生まれ変わったのはいい。だが、ねずみだ

柿咲三造

第1話 生まれ変わったら、ねずみだった


 男は、うっすらとまぶたを開けた。

 ここはどこだろうと、ぼんやりと空を見上げると、やけに広大な空間が広がっていた。

 一度、目を閉じることにした。

 再び、暖かな闇色が視界を覆う。目の前も薄暗い景色なのだが、この方が落ち着くのだ。混乱してはならないと自分に言い聞かせて――自分の名前も、そういえば分からないと思い出す。

 事故にでも、ったのだろうか。

 ならば、記憶があいまいであることも納得が出来ると、男は冷静に、自らの置かれた状況を分析しようとしていた。

 腕を組んで、理的な青年を気取っていた。

 しかし、浸っていることは出来ない、臭気が邪魔をするのだ。というか、鼻をつくのだ。ここに長くいてはいけないと、男を覚醒させる。

 改めて、目を開けてみる。

 意識は、先ほどよりもすっきりしている。目を閉じ、落ち着いたおかげなのか、視界もすっきりだ。その目に映る景色は、どんよりだった。

 いいや、どんよりと言うより、どっそりだ。

 うっすらとした暗闇である理由が、天井からさしていた。まぶしい明りが、格子状の細長い影を作っていた。牢獄に閉じ込められたのか。そのように考えなかった理由は、広大さにある。

 それと、せせらぎ。

 あとは、臭気。

 まるで下水のようだと、男は改めて周囲を見渡してみる。

 闇に目が慣れてきた、くっきりと見渡せる。壁や柱は頑丈なレンガ造りで、お城の地下といわれても信じるほど、立派なつくりである。

 間違いない、下水だ。

 まるで下水のようだと思っていたが、お城のように広い、下水だった。

 しかし、それにしてもと、男は腕を組んだまま、天井を見上げた。

 巨大すぎた。

 いったいどうなったのかと、顔に手を置いた。

 とたんに、驚愕する。

 とっさに後ずさりをして、しりもちをついた。何かが顔に、覆いかぶさってきたのだ。

 すると、またもや奇妙なものが映った。

 悲鳴を上げようとしても、声が出ない。

 恐怖や衝撃が、男の許容するところを、超えたというのか。それが、自分の手や足、毛むくじゃらの腹だと気付いたのは、すぐのことだった。

 感触があるためだ。

 おおいかぶさってきたものを払いのけようと、男はあわてて手をふり、違和感が核心に至った。

 手を動かすと、自分の目の前にある不気味に長い指がうごめくのだ。

 まさかと、男の動作が止まると、細長い手も止まり、おもむろに自らに近づけると、近づいてくる。この場から遠ざかろうとあがく足も、自分の手や足でなければ、説明がつかない。


「――ちゅう~………」


 ――?

 男は、口を押さえる。

 不気味な手のひらが口を覆うが、気にしていられない。今いったい、自分は何を口にしたのだ。男は恐る恐る、言葉を発しようとする。

 ここは、どこだと。


「………ちゅう………」


 ………………?

 静かに、呼吸をすることにした。

 大きく腕を開いて、深呼吸。

 声が、れた。


「ちゅう~………」


 そんなばかな。

 男は、自分で自分に突っ込みを入れて、怪物の手で頭をさすった。いや、これは怪物ではなく………と言うより、先ほどの自分の声は?

 そういえば、ここは下水であった。

 そう、水が流れているのだ。

 水は、物を映すのだ。

 よどんでいても、シルエットくらいは分かるだろう。さらさらと、悪臭をただよわせるせせらぎに、一歩、一歩と近づく。

 そぉ~っと、そぉ~っと、しずかに――


「ちゅう~………ちゅ~………」


 男は、心で自分に言い聞かせようと、静かに鳴き声を上げる。

 そして………


「………ちゅ………ちゅ~っ!?」


 男は、叫んだ。

 声に出ないが、鳴き声は出ていた。

 あとずさる。

 そして、たおれた。

 コケにでも、足を引っ掛けたに違いない、男は仰向きに倒れた。目の前には、広大なアーチ構造のレンガの天井が、一面に広がっている。巨大な洞窟に紛れ込んだ、勇者の気分だ。

 だが、巨大だった。

 あまりに、巨大だった。

 如何に巨大迷宮の様相を呈する、都市下水網であったとしてもだ。

 そう、自分が縮まない限り………だ。

 いや、縮んだと言うより、むしろ――


「ちゅ………ちゅう、ちゅう、ちゅう………ちゅ~………ちゅうっ!」


 男は、不気味な怪物の手でまぶたを多い、ぶつぶつと独り言をつぶやいた。

 つぶやきながら、この鳴き声にはとってもなじみがあると、思い出そうとする。大きな丸い耳に、細長い鼻と言う顔を、鏡で見る必要がなく、思い描けてしまった。

 そう、ねずみだ。

 独り言も、一人突っ込みも、ねずみの鳴き声であった。

 しばし、一人突っ込みと、広大な洞窟のごときレンガの天井を見上げて、思考する。このようなことは、現実に起きようはずはない。

 だが、起きてしまったのだ。なら、認めるしかないだろうと。

 そう、自分はきっと死んだのだと、混乱の最中にいた男は、そう思った。

 思わざるを、得なかった。

 巨大すぎる下水に自分がいるというより、自分が縮んだというより、何かになったというべきだ。

 それは、なにか。

 苦悩して顔を覆った手も、とがった鼻も、丸い耳も、毛むくじゃらのほっそりとした丸っこい腹も全てが、表しているではないか。

 ねずみだと。

 どのような最後であったのか、今となっては気にしても仕方がない。分かった、認めよう、自分は死んだのだと。

 そして、なぜだか知らないが、生まれ変わったのだと。

 そう、認めよう、生まれ変わったのは、まぁ、いいと。


 だが、ねずみだった。


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