第15話 銀行支店、裏口


 下水は、地下迷宮だと呼ばれる。

 素人が迷い込めば、生きては戻れないという。この冗談は、実は冗談になっていない。そのため、普段は入り口に鉄格子がはめられている。

 その下水への入り口は今、開け放たれていた。


「追いかける身にも、なって欲しいよな………」


 取り囲んでいるのは、はだしの警備兵の皆様だ。

 本日のお昼前、銀行強盗事件が発生した銀行支店の、下水入り口の空間に集まっていた。

 上を見れば、明りを取るための小窓から、まぶしい初夏の日差しが入り込んでくる。それは、牢獄のように立派な鉄格子であった。

 下を見れば、同じく鉄格子の、50センチ四方の大きな正方形の鉄格子が、下水とこちらとを、へだてていた。

 念のために、服の下に皮製のよろいを、二の腕には同じく皮製の防具を身につけている。刃物を持つ犯人相手には、なんとも心もとない装備であった。それでも、人々を守るという正義の心が彼らに危険へ歩ませる決断をさせたのだが………

 下水に降りるには、もっと勇気が必要のようだ。


「地下迷宮に挑む勇者の気分………になってるヤツ、遠慮はいらねぇ。先に行け」

「地下迷宮の探索者か………その称号は、オレには荷が重い。お前らにゆずろう」

「い~や、お前に譲るって」

「はっはっは~、お前こそふさわしいって」


 警備兵のみなさま達は、そろって下水の入り口を見つめていた。

 威勢いせいのいい会話に聞こえて、一切の積極性を感じさせない、乾いた笑みが勢ぞろいだ。もちろん、下水の地図が頭にあるはずがない。

 もしあっても、設計図どおりである保障もない。己が迷宮に迷い込んだまま、しかばねとなるという姿が、頭に浮かぶ。

 冗談ではなく、ごくまれにいるのだ。なにを目的にしたかは知らないが、下水管理人が、死体を見つけたという話が。

 憂鬱ゆううつな、理由だった。


「どっちに逃げたと思う?」

「右か、左だろ………その後は、きっと十字路が待ってるぜ」

「その次には、また十字路だぜ」

「そんで、十メートルも進まないうちに、また十字路だろ?」

「きっと、五つに分岐してるさ」

「八つかもな」


 仲良く、ため息をついた。

 ひとたび下水に逃げ込まれたのならば、追いつくことは無理だ。まず無理だ。いいや、絶対無理に決まっている。すぐ後ろから追いかけても、無理なのだ。

 十字路がところどころ、あちこちにある上に、薄暗い。自分がどちらから来たのか、それも分からなくなって、迷子になるのだ。地上へのはしごが見つからなければ、地上に戻ることは、永遠にないだろう迷宮である。しかも、入り口がさびて開かなくなっている可能性すら、あるのだ。希望を見つけた先で、絶望を知るなど、経験したいわけがない。

 そもそも、どちらに逃げたのかという、その情報がなかった。いつ逃げたのか、不明なのだから。


「かといって、人質の皆さんを責めるわけにもな………」

「爆発するって言われちゃ、仕方ない。俺たちだって、そう言われてにらめっこしてたんだぜ」

「人質達とな」

「結局、魔法使いが来るまで待てなかったし」

「水使いってレベルの魔法使いは、森の神殿にいるって話しだからな」

「「「魔法使いって、使えねぇなぁ」」」


 仲良く、今度はようやく救出された、人質の皆様のいる方向を見つめる。支店長の事情聴取の内容が、よく聞こえていた。

 危険だと、逃げようと懇願こんがんしていたのだ。犯人のおどしは、まだまだ効果が続いているらしい。


「来るなと、言われたんです。導火線が………火薬がっ!」


 支店長は、今にも警備兵がわなを発動させ、爆弾が爆発するのではと、気が気でない。すでに裸足で突入してきた警備兵達によって、従業員の皆様や顧客達は安全な外へと連れ出されている。なかなか動きがなかったために、一か八か、突入したのだ。


「まんまと、遊ばれたわけだ」

「まぁ、遊ばれたって意味では、正解かな………」


 黒い粉を、手のひらでこすった。

 汚れがつくだけで、おびえる必要のない物質であった。明りや調理のために燃やす木炭の、削りカスであった。


「よくもまぁ、ここまで丁寧にすりつぶしたもんだぜ」

「暖炉から、くず炭を救ってくりゃよかったじゃねぇか」

「いやいや、それなら、みんな見慣れてるって。だからこそ、手間隙てまひまかけてこうして………ちきしょ――っ」


 腹立ち紛れにタルを蹴り上げた男は、そのままうずくまって声も出ない。つん――と、小指にぶつけてしまったらしい。裸足の小指であれば、痛みも倍増しだ。見守る仲間の警備兵達は、笑いたい気持ちをこらえて、後片付けの大変さに肩をすくめる。

 一面、炭だらけなのだ。

 可燃物には違いはないものの、爆発物と言うほどの危険物ではない。しかし、銀行強盗と言う目的には、十分に威力を発揮していた。爆発するという恐れから、しばらく突入できなかったのだ。

 その間に、犯人は逃走。

 人命を優先と考えるのならば、今回は、胸をなでおろしてもいい事件である。バカにされたという、遊ばれたという腹立ちが、残るだけだ。

 支店長も同じはずだ。恐怖を抱けば、冷静になれないものでも、そろそろ気付いて、腹を立ててもいい頃だ。

 と、思っていたが………


「あれ、現場確認終わったのか」

「………支店長、笑顔じゃね?」

「まぁ、助かったってわかったんだ。無理もない」


 支店長が現れた。

 現場を説明するためだろうが、満面の笑みであった。

 もう、本心では腹を抱えて笑い転げたいほどの、にこやかな笑みであった。

 ちょっと不気味であったが、緊張の糸が解けたのならば、仕方がない。警備兵達は、そう思っていた。

 逆に、自分達はこれから頭を抱える事態なのだ。これから下水に降りて大捜索が始まると思うと、始める前から、うんざりしたくなるもの。彼らに代わって、犯人を追い続けている存在がいることなど、知ることもない。

 今まさに、ちゅ~っ――と、鳴き声を上げて、犯人と追いかけっこをしていた。

 頭に、指輪をかぶって。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る