第16話 ご帰還、銀行支店


 男は、走っていた。

 姿は、ねずみであった。

 己が何者なのか分からない、今朝方の夢で、生前はネズリー・チューターと言う名前の魔法使いの少年だと判明した。

 年は十七歳ころだろう、自らの力の成長に有頂天うちょうてんの自信過剰の結果、命を落とし、ねずみに生まれ変わった。

 そのため、ねずみとして生きていくしかないと、ネズリーは思った。

 だが、そのための住まいで、事件が起こった。

 ニセガネを見つけてしまったのだ。

 人には成せないことを成すのが、魔法である。では、自分に成せることは、なんだろう。

 ねずみは、走っていた。


「まてぇ~、指輪、返せぇ~」

「「「「「返せぇええええっ」」」」


 舞台劇の仮面をつけた男達が、追いかけてくる。服装も、演劇で登場するような、皮製のロングブーツに、ハーフマントの盗賊スタイルであった。

 必死の形相なのは、貧しい身なりのカーネナイの若き当主、フレッド様だ。ボロボロのチョッキと同じく、受け継いだ紋章つきの、立派な指輪を追いかけていた。

 それは、犯罪の証拠品でもある。

 大慌ては当然なのだが――


「じゃ………ばは………がはっ」


 フレッド様は、ついに力尽きたご様子。言葉にならないあえぎ声を上げていたが、後は頼むとか、ねずみを捕まえろとか、叫んだのだろう。

 しかし、ねずみは振り向かない。頭の中で、必死に道順を思い出しながら、ひたすら走る。

 ここは薄暗く、すべる。

 人間には得に、全力疾走には向かない通路だ。コケに足を滑らせ、下水のせせらぎを泳ぐ結果には、なりたくないだろう。そうなれば、目的地にたどり着くことができなくなるのだ、ここは誘導の手際に、かかっている。

 ねずみは、曲がり角の前で立ち止まり、犯人達を待つかのように、振り向いていた。

 まるで、どこかに案内しているようだと、仮面の男達は不思議に思ったかもしれない。しかし、そんなわけは、あるはずがないと、仮面の方々はねずみを追いかける。

 ねずみが振り向いて教えてくれなければ、間違えるところだ。右を曲がって、まっすぐ進む。そうと思っていたところ、すぐにまた右に曲がる。

 気付けば、はしごの前にいた。

 地上出口につながるはしごである。重たい鉄格子は、力いっぱい押しても開けられるかわからない。しかし、ねずみは鉄格子の向こう側なのだ。

 ここまでおいでと、ねずみは格子の地上側から、仮面の男達を見つめていた。


「ちっ、ねずみの野郎、地上から見下ろしてやがる」

「人間様をめるな、追いついてやるっ」

「あれ、この光景、どっかで………」


 仮面の皆様は、冷静な判断力を失っておいでだった。目的はすでに、ねずみに勝つか、負けるかと言う追いかけっこに変わっていた。

 一人は、どうやらこの場所に見覚えがあるようだが、自信はない。どこも同じに見える、下水の地下迷宮なのだ。自分達が先ほどに運びをし、脱出した銀行支店の地下とは、気付かない。

 あと一息と言うところで、そのねずみは地上に到着していたのだ。

 意地でも追いついてやると、狭いはしごを一人が上り、もう一人も何とか隙間すきまに入ってくる。一人では、重い鉄格子を持ち上げることが出来ないためだ。


「野郎、待ってやがれ」

「いいか、同時で持ち上げるぞ」


 掛け声を上げつつ、慎重しんちょうにはしごに足をしっかりとみしめて、一人が下で支え、一人が肩を貸し、最後の力を振り絞る。


「「せぇ~、のっ!」」


 同時に掛け声を上げ、ゴトリと、重たいものが持ち上がる音がする。

 しかし、そこまでだった。

 めったに持ち上がることがなければ、砂埃すなぼこりや泥で、隙間が埋められているものだ。本来の重さに輪をかけて、持ち上げることが困難だ。上からならば、バールでなくとも鉄パイプでも何でも、頑丈な鉄の棒を使って、テコでもって、開けることが出来る。下からならば、力づくで押し上げるしかないのだ。


「まだまだ、そのまま」

「手をはさむな、注意しろっ」


 やはり、彼らはよいチームワークである。その成果は、銀行強盗でいかんなく発揮された。今は、下水出口を解放するために用いられている。

 暗闇に目が慣れていたおかげか、わずかにさした光が、強烈だった。目を細めつつ、はしごに足を滑らせないように更に、力を込めた。

 ゴトリと、わずかに音がするのだ。なら、更に力を込めれば隙間を埋めた泥やコケごと、持ち上がるはずだと。人間様を、舐めるなと。

 最近解放されたことがあるらしく、一度動くと、すんなりと動き始めた。

 そしてついに、開いた。


「追いついたぞ、ねずみ野郎っ」

「手間かけさせやがって」


 一人がようやく、半身を出す。もう一人もついでに、腕の隙間から顔を出していた。ねずみは下がり、鉄格子につぶされないように様子を見守っていた。

 仲良くすごむが、己の姿を見て欲しい。汗にまみれ、下水の泥にまみれて黒ずみ、誰が見ても、立派なドブネズミであった。そんなツッコミなど、入れる者がいるのだろうか。

 もちろん、いる。

 ネズリーと言うねずみが、いったいどこへ彼らを導くというのか、銀行なのだから。


「そうか、そうか、大変だったな」


 ねずみの頭上から、にっこりと、笑顔をしていた。

 逆光のために、仮面の皆様に、その顔立ちを認識することは困難だ。ただでさえ、薄暗い下水の中にいたのだ、目が慣れるまで、服装の色すら認識できない。それでも、声の感じから、にこやかに笑っていることは分かるだろう。

 声は、一人ではなかった。


「ほらほら、足を滑らせるんじゃないぜ」

「一人ずつ上がって来い、手を貸すぜ」


 排水溝のフタがガタガタとわめいていれば、人は注目するものだ。彼らのような役割を持つのならば、すぐさま仲間を集めていてもおかしくない。

 まずは、ねずみが現れる。

 珍しい、ねずみよけのまじないが壊れたのかと、それで終わるだろう。

 だが、ねずみはこちらを警戒することなく、下水を見下ろしていたのだ。そして、何事かと思う前に、人の声がした。怪しいと、静かに仲間を集めるのは、彼ら、警備兵の皆様には当然のこと。

 その次にガタゴトと、こじ開けて昇ってくる連中が、銀行強盗の仮面の姿であれば、にこやかに見守るのが、人情と言うものだ。

 この野郎、待ってたぜ――と。

 まだ光になれていないためか、警備兵だとは、まだ気付かない。必死に下水をけずり回り、ようやく地上に追いついたのだ。

 のぞき込む男達の服装が、町の治安を守る警備兵の皆様だと、いつ気付くだろうか。


「よっし、みんな、一人ずつだ」

「俺は下がる、お前が先に――」


 警備兵の皆さんは、優しい声をかけて迎え入れる。時に手を貸し、泥にまみれても気にすることもなく、にこやかに。

 誰もが、さぁ、ようこそという気持ちがあふれていた。

 いや、そのまま全身全霊で、抱きしめてもいいだろう。

 野郎、逃がすかよ――と。

 一方、お言葉に甘えて、ねずみを追いかけてきた仮面の男達は、地上に近い順にい出ることにした。そうでなければ、ねずみを追いかけることが出来ないからだ。


「苦しいだろう、地上に上がって、新鮮な空気を吸えよ」

「そうそう、マスクも取れよ」


 そろって、言われるままに仮面を、口を覆っていたスカーフを外す。背伸びをする者、座り込む者。中には、渡された水入りボトルを頭からかぶり、汚れを落とす者までいる。それぞれに、やっと到着したという達成感を味わっていた。

 なんともさわやかな笑顔の男達であろうか。

 一人が、気付いた。


「ちゅ~、ちゅ~………」


 ねずみはすっと二本足で立ち上がり、隊長に指輪を差し出した。

 ねずみとて、警備兵達の階級は、腕章にあると知っている。この中で年配者であり、腕章からも隊長だとわかったのだ。

 ねずみは、皆様がひと心地ついたタイミングを見計らい、隊長さんの前で、かぶっていた指輪を差し出したのだ。

 あっけに取られ、その仕草を見守る男達。

 隊長さん自信もあっけに取られていたが、どうやら自分に渡したいのだと、かがんだ。そして、ねずみに手渡されるままに、指輪を受け取ったのだ。

 見過ごせなかったのは、仮面を脱いだ、仮面の強盗団の皆さんだ。


「ちょ………そいつ、そいつの持ってるの」

「返しやがれ、このねずみ野郎」


 仮面を脱ぎ、地べたに座り込んで息を整えていたが、目的を思い出したようだ。

 指を刺されたねずみは、びくりとして、隊長のブーツの影に隠れた。

 可愛らしい、と表現していいのかわからない。ドブネズミと同じく、下水を走り回った後では、特に。

 しかし、心の広い隊長さんは、泥がブーツにつく程度、気にしない。いや、今の状況であれば、例え体をい上がられたとしても、笑顔のままであろう。目の前には、強盗をした姿のままの、犯人達がいる。彼らを導いてきた、ねずみ君なのだから。

 そして、彼らがなぜ、ねずみを追いかけていたのか。ねずみが頭にかぶっていた指輪は今、隊長の手の中にある。

 これがなにを意味するのか、察することは、難しくない。


「はっ、はっ、はっ………まぁ、まぁ、盗まれたものとは、これかね?」


 隊長さんは、ごっつい体格にふさわしく、声も大きく、笑い声は、更に大きかった。そして、手の中の指輪を、男達に見せた。

 素直に、こくこくとうなずく、仮面を外した、仮面の男達。

 これほど朗らかな初夏のひと時は、ないに違いない。ごっついおっさんは、とても気分よさそうに、豪快に笑った。


「笑ってないで、そのねずみを捕まえてくれ」

「そいつがかぶってた指輪、俺たちのボスのものだ。大事なものなんだから、ナぁ、頼むよ」

「そうそう、やっと追いついたんだからさぁ」

「って、あれ?ここ、やっぱ見た事あるって………」


 初夏の日差しが、強く影を落とす。這い上がった仮面をかぶったドブネズミたちを、明るい太陽の下に、照らしている。


「まぁ、こんなところでいつまでも座っているものではない。特別な客室に案内してやろう。指輪の話………持ち主が誰かとか、色々と話を聞きたい。さぁ、遠慮するな」

「「「「「「そうだ、そうだ」」」」」」


 隊長さんの部下さんたちが、声をそろえる。

 なのに、なぜか仮面を脱いだ皆さんは、おかしいと気付かない。それは、疲れているためであった。

 いったい、いつ気が付くのだろう。自分達が、警備兵の方々に連行されているのだと。

 あれ、どこかで見覚えのある場所だ。そんな気持ちで首をかしげながらも、疲れは、頭の回転を鈍らせる。

 自分達を取り囲みながら案内する、やけに親切なお兄さん達が裸足であることも、そういえば疑問だろう。

 今はただ、案内されるままに歩いていた。

 案内される特別な客室が、ここと同じく頑丈なレンガのお部屋で、さらに立派な鉄格子で囲まれてあると知るまで、もうすぐだ。

 見送るねずみは、なぜか敬礼けいれいしていた。

 警備兵の何人かは気付いて、慌てて返礼をする。


 事件発生から数時間。実行犯ご一同は、こうして牢獄ろうごくに到着したのだった。



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