第2話 優雅なる、お茶会


 初夏の木漏れ日が、白亜のテラスを優しく照らしていた。

 石畳はしっかりと磨かれ、ちょっとしたお城のようだ。よく整備された庭の緑に、白亜の石畳が、よく映えていた。

 優雅なる、午後のひと時。

 木製の丸いテーブルは、おしゃれに飾り立てられている。白いレースのテーブルクロスがふわりとかぶせられ、さらにその上には、上品な白の輝きを誇る、ティーセットが並んでいた。

 まだ出番ではないようだ、カップの全ては、退屈そうに伏せられている。大きなポットからは湯気がもうもうと上がり、その時を待っているのだ。食器だけではない、お菓子はクッキーとジャムに、小さなサンドイッチと種類も豊富だ。

 ティーパーティーの、準備である。

 ここは、とある騎士様のお屋敷。よく手入れされた庭の芝生からは、腰一つほど高い位置にある、白亜のテラスが会場だ。

 男は、気取ってため息をついた。


「ちゅ~………」


 優雅ゆうがな時間に、目を細めるねずみが一匹。

 風は温かで、木漏れ日の日差しも、水浴びの後にはちょうど良い暖かさだった。自然と毛並みが乾いていく。

 ねずみは、すっかりと落ち着きを取り戻していたようだと、己に浸っていた。

 下水で目覚めたときには、恥ずかしながらパニックにおちいりかけたが、過去のことだ。今はティーパーティーの席について、優雅ゆうがなひと時を過ごしているのだと。

 ねずみはそっと、クッキーに手を伸ばす。

 肩幅ほどと巨大なクッキーだったが、もちろん、些細ささいなことだ。

 一口、かじった。

 さくっとしたやさしい歯ごたえが、たまらない。空腹であったことをたちまち思い出させて、もう、止まらない。少し品がないのだが、租借の音が響いてしまった。


 サクサクサクサクサクサク………


 リスがどんぐりをカリカリとかじるがごとく、むさぼった。

 なお、リスではない、ねずみである。鼻先から尻尾の先までの長さが5センチほどという、小さなねずみさんだ。

 今は、ねずみの自分を忘れたい、優雅な午後のお茶会である。光に導かれるように地上に出ると、用意されていたのだ。

 もちろん、清潔は心がけている。幸いにして、噴水から、常に流れ落ちているきれいなせせらぎがあった。小さいながらも、美しい噴水から常に流れ出ていたのだ。

 たちまち、下水の汚れが拭い去られ、元のきれいな毛並みを取り戻す。

 そして、庭師のものだろう手ぬぐいを発見、庭師に心でわびながら、水気をぬぐう。

 さすがに水は冷たかったが、初夏の日差しに、震えた水滴はたちまち乾いていく。テーブルに着く前の、最低限のマナーなのだ。

 男は、紳士の心を持ったねずみなのだ。婦女子と目が合えば、素敵な会釈をする、素敵な紳士なのだ。

 女の子が、現れた。


「………………………」


 可愛らしい金髪のお人形さんを胸に抱きしめている、小さな女の子だった。

 お人形さんとおそろいの、柔らかそうな金髪のロングヘアーは光を浴びて、クリーム色に輝く。緑色のくりんとした大きな瞳は、まるで宝石のようだ。ひらひらフリルの薄いピンクのスカートも、お人形さんとおそろいだった。可愛らしい女の子と、そのお友達のお人形には、とてもよく似合っている。

 しばし、見詰め合う。

 男は、少し照れくさかった。お菓子をほおばる姿で、目が合ったのだから。少女の家族だろう、後ろでは、女性たちの笑い声が、上品に響いていた。


「アーレックったら、まだお父様のことが怖いんですって、図体ずうたいはでっかいんだから、ハートも強く持ちなさいよね」

「いや、ベーゼル。お義父上ちちうえは上官でもあってだな………いや、だからお前に………その」

「ふふふ、格闘大会の優勝者が、ベーゼルの前だと形無しね?将来の息子がどのような当主になるのか、本当に楽しみ」


 楽しそうな会話だった。

 ねたましい、女性たちに囲まれた男の気配があるが、まぁ、良い。まずは挨拶をするべきであろう。ねずみはごくりとクッキーを飲み込むと、だらしなくティーカップに背中を預けていた姿勢を、少し正した。

 紳士としての、マナーである。

 まずは、目の前で目があったお相手に、ご挨拶を申し上げるのだ。それが小さな女の子だといっても、子ども扱いをしてはならない。心は紳士のねずみは、改めて小さな女の子を見上げた。

 女の子の唇が、わずかに開いたのと同時だった。

 可愛らしい唇は何かを口にしようとして、そのまま固まっていた。初対面の人物を前にして、緊張をしているのかもしれない。

 無理もないことだと、紳士なねずみは思った。

 口を開くにも、まだ勇気がいるのだ。ならば、こちらから挨拶をすべだ。小さな淑女に、ねずみはご挨拶申し上げた。


「………ちゅう」


 少し、気取ったつもりだった。

 はじめまして――と。

 だが、ねずみだ。

 女の子には、ねずみの鳴き声しか届いていないのだ。それはもう、女の子の手のひらに乗るくらいの、小さなねずみさんだ。そのネズミさんが、ティーパーティーのセットが整った、テーブルの上で、クッキーを食い散らかしていたのだ。

 女の子のつぶらなお口は、大きく開かれた。


「きゃぁああっ、ねずみぃいいいいっ」


 当然の、反応である。

 可愛らしい悲鳴に驚いたのか、ご家族が駆けつけた。

 十七歳か、十八歳か、女の子の少し年の離れたお姉さんに、母親だろう、上品な奥様が駆け寄った。

 憎らしい、若い男もそこにいた。


「なになに、どうしたの?」

「あらあら、なぁ~に?」

「わっ、ねずみ?」


 このお茶会の、本来のメンバーたちである。

 ねずみは、心は紳士である。勝手にお菓子を口にしたのは自分であるのだ。ならば、謝罪を口にすべきだ。例えうらやましいご身分の大柄の青年がいても、まずは謝罪を口にするのだ。

 それに、弁明も。


「ちゅ~、ちゅう、ちゅう、ちゅ~………ちゅう」


 ねずみは、必死に言葉を口にする。

 両手を広げて、必死にアピールする。危害を加えるつもりはないと、どうか、落ち着いてくださいと。

 さて、その光景は、お人形さんを抱いた少女に、後ろに立つ女性たちに、どのように映るだろうか。ねずみがティーパーティーの準備が整ったテーブルの上で両手を挙げて、鳴き声を立てている。足元に、食い散らかした現行犯の、クッキーもある。

 ティーパーティーのメンバーの反応は、様々だった。


「おかしいわねぇ、ねずみよけのまじないは、まだ交換まで結構あるのに………」


 奥様は、ねずみの必死の訴えを横目に、冷静に状況を分析しておいでだ。

 さすがは大人の女性といったところだ。突然の来訪者に、一切動じておられない。

 金髪のロングストレートに、青の瞳と言う、絵に描いたような美女であられた。


「ほら、先週の強盗騒ぎがあったでしょう?母さまが追い払った………きっとその時に壊されたのよ」


 長女様も、冷静なようだ。

 まっすぐロングヘアーはブラウンで、瞳はき通るような青色をしている。年のころは、そろそろ大人の女性の雰囲気を出し始める、十七~十八歳辺りのお姉さんだ。

 ねずみごときにおびえていないという仕草は、強がりではないだろう。強がっていられないのは、このお二人だった。


「ねずみ、ねずみ、ねずみぃ~」


 小さな女の子は、奥様のスカートのすそをつかんで、足をじたばたさせて叫んでいた。見ている分には可愛らしい、小さな女の子が、パニックになっている姿である。

 原因となっているねずみとしては、複雑な気分だった。

 見ていて可愛らしく、拒絶されて悲しく、そして、困惑だ。

 そう、この中で唯一の男の反応が、困惑だ。


「ひっ、ね、ねずみぃいいい」 


 ねたましや、三人の淑女に囲まれた野郎が一番、おびえていた。ねずみは、心からの叫びを口にする。


「ちゅぅううううううううっ」


 後ろ足で立ち上がり、両手を広げて泣き叫ぶ、小さな獣。

 鳴き声で、泣き叫んでいた。


「ひぃ、兵、警備兵………は、オレだけど」


 奥方より頭が一つ、もう一つ背の高い、背丈は190センチに届くだろうか、恵まれた体格の持ち主が、おびえていた。このお屋敷の衛兵なのだろうか、ちょっと違う気もする。

 しかしながら、誰一人として、まともにねずみの言葉に耳を傾けてはいない。

 一人くらい、可愛いねずみさんと言う反応をして欲しかったと嘆いても、仕方がない。これが、ねずみと言う生き物の地位なのかと、心でうなだれるねずみだった。

 混乱を収めたのは、奥様の一声であった。


「はいはい、淑女はそんなに取り乱すものじゃありませんよ」


 美しさが、内からあふれるお年頃の淑女は、腰でパニックを起こす娘さんの頭をなでつつ、たしなめる。

 姉のようだと、口をついてもおかしくはない。それは相手を喜ばせるための言葉でありながら、少し本気で、そう思う美貌びぼうのたたずまいである。

 そして、容赦もなかった。


「でも、お茶会は中止ね。ねずみさんが触ったから、そのお菓子も処分しないと」


 きれいに飾られたクッキーの山が、悲しくたたずんでいた。

 衛生的観点から、当然の判断である。まして、我が子の口に入れるものならば、母親としては絶対に譲れないはずだ。

 この決定は、何を意味するのだろう。あれほどじたばたとパニックを起こしていた小さな女の子が、静まり返っていた。


「………処分って?」


 奥様のスカートのすそをつかんだまま、静かに顔を上げる。

 処分と言う単語が理解できなかったわけではなさそうだ。奥様の顔を見つめて、本気なのだと判断するためだろう。

 しばし見詰め合う、母と娘。

 動じない奥方の笑みが、そこにあった。

 女の子は、もうすっかりと冷静におなりのようだ。母親のスカートを手にしたままであっても、そうなの、そうなの………と、落ち着いていた。

 静かに、うつむく。

 さすがは親子、無言のやり取りで、お母様は本気だと判断したらしい。それは、隣で大人ぶっていたお姉さんも同じであった。お姉さんぶっていても、まだ食べたい盛りに、目の前にはお菓子の山だ。

 女の子の顔が、見る見る変わっていく。

 恐怖から嘆きに、嘆きは怒りへ。先ほど悲鳴を上げた小さすぎる生き物への瞳が、怒りに満ちていた。

 ちらりと、となりにあるクッキーの山を見る。

 それは贅沢にもジャムにアーモンド、チョコレートと、様々なトッピングがなされていた。もちろん、無地のクッキーもある。数が多いからと、ねずみがさくっと頂戴した品である。まるでリスのようにほおばるほど、さくさくの触感は空腹にはこたえられなかった。あっさりとした上品な甘さを、このクッキーの味を、ねずみは忘れることはないだろう。

 その全てが、廃棄されることが決定されたのだ。

 一匹の、ねずみによって。

 ねずみは、申し訳ない気持ちでうつむくも、いつまでも、そうしていられなかった。場の空気が、とても危険なものに変わったと、野生の感が教えるのだ。

 ねずみにおびえていた小さな女の子が、おとなしくなっていた。

 ヤバイ。

 ねずみは、小さく、あとずさる。

 くりんとした可愛らしい緑色の瞳は、殺意のきらめきをたたえていた。抱きしめられたお人形さんの顔も、なんだか怖い。角度の違いに過ぎないはずだが、こちらを無感情に見下す瞳に、不気味な威圧感がある。

 静かなる怒りは、背後にたたずむ奥様と、そして、お姉さんからも漂っていた。


「とりあえず、駆除くじょしましょう」

「そうね、殺さなきゃ」

「私、アイツ、殺す」


 逃走劇が、始まった。


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