、笑った。
そして、ついにフォークに手を伸ばした。
フォークの先に、一口分の
ホクホクとした、
こんがりとした、油のこんがり。
仮面を脱いだ青年はごくりと、
ねずみも、ごくりと、その様子を見守る。
もはや、目の前で説得を試みた警備兵のおっさんの姿は、映っていない。青年の目に映るのは、
青年はとうとう、口に入れた。
ホクホクとした熱が、さくっとした歯ごたえが、口に広がる。ねずみにも想像が付く庶民の味の、塩気と、油のうまみはもはや、止まらなかった。
「そうそう、若いヤツは、たんと食わないとナ」
豪快な食べっぷりを、おっさんはにこやかに見守った。
ねずみも、にこやかに見守った。
お昼前に発生した事件から、まだ、わずかしか時間は経過していない。気付けば少し遅い、昼食の時間帯。実行犯のリーダーの青年は、ただひたすら庶民の味方を口に入れ、ハラに満足感を与え続けていた。
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