第14話  指輪をかぶったねずみ


 薄暗い、レンガの洞窟。

 あるいは地下迷宮といっても過言ではない湿気の暗闇を、男たちが歩いていた。

 臭気がただようせせらぎに、人が二人ほど並んで歩ける通路は天井から、壁からしたたり落ちる水滴がつねにピチャピチャと、水気を帯びている。古びたレンガの通路はコケやキノコに彩られ、ねずみ君たちをはじめとした、小さな命たちと、時折挨拶をする小道であった。

 下水だった。


「はぁ………はぁ………金って、重たいんだな………」

「だな………あと、しゃべるな。匂いが………ぅぅ………」

「これを運んだら、休める。これを運んだら、休める………」

「銀行強盗って………重労働だったとは………」


 口にはスカーフをして、目元を隠す仮面舞踏会の仮面をかぶっていても、下水の匂いからは守ってはくれない。仮面の方々は、重たそうな袋を肩に担いで、歩いていた。

 本日お昼前に、銀行強盗をしでかした方々である。

 そして、すでに疲労困憊だった。

 小さな袋に見えても、金属の塊はずっしりと重たいものだ。握りこぶし程度でも、何キロあるだろうか、しかも地上から下水への往復は重労働であり、時間もかかる。

 そのため、犯人が長く姿を見せなくとも、下手に突入されない工夫が必要だった。

 なにをするか、分からないと思わせると言う、工夫が。

 そう、演技だ。

 銀行で狂気の愉快犯を演じていた銀行強盗は、言葉通りに、演じていたのだ。


「人質たちがパニックになる前に、恐怖で押さえつける………おかげで、おとなしかったな」

「さすがは名家カーネナイの執事は、何でもご存知だ」

「ぜってぇ、執事の前は、ヤバイとこに所属して立って………暗殺者って動きだもん、あれ」

「いや、スパイだな………本で読んだことある。絶対、元・スパイだ」


 疲れるのが分かっていながら、しゃべらずにもいられなかった。退屈な往復、疲れている体に鞭を打つのは、こういった冗談、そして、仲間との絆。

 あと、気を紛らわす必要からだ。

 すごい世界に関わったと、まだ気分が高揚こうようしている仮面のリーダーは片手を上げた。


「はぁ、はぁ、あぁ………ボス」


 その拍子に、じゃりっと、金属がこすれあう音がして、ころびかける。

 まだ若いといっても、体力には限度がある。周囲に気を配る余裕はなく、彼らを見つめる瞳にも、気付かなかった。

 ねずみだった。

 ドブネズミ軍団の説得に失敗、せめて行方を突き止めようと、あらかじめ当たりをつけていたこの場所に、銀行支店地下に到着したところであった。

 今は、仮面をかぶった若者達に、生暖かい目線を送っていた。


「ごくろう、その袋で、最後だったな」


 わびしい姿の、擦り切れたチョッキのフレッド様は、黒幕を気取っていた。ボスと呼ばれたのが、よほどお気に召したらしい。ゆらり、ゆらりと上下する小船の上で、腕を組んでいた。


「は………はい………」


 返事も絶え絶えに、仮面のリーダーは倒れそうになる。とっさに、すでに到着していた仲間たちが支える。良いチームワークは、演技ではなかったのだ。

 脅しの効果が有効なうちに、後は逃げ切るのみだ。

 そのための、小船である。

 下水には川のせせらぎのように水の流れがある。ならばと用意された、レジャーでよく用いられる、小船であった。

 それらは、ロープでつながっていた。

 ばらばらに転覆することを防ぐのが目的だろうか、牽引されたほうが安全の下水のせせらぎに、三艘さんそうの小船が浮かんでいた。


「油断は禁物です。荷の積み込みを、急いでください」


 執事が先導のようだ、長い棒で船を固定しながらも、周囲を警戒していた。

 ここから先は、船で行くらしい。確かに、この薄闇の中、下水を歩くのは危険だ。アーチの天井からはポタリ、ポタリと水が滴り落ちている。コケが生え、見知らぬキノコが彩りを与えている。ここは人の作り出した果てに生じた、人ならざるものたちの世界なのだ。


「小船だからな、沈まないように、バランスに注意だぞ」

「分かってます、これが最後………よいしょと」

「こぎ手は前後に一人ずつ。あとはすまないが、歩いてくれ」

「はい、せっかくの稼ぎが沈んじゃ、大変ですからね」


 船を固定するための係留場所ではないのだ。全員でしっかりと通路に足を乗せ、そして船のバランスを取りながら、荷物の受け渡しと、乗り降りを協力していた。ただ、船に慣れていらしく、かなり苦労していた。

 ボスたるカーネナイの若き当主、フレッド様も、荷物の積み込みを手伝っていた。

 ねずみは、その様子を静かに見物していた。

 高みの見物だった。

 このまま、船に便乗しようか。しかし、ばれてしまうだろうかと迷っていると、好機が転がり込んできた。

 チャリン――と、転がってきた。


「慌てるな、一つずつよこせ」

「はい。結構重いですよ」


 さもしいチョッキのフレッド様が、ずっしりとした袋を受け取ったときだった。一気にバランスが崩れて、下水にバシャンと、落ちそうになる。

 仮面のみなさまが支えてくれたおかげで、せっかくの収穫の袋も、下水のせせらぎに落ちることはなかった。

 全員が、安堵あんどの笑みに変わった。


「ははは、危なかった………」

「では、行こうか」

「ええ、そろそろオレたちがいない事に、気付くだろうし」

「いやいや、あいつら、本気でビビってたからな。まだ大丈夫だろう」

「少なくとも、俺たちがどっちに逃げたかなんて、見てないだろうからな」

「だが、下水に逃げ込んだとは、いずれ気付かれているはずだ」

「ならば、やはり急ぎませんと」


 臭気がただようせせらぎに落ちかけたカーネナイの若き当主、フレッド様は、嫌な汗をこぶしでぬぐう。仮面の強盗団たちは、すでに勝利の余韻よいんの最中だ。

 執事がただ一人、冷静に見える。

 そう、強盗は、盗んで終わりではない。無事に逃げ切り、その後も尻尾を見せないという長い戦いの、始まりに過ぎない。

 今も、安全である保障はない。

 大量に人員が放り込まれれば、ここをかぎつけられる可能性も、もちろんある。魔法使いが投入されればなおのこと、時間の猶予ゆうよは、あまりない。

 何でも出来るわけではないが、何でも出来る可能性があるのが、魔法である。

 執事が、改めて乗船を促そうと口を開いたときだった。肝心の主である、フレッドの様子がおかしいことに気付く。


「あれ………指輪………」


 ボスと呼ばれ、気をよくしたフレッドは、慣れない積み込み作業をしていたのだ。

 そのため、落とした。

 ぽとりと、大切な指輪が、ハズレ落ちたのだ。

 カーネナイの家に代々受け継がれるものなのだろう、若き主フレッドの指には、少し大きかったようだ。紋章つきの、立派な指輪であった。ねずみが運べる程度の、小さなものである。

 ねずみは、鳴いた。


「ちゅぅ~っ!」


 勝利の雄たけびだった。

 指輪を高らかと、見せ付けるように両腕を掲げた。

 犯罪の証拠品だ。もう、オレのものだと。

 注目を、集めるためであった。


「あっ、オレの指輪っ!」


 フレッドが、最初に叫んだ。

 指を刺した、その先にあるものは、フレッドの家の、カーネナイの紋章つきの指輪であった。先祖代々の大切な当主の証であり、犯罪の証拠である。

 それを、ねずみが高らかに持ち上げて、叫んでいたのだ。

 そしてかんむりのように、指輪をかぶった。


「え、なになに」

「ちょっ、あれ………」

「へぇ~………かんむりなんてかぶってやがる………どっかで飼われてた――って、えぇ?」


 共に作業をしていた仮面の男達は、珍しいものを見たという瞳で、ねずみを見ていた。

 めずらしいなと、なんだろうなと。

 その目は次第に、驚きに開かれていく。個人サーカスのねずみがごとく、かんむりをかぶっていたのだ。

 フレッドは改めて自らの手をさすり、指輪がないことを確認する。

 一同、改めて指輪をかぶったねずみを見る。

 ねずみも、男たちを見上げている。

 しばし、見つめあう。

 ねずみは、ふと、笑った。

 指輪の主であるフレッドは、そう感じた。


「捕まえろぉおおおっ」


 フレッドが言い終わる前に、ねずみはけ出した。

 まるで、狙っていたかのようだった。

 そしてもちろん、ねずみは狙ってやったのだ。捕まえてみろと、挑発をしてから、け出したのだ。

 追いかけっこが、始まった。




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