第8話 ティータイムの、決意


「偶然、幸運が転がり込む………そんな甘い期待など、してはならない」


 壮年そうねんの男性が、威厳たっぷりに窓を見つめていた。

 先日は全身をよろいに包んだフルアーマーと言うお姿だったが、ゆったりとした服装をなさっておいでだ。この騎士様のお屋敷の、ご当主であられる。

 書斎の机の上には、この家の紋章が焼印された皮袋が横たわる。袋口が開いているために、銀貨が少しばかり、散らばっていた。隣には帳簿らしいノートが開かれ、訂正のための、赤いインクでなにやら書き込まれ、数字が変更されていた。

 他には獣が彫刻されたペン立てに、ペンに、ロウソク台などがある。机には食後の紅茶らしい、カップが置かれていたが、手をつけていないままに、すでに冷め切っていた。

 ゆっくりと、振り返った。


「偶然の幸運。今回に限っては、転がり込んだらしい」


 目の前には、かしこまって背筋をただしている若者がいた。

 癖のある金髪に、茶色の瞳の、でっかい若者だ。昨日のティーパーティーに出席していた唯一の男性にして、このお屋敷のお嬢様、ベーゼルお姉さんの恋人、アーレックの野郎であった。

 露骨に、ほっとした顔だった。

 何かをしでかしたのか、身に覚えがなくとも、お義父上ちちうえ様の御前であれば、恋人としては緊張するものだ。背丈は190センチほどのたくましい青年だが、どうやらハートはチキンのそれのように小さいらしい。

 いつものことか、主は気にすることなく机の上の銀貨を一つ手に取ると、アーレックに放り投げた。

 なんだろうと、弧を描いた銀貨を、アーレックは受け取る。

 お義父上ちちうえ様の視線から、無言の命令を受けて銀貨をまじまじと見つめると、たちまちと顔を青くした。

 銀の狼の、耳の片方が削れていたのだ。


「………ね、ねずみが銀貨を………何たること、あのねずみは、必ずや私が――」


 ハートはチキンの青年アーレックは、勘違いをした。

 ねずみを逃したために、銀貨を損なわせた。先日は遅れをとったが、使命とあればがんばろうと、欠けた銀貨と、お義父上様ちちうえさまとを交互に見る。

 お義父上様ちちうえさまは、ため息をついた。


「アーレック、よく見ろ。いかにねずみといっても、金属をかじり取れるものか。それはニセガネだ」


 驚愕きょうがくに、目を見開く巨体でチキンハートのアーレック。

 ついでに力を込めて――

 パキッ


「あ………割れた」


 破片が飛ぶ。

 ねずみに出来て、自分に出来ないことが悔しいのか、ともかく、割れた。できましたと、手をまっすぐに伸ばして、二つに割れた銀貨だったものを見せる巨体のアーレック。

 お義父上様は、しばしその様を見つめる。青年アーレックは体格にふさわしく、たいした力の持ち主のようだ。

 マヌケに見えるのは、気のせいだ。

 屋敷の主は返答の代わりに、噛みあとがついた銀貨の山に視線を移した。ニセガネに気付けナかったマヌケは自分も同じだと、ニセガネの山と、無事な財布を見つめる。

 今回気付くことが出来たのは、ねずみが銀貨をかじったおかげなのだ。それも、こちらが気付くように机の上に何枚の並べたおかげだ。

 そう、ねずみのおかげなのだ。


「先週の盗人騒ぎ………何も取られず、未遂に終わったと胸をなでおろしていたのは、油断であった。ニセガネが混じったとに気付かずにおれば、どうなっていたか………」


 疑問はありながら、何をするべきかは、すでに決断していた。

 帳簿には、判明したニセガネの銀貨の枚数を記している。だが、それは私事である、通帳の横には、立派な質感の紙があった。

 それは、公文書に用いられる。社交行事として、子供達の誕生会の招待状に使うほか、地位ある人物同士の手紙に用いられるものだ。公と私事の、両方の意味合いが地位ある方々の日常と言うものだ。

 今回は、公的な役割のため、用いられた。

 すでに紋章が押印おういんされていた。あとは目の前に控えるアーレックに手紙の配達を命じればいいだけだ。


「しかし、義父上ちちうえ。それでは、他の屋敷でも、ニセモノの銀貨が紛れ込んでいると、そしてそれを知らずに広めていると………」


 ほぼ言い尽くして、大柄の、ハートはチキンの若者アーレックはようやく察した。目の前の手紙と、自分が呼ばれた理由。半分私的な関係の二人は、共に騎士の血筋であれば、その手のお役目に就いている。

 今回呼ばれた理由は、公的な用向きを命じられるためである。チキンなハートのたくましい青年は、背筋を伸ばしていた。


「至る場所からニセガネが広まれば、出所の特定は難しい。たいした手間をかけてくれる。ねずみの大手柄だよ、私も気づくことはなかった………」


 屋敷の主は話しながら、本当にねずみの手柄だと感じていた。

 一枚だけならば、偶然ということはありえるだろう。だが、ニセガネを探し出すように仕分け、机の上に並べることなどあるだろうか。

 今は語るべきではないだろうと、青年アーレックに手紙の配達を命じた。

 これは、事件を解決に導くための、対策会議であった。

 公にするのは少し先の、ゼロ号会議。

 第三の参加者がいるとは、彼らはまだ気づかない。

 そう、ねずみだ。

 ねずみは、この会話を耳にしていたのだ。

 優雅な朝食を追え、ベッドルームと言う屋根裏に戻り、余韻よいんを楽しんでいたところに、重苦しい空気が漂っていたのを感じた。

 そして、二人の会話を耳にしたのだ。

 ねずみは、小さくちゅう――と、つぶやいた。

 動く時が、来たようだと。


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