第4話 ねずみと、銀貨


 カリカリカリカリ………

 やや耳障りな音が、暗闇に響いていた。だが、音を立てているのは自分なのだ、仕方がない。

 ねずみは、固いものをかじっていた。

 本能だった。

 そうしないと、死ぬのだ。

 ねずみの前歯は、一生伸び続けるという。削れることを気にせずに硬いものも食べられる理由だが、いいことばかりではない。伸び続けるために、定期的に削らねばならないのだ。双でなければ、ものを食べられずに、餓死することになるのだ。ねずみが靴や机やテーブルをかじるのは、そういうわけなのだと、うずうずと、本能が教えてくれた。

 しかし、ねずみは並みのねずみではなく、心は紳士である。机やテーブルの脚をかじるようなマネは、とてもできなかった。

 そのために、銀色に輝く円盤をかじっていた。

 無造作に散らかっていた一つを、拝借したのだ。机をよじ登り、うずうずと訴える前歯をさすりつつ、何かないかと獲物を物色していると、銀色に輝く円盤が目に付いたのだ。ねずみには両手で抱えるサイズの、円盤状の金属の塊であった。

 家具に削り跡を付けたくない。しかし、これならいいだろうと、手に取ったのだ。

 そして、ねずみの歯を削る道具として、贅沢ぜいたくに浪費されて――


「ちゅ?………ちゅぅううううううっ!」


 ねずみは、叫んだ。

 ほっと一安心で、噛み心地を味わいつつ、ところで、この銀色の輝きは何だろうと、ぼんやりと円盤の仲間たちを眺めていると、気付いた。

 そして、とんでもないことをしたと、叫んだのだ。

 手にしていたのは、銀貨だった。

 狼の姿が彫られている、この国の銀貨であった。

 大慌てで、金属クズをかき集めるねずみ。目の端で、情けなそうに方耳をかじられた銀の狼が見つめてくる。


「………ちゅう?」


 ここで、ねずみは気付く。

 如何いかにねずみの前歯が頑丈であるとはいえ、銀貨をがりがりとかじり、形を変えることが出来るものだろうかと。

 情けなそうにこちらを見つめてくる銀の狼は、何も語ってはくれない。ねずみは、かき集めていた金属のクズを見る。

 手にとってみる。

 本物であれば、全て銀色の金属クズのはずだが、ほとんどは銀色の光沢を放っていない。改めて、銀色の円盤を見てみる。がっしりと手につかみ、持ち上げる。ねずみにとっては、胴体ほどの大きさである。かつてはありがたがっていた………はずのものである。めったにお目にかかることが出来なかったに違いない、ねずみは冷静を装いつつ、銀貨をかじったショックに、発狂寸前だった。


「ちゅ~………ちゅ~………」


 はやる鼓動を抑えながら、月明かりの下に姿をさらす危険を冒した。

 円盤表面は、確かに金属らしかったが、表面だけだ。ねずみの前歯で削れるほど、薄い金属膜だった。

 後ろを振り向く。

 机の上には、皮袋が横たわっている。屋敷の財布であろう、この家の家紋が焼印されているがよく見えない。となりには、帳簿らしいノートが置かれていた。他には獣が彫刻されたペン立てに、ペンに、ロウソク台などがある。

 この屋敷の、主の書斎であった。

 本日の帳簿を付け終わったまま、放置されていた財布からこぼれた銀貨を拾ったのだ。

 そして、がりがり、かりかりかり………と、かじった。

 かじれるはずがない、金属の塊をである。

 そして、気付いたのだ。

 なんだ、これはと。


「ちゅ………ちゅ、ちゅ~………」


 ニセガネだ、何とかしなくてはと、ねずみは、ぶつぶつとつぶやいた。

 まだ出会って半日でありながら、この屋敷に住まう人々の人となりは、おおよそ把握した。

 少なくとも、ニセガネ作りに加担するような人々ではないと。

 ニセガネを、つかまされたのだろうと。

 ねずみは、許せないと思った。そして、何とかしなくてはと。

 罪悪感も、少し手伝っていた。平和な午後のお茶会をぶち壊しにしたのだ。ついでに、破壊の嵐を呼び込んだ元凶である。

 まぁ、お嬢様方の超・過剰防衛の結果なのだが………そんなに嫌わなくてもと、少し傷つきつつも、思考は様々にめぐる。ともかく、この銀貨がニセガネであると、屋敷の人々に伝えるべきだと。

 だが、ねずみの身の上で、一体何が出来るだろうか。ねずみは、銀色の狼と向かい合う。

 情けなく、片方の耳を失った銀の狼と、向かい合う。

 決めた。

 新たに、一枚を手にした。

 直感であったが、ニセモノだと思った。いくつもかじり後があれば、あるいは誰かが気付くはずだと。例え本物であってもかまわないと、ねずみは、懇親の力を込めた。


 カリカリカリカリ………


 これも、ニセモノだった。

 形が変わったことを確認すると、ねずみは次の銀貨を手に取る。この皮袋の財布だけで、何十枚も銀化が詰まっている。この全てがニセガネか、あるいは数える程度しか混じっていないのか、分からない。

 それでも、見て、手にして分かる程度なら、屋敷の主も記帳のついでに気付いたはずだ。

 気付いていないのなら、教えるべきだ。

 ねずみは皮袋を静かに倒すと、怪しそうな一枚を手にする。


 カリカリカリカリ………


 またも、ニセガネだった。耳がかけた銀の狼を、机から落ちないように、けり捨てる。そして、新たな一枚を手にする。

 ねずみだからか、妙に感がさえている。月明かりに輝く銀の狼たちが教えてくれるように、次はこれが怪しいと、手に取る。その繰り返しだ。

 せめてもの恩返しなのだと、ねずみは懇親こんしんの力を込める。


 カリカリカリカリ………


 初夏の夜更け、書斎には、不気味な音が響いていた。




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