第5話 夜空の下の、陰謀


 リーリン、リーリン――

 夜空に、初夏の虫の鳴き声が響く。

 今は月が天空を支配し、誰もが眠りに就く時間帯。まだ起きているのは、涼やかな虫の音色に耳を傾ける、風流な方々くらいだろう。

 お屋敷にお住まいであれば、ベランダやテラスで夜のお茶会にしゃれ込み、あるいは賃貸の小部屋であっても、窓辺で静かに耳をそばだてるだけでいい。涼やかな初夏の虫の演奏会は、どこでも楽しめるのだ。

 町中と言っても、お屋敷には庭があり、石畳の通りには街路樹が延々と続き、そして公園もある。さらに、町の周囲は、そもそも緑にあふれているのだ。

 ここは、そんな町の外れにある大きなお屋敷である。

 ねずみが身を寄せている騎士様のお屋敷を数倍する広大さで、町の公園がそのまま庭の広さだ。では、部屋の数はどれほどだろうか、二階建てのコの字の巨大なお屋敷に、立派な噴水と屋根つき通路、そして離れまである。

 おまけに、宝物を詰め込んでいてもおかしくない倉庫がドシンと、たたずんでいた。さぞ、名のあるおうちに違いない。

 ただ、栄光は、遠い過去の出来事のようだ。

 公園サイズの庭園は、草は伸び放題に伸び、かろうじて水の通りは良いらしい噴水は、悲しく音を響かせている。音はすれども、うっそうとした森のように低木やら育ちすぎた草やらにおおわれて、姿は見えないのだ。

 肝試しをするにも、危険な混沌である。かろうじて人が住まうと分かる場所は、お屋敷の玄関口と、お屋敷から倉庫までの道くらいなものだ。

 そのレンガの壁の倉庫に、若者は、背中を預けてたたずんでいた。


「栄光は、永遠に続くはずもなく………とは言うが」


 まるで、演劇のようなセリフだが、どこか投げやりに聞こえる。

 月夜に照らされた、少し癖のあるねずみ色の毛髪は、ドブネズミのようだ。

 立派な生地の赤いチョッキには、金色の糸により刺繍ししゅうがされ、なんとも贅沢だ。それは、新品であればと言う但し書きが付く、誰かのお下がりのようだ。糸はほつれ、くすんでいた。

 このお屋敷の主だとすれば、落ち目も落ち目というところだ。それは声にも現れていた。


「首尾は?」


 何かに気づいたようだ。暗闇を見つめて問いかけると、木の影から、口元をスカーフで覆われた男が現れた。


「抜かりなく」


 男は、答えた。

 スカーフで口をおおっていなければ、その姿は執事そのもの。おとなしい黒系統の色調で統一された長袖、長ズボンのスーツスタイルは、その服を着ただけで背筋を伸ばしてくれそうだ。

 私は怪しい執事です。

 影から現れた男を表す、言葉である。


「今回は、銀貨三十枚です」


 ふところから、皮袋を取り出した。

 それなりに入っている、チャリンと軽い音ではなく、重そうに音をくぐもらせていた。この金額を日々持ち歩ける人物は、多くない。一般の労働者の月収に相当する金額である。親方や、どこかの商会の幹部さんは倍、数倍ともらっているだろうが、なぜ、そんな大金を持ち歩くのか。

 しかし、暗躍あんやくする方々には不足のようだ、黒幕気取りの男は肩を落とした。


「………それって、貴族の平均日収じゃぁ………まぁ、今のカーネナイにはそれだけの収入は得られないか」


 ドブネズミヘアーの、古びたチョッキの若者は、小さく微笑んだ。

 ないよりはましと言う、ほっとした笑みである。同時に、もはや栄光は望めず、落ちるところまで落ちるというあきらめの笑みであった。

 会話から、かつては貴族様と同等の収入を得られたようだ。名家の没落した姿との認識に、間違いはない。野生の浸食そのままに放置されたお屋敷で、男達は寂しい会話に、気を落としていた。


「先週は、見つかったんだっけか………まぁ、お前が無事で何よりだ。正体が分からなかったことも………メジケル、お前にはいつも、無理をさせる」

「フレッド様、焦りなさいますな。見つかったのは痛かったですが、ただの強盗だと、何もとる前に、逃げ出したと思われています。騎士の名前は、飾りではなかった………おもしろい弓の名手と槍使やりつかいの夫婦でしたよ」


 陰謀のにおいがする。

 ねずみがこの場にいれば、憤慨ふんがいしたに違いない。貴様らがニセガネを紛れ込ませた犯人かと、ちゅ~っ!――と、叫んだに違いない。


『先週の強盗』

『弓の名手と、やり使いの夫婦』


 こぼれた言葉から、ねずみが身を寄せているお屋敷のことらしい。ニセガネと本物の銀貨とを目立たないようにすり替えることが目的のようだ。素直にお屋敷から財宝をせしめればよいものの、あえてニセガネをしのばせる苦労をするのは、なぜか。

 それも、考えがあってのこと。

 陰謀の予感がする。


「まったく、時間がかかることだ。自分で使ったら早いんだが………そうすれば、オレがニセガネを広げていると、教えるようなものだからな………いや、没落したカーネナイが、いきなり羽振りがよくなったというのも、怪しまれるか」


 懐から、銀貨を一枚取り出して、月にかざしていた。

 月の輝きは、銀色にも例えられる、銀の狼は輝いていた。ねずみが偶然発見した、ニセガネであった。

 レンガの倉庫には、最近並べられただろう、大量のタルがある。人の腰ほどの高さの、小柄な人物がしゃがんだら入れるサイズのタルが二十ほど、所狭しと並んでいた。

 一つは、ふたが開いていた。

 その中身が星明りに照らされ、銀色に輝く。中身はニセガネの銀貨でぎっしりだった。倉庫に並んでいるタルすべてにニセガネが詰まっているとすれば、大変だ。もし世の中にばら撒けば、どれほどの富を手に出来るのだろうか。

 即座に、ばれるに違いない。

 フレッドが自らに突っ込みを入れた通りだ。どこから広まったのかと、流れを手繰り寄せれば、カーネナイに行き着く。

 没落しているくせに、妙に羽振りがいいのはなぜだと、ニセガネが広まった時期と照らし合わせて、即座にばれるに違いない。

 忍び込んでは、盗んだ銀貨と同数のニセガネをしのばせるという手間をかける理由だった。

 気の遠くなるというか、慎重すぎるというか、しかし、それしか手がなくなっている。それが彼らの置かれた状況であった。

 ところで――と、執事が訊ねた。


「フレッド様、予算が底を突きました。このお屋敷はすでに抵当ていとうに入っており、職人達への賃金も、今月分は待ってもらっている状態です」


 緊張感が、消し飛んだ。

 いいや、フレッドと呼ばれたドブネズミヘアーの緊張感は、飛びぬけて底をついたはずだ。へたり込んで、いまにも泣き出しそうだ。


「組合に訴え出られないのが、ウラの仕事の幸いか………なぁ、メジケル」

「密告に、徒党を組んでの一斉蜂起いっせいほうきなど、裏側らしい手段がございます、フレッド様」


 闇の世界にうごめく悪。

 そんな印象が残るものの、悲哀がにじみ始めていた。どうやら、貧しさから裏側にずぶずぶと突き進んでいる様子。

 おまけに、悪事をするにも、たくさんお金が必要なようだ。


「例の計画を、実行に移すしかあるまい」

「この上、カーネナイの名に傷が………いえ、すでにニセガネを広めようとしているのです、今更ですな」


 銀貨のすり替え犯人様だが、今更のようだ。


「はぁ、金が欲しい………」


 名家カーネナイの若き当主、フレッド様は、深くため息をついた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る