第3話 サーベルと、弓矢と、斧と、チキン
きゃーきゃーと、女性たちに追いかけられる。
それは、男の夢ではなかろうか。
ねずみは、思った。夢を見ていた頃は、若かったと。
体験してみると、夢など吹き飛ぶ、命がけの逃走劇であった。
まぁ、ねずみを踏んづけるという殺し方を、ここの淑女達は、まさかなさるまい。本能的に、怒りに任せて追いかけているだけに違いない。
だが、それで終わってくれるだろうか。追いかけて、逃げ切って、おわる。そんな生易しい淑女達だとは、到底思えない。
いやな予感が、壁にかかっていた。
凶悪なる鉄の輝きを、逃げながらも、ねずみは横目で確認した。
ここは騎士様のお屋敷らしく、壁には色々とかけられていたのだ。片刃のサーベルに、斧に、弓矢に、槍。鎧は見当たらないが、あっても不思議はない。鉄球以外の、騎士が持つだろう武器の全てがそろっていた。
壁に到着したねずみは、気付いた。先ほどまで、確かにそこにあったサーベルに弓矢に斧が、飾られていた場所から消えていたと。
すっと、風が頬をなでた。
「………ちゅ?」
目の前を、すっと、何かにさえぎられた。
いやな汗がつつっ――と、額から流れ出た。
それを、鏡のようにして、目にしていた。
鉄製の、やじりであった。
「あらあら、すばしこいこと。私の矢を
にこやかな奥様の言葉である。
言葉だけは、にこやかな奥様である。
ねずみは、恐る恐る振り返る。
そこには、ちょっと待てという絵図があった。
「今度は、連射しちゃうわよ~――」
上品な奥様は、弓矢をこちらに向けていた。金のロングストレートに、青の瞳の貴族の奥様と言った笑みの、冷酷な弓使いがいた。
「ぶっ殺すわよぉ」
フェンシングでも習っておいでなのだろうか、明るいブラウンのロングヘアーに、青の瞳のお姉さまは、サーベルを手にしていた。
「殺すっ」
小さな女の子までが、武器を手にしていた。
斧であった。
子供といっても、侮ってはいけない。十歳あたりの女の子様も、意外と力はお持ちのようだ。先ほどの可愛らしい悲鳴はどこへ行った、殺意の瞳であった。
そして、抱きしめていたお人形さんは、どこへ行った。まるで将軍のような貫禄で、武器を手にする女性たちを後ろから見守っていた。
椅子にだらしなく身を任せて、フリルのスカートが少しだらしないことなど気にしない、威圧を放っていた。
全ての女性の瞳が、等しく言っていた。
死ねと。
ねずみは、ふるえた。
男も、ふるえていた。
この部屋においての、唯一の男という巨漢の青年は、ねずみよりも縮こまって、部屋の隅にいた。
今は気にしなくていいだろう。
「駆除よ、駆除」
にっこり笑顔で、奥方は弓矢を乱射なされた。
トトト――という連射速度で、三連射なされた。弓矢でそれは、ありえない。ねずみの前後左右に、次々とうがたれる三連射である。
かすかな隙間に救われ、ねずみは刺さった矢の隙間から抜け出した。
つかの間のことだった。
「死ねぃ」
残像の、嵐であった。
お姉さまによるサーベルの一撃、一撃が残像を残して、ザザザザザっ――と、壁に穴を開けていく。瞬間でも、その場に立ち止まったとすれば、ねずみ程度、たちまちミンチと化すだろう。
しかし、ねずみである。
そのすばしっこさは、人の域を超えている。加えて、ねずみはドブネズミではない。手のひらに乗る、小さなねずみである。そのため、あまりに小さいため、剣の殺傷範囲から、幸いにして逃走に成功する。
走る、走る、走る。ねずみは、必死に走る。
刺さる、刺さる、刺さる。壁に次々と、矢が、刃が刺さる。
それら嵐のような攻撃だが、ことごとくねずみを外していた。それは、ねずみのすばしこさと、小ささが故ある。
多くを占めているのは、運に違いない。
しかし、この運が、いつまで持つか分からない。ねずみは必死に周囲を見回す。お姉さんの剣の連打によって穿たれた壁の穴から、逃げられないだろうか。
いや、
逃げ場は、どこか。
未知の感覚を働かせ、ねずみはすっと、後ろへ下がった。瞬間、破片が目の前を
ドガッ――
斧が、振り下ろされた。
「もぉ~っ、逃げちゃだめぇ~っ!」
ピンクのスカートが、ふわりと舞った。
十歳に満たない女の子が、斧を振り回していた。おそらく遠心力を利用しているのだろうが、優れた運動能力があってこそできる技である。力のなさを感じさせない、全身を半回転させての一撃だった。
将来が、とっても恐ろしいお嬢様だ。
「ったく、すばしっこいったら………こうなったら」
お姉さまは、何かを思いつかれたようだ。どかどかと部屋の中央へ向かうと、四本足のテーブルに、そっと手をかけた。
スカートの幅ぎりぎりまで仁王立ちに足を開いて、机を高らかに持ち上げていた。
ねずみは、壁際でふるえた。
ついでに、男も震えていた。
確か、アーレックと呼ばれていたと思う。お姉さん五人分くらいの力を持っていそうな男が、震えていた。
「ちゅ、ちゅ~?!」
いやいや、それはないだろうと、紳士なねずみは叫んだ。おまえこそ武器を持てと、むしろお前は机を持ち上げてもいいんだよと。
でっかい図体の癖に、ねずみにおびえ、縮こまっている若者に、ねずみは命の危機を忘れて、盛大に突っ込みをいれた。
ただし、口から出るのはネズミの鳴き声である。武器を持つ女性達には、どのように聞こえたのかは、分からない。
悲鳴か、
あるいは、命乞い。
ドゴン――
無慈悲に、重量物がほこりを立てた。
終わったか。
とっさに目を閉じたねずみは、恐る恐る目をあけた。
待て、違うぞと、即座に思い直す。終わっていないと、ホコリがもうもうと舞う周囲に、風の気配を感じたのだ。
ねずみは叫んだ。
「ちゅー、っ――」
作戦、成功と。
机の衝突によって壁に大穴がうがたれ、ねずみが逃げる隙間が生まれていたのだ。作戦など立ててはいなかったが、勝利の雄たけびを上げたのだ。
ささっと、壁に開けられた穴から、裏側へ滑り込んだ。
はぁ、たすかった。
ねずみは、安堵の鳴き声を口にする。
「ちゅ~………っ」
汗をぬぐう仕草の、オマケつきだ。女性たちが目にすれば、壁を剥ぎ取ってでも、ぶっ殺しに現れるに違いない。
「どこ、どこいったのっ」
「姉様、机の後ろっ」
お姉様は油断なくサーベルを構えて辺りをうかがうと、妹様は斧を振りかぶって、答えた。
そこへ、怒鳴り声と共に男が現れた。
「何事だっ」
フルアーマーが、現れた。
癖のあるこげ茶に、少し白いものが混じった壮年の男性が、フルアーマーで現れた。
このお屋敷の、主であられた。
騎士様だと分かる、全身を鎧で固めたお姿のフルアーマーだ。なるほど、やはり騎士様の邸宅らしく、鎧もしっかりと備わっていたようだ。
「あら、あなた」
「お父様」
「とうさま」
「ひっ、お
反応は、またも様々であった。
一人、若者がおびえていたのは、気のせいだろうか。しかし、父親と呼ばれた屋敷の主は、しばし時を止める。わが屋敷が破壊の嵐に見舞われたのだ、仕方あるまい。
「………また、やったのか」
破壊の
てへっと。
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