ツンヤン彼女 下②

翌日、全休の彼は蝉の鳴き声を聞きながら普段通りの一日を送っていた。

ふと呼び鈴が鳴る。

「はーい」

ドアを開けると、そこには見慣れた姿が。

「か、神田」

面食らったような表情でやってきた人物を見る。

「やっほー。遊びに来たよ」

白のワンピースを着た神田がにこやかに手を振っていた。

「今日は休みだぞ」

「あのね、こういうのは徹底しないとかえって怪しまれるのよ」

ため息をついてそんなことをいう彼に神田も負けじとため息で返す。

「そういうもんなのか」

「そういうもんなの」

「それじゃあ、おじゃましまーs」

「待って」

彼女が家に入るまさにその瞬間、不意に声が聞こえた。

「「え?」」

思わず振り返る神田。

「まさか・・・」

彼もそこに静かに佇む者の姿を認め、冷や汗が流れるのを感じる。

「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいよね?」

二人の視線の先には琴音が静かな笑みを浮かべて立っていたのだった。




現在、三人は彼の部屋にいた。

琴音と付き合いの長い彼は玄関前での彼女の様子から何か嫌な予感を胸に抱いていた。

そうなると当然くつろいで遊べるはずもなく、先ほどから気まずい沈黙が空間を仕切っていた。

琴音と神田は笑みを浮かべながらお互い視線を合わせてはいるが目が笑っておらず、彼は冷房がかなり効いているはずだというのになぜか汗をかいていた。

くつろぐどころか生きた心地さえしないのだった。

蝉の鳴き声がやけに大きく聞こえるような気がした。

「で、どういうこと?」

まず、この静かな空間に一石を投じたのは琴音の方だった。

「どういうことって?私分かんないな~」

対する神田は琴音を煽るように意地の悪い笑みを浮かべる。

「とぼけないで、私知ってるんだよ?」

「昨日のことって?」

神田は相も変わらずニヤニヤとした笑みを浮かべながら平然と聞き返す。

そんな彼女に彼はもう気が気ではなかった。

作戦は即刻中止、一切合切をぶちまけた方がいいのではないかとさえ彼は思っていた。

「仲良さげに手つないでたよね。前まではそんな関係じゃなかったのに」

琴音の口元が痙攣しているように引くついていた。

自分の感情を抑制するのに必死だということは誰の目から見ても明らかだった。

しかし、神田はぶれない。

「うん、だから?」

「だからどういうことかって聞いてるのよ!!」

のらりくらりと話の核を躱し続ける神田に彼女は遂に激高する。

涼しい顔の下にはマグマのような感情が絶えず次から次へと湧き続けているようだった。

「それがあんたに何か関係あるの?」

「はぁ!?」

「だってそうでしょ?あんたは西田の恋人でも何でもないのよ。ただの友人・・違う?」

「い、いや・・・でもッ!!」

「でももへちまもないでしょ?彼がどれだけあんたのこと大事にしてるか十分に分かってるくせに、彼の告白を何回うやむやにしてきたの?どれだけ彼を弄べば気が済むの?」

「ち、違う!そんなつもりじゃ・・」

反射的に否定の句が出たが次ぐ言葉が出てこない。

彼女の言葉は紛れもない事実であった。

「あんたが何と言おうと彼が傷ついていたのは事実なのよ。想い人に自分の気持ち一つ伝えられない女が人に説教できる立場かしら?もう少し身の程を弁えて発言しなさい!」

神田が珍しく語気を強める。

何も言い返せず俯いたままの彼女に神田は挑発的な笑みを浮かべながら西田の腕に自分の腕を絡める。

「お、おい!よせよ」

「いいじゃない。別に」

「ッ!!」

「待ってくれ!琴音!」

一瞬西田を見つめた彼女だったが、すぐにその光景を頭の中から振り払うように部屋を飛び出した。



「おい!言い過ぎだぞ!」

「ご、ごめん、つい熱が入っちゃって・・・どうしよう」

彼女が帰った後、あたふたと急に慌てだすふたり。

もうすでに本来の計画とは大きく乖離している。

それ自体はまだいいのだが、数少ない親友にあれだけのことを言われた彼女のメンタルのケアのほうが二人にとっては気がかりだった。

もし、彼女が二人の関係を応援するように意志を固めてしまえば今までの作戦は水泡に帰すどころかさらに悪い状況となるのは目に見えていた。

「もう、ネタ晴らしするぞ。あいつが心配だ」

「うん・・・本当にごめんなさい」

「謝るのは俺にじゃない、琴音にだろうが。ほら早く行くぞ」

「うん!」

そういうと二人はすぐに彼女の後を追った。





琴音は無我夢中で走っていた。

どこをどう走ったのかも分からない。

気が付けば自分の部屋にいた。

激しい動悸がまるで警鐘を鳴らすかのように頭の中に響く。

頭の中がごちゃごちゃで何から整理していけばいいのか分からない。

糸が切れた人形のようにベッドに倒れこみ、そのまま布団を頭からかぶる。

彼女の脳内には先刻神田から言われたセリフがフラッシュバックしていた。

『あんたは西田の恋人でも何でもないのよ。』

『彼がどれだけあんたのこと大事にしてるか十分に分かってるくせに、彼の告白を何回うやむやにしてきたの?どれだけ彼を弄べば気が済むの?』

『あんたが何と言おうと彼が傷ついていたのは事実なのよ。想い人に自分の気持ち一つ伝えられない女が人に説教できる立場かしら?もう少し身の程を弁えて発言しなさい!』

「違う違う違う!!私はそんなことがしたかったんじゃない!!」

時間が欲しかった。

素直になれないのは誰でもない自分が一番よくわかっていた。

もっと時間をかけてゆっくり彼との仲を深めていきたかった。

長い時を一緒に過ごしてきただけに彼なら言わなくても分かってくれるという驕りがあった。

彼が自分以外の女に惹かれる可能性など全く考えつかなかった。

相思相愛で、この関係がずっと続くんだと根拠もなく信じていた。

付き合って、結婚して、子供が生まれて、二人でともに老いていく。

そんな輝かしい未来はもはや霧の中。

ぼやけ、遠ざかってしまった。

彼は必死に自分の思いを伝えてくれていた。

そんな彼の熱を彼女は受け流し続けた。

いい加減な、不明瞭な理由でまだ時期じゃない、まだ時期じゃないと彼と向き合うのを拒んだ。

その結果が・・・

彼女の頭に先ほどの映像が湧き上がってくる。

神田が彼と腕を組み、勝ち誇ったような視線を浴びせてきたあの光景。

神田の言葉に何も言い返せずにただあの場を去ることしかできない情けない女。

「ああぁぁぁぁぁ!!!私の馬鹿!馬鹿!馬鹿!馬鹿!!」

瞬間、彼女の胸中に今までの自分に対する強烈な後悔がとめどなくあふれ出す。

あの時腕を組んでいた二人の光景が頭に浮かぶ。

彼の隣は私だけの場所のはずだ。

そのチャンスは何度もあったはずなのに・・・。

私自身が全部そのチャンスに見向きもしなかった。

「もういやぁぁ・・・」

子供のように頭を振り、長い金髪を振り乱しながら嗚咽を漏らす。

後から後からとめどなく零れ落ちる涙を拭こうともしないで、幼いころからの想い人が自分から急激に離れていく感覚にただただ絶望する。

そんな時、トントントンと小気味良い音が聞こえる。

少ししてそれがドアをノックする音だと気が付いた彼女は震える声を抑えながら口を開く。

「だ・・・誰?」

「俺だよ、琴音。開けてくれよ。お前に言わなきゃいけないことがあるんだ」

「ヒッ。嫌!何も言わないで!話なんてしたくない!!」

「ねぇ、琴音。お願いよ、私たちの話を聞いて」

「嫌!もう帰ってよ!」

「実は俺たちは———」

「嫌嫌嫌嫌―!!それ以上言わないで!聞きたくない!」

何が悲しくて二人の惚気話など聞かなくてはならないのだろうか。

もうこれ以上惨めな思いをしたくない。

今までの自分がいかに甘えていたか、それをようやく身をもって痛感したところにこの仕打ち。

もう二人が恋仲にあるというのは明白であり、自分の入り込む隙間など一片も残っていないないのだ。

すべては彼と真摯に向き合わなかった自分が原因であり、恨むべきは自分なのだ。

しかしそれに気づくのが遅すぎたのだ。

いや、本当は気が付いていたのだ。

これから自分は一生、愛しい彼が友人と会いを深め、夫婦になり、子供ができ・・・それらの過程をすべて見続けなければならないのだ。

徐々に瞳が光を失い、呆然とした彼女に彼の言葉が耳に入る。

「付き合ってなんかいないんだ」

「・・・え?」

水を打ったように静まり返る室内。

二人は慎重に言葉を続けていく。

「私は功と一緒にあなたたちをくっつけようとしただけなの」

「神田の言うとおりだ。俺が神田に頼んで彼女のふりをしてもらったんだ」

「そうなの、でも私つい熱が入っちゃって・・。本当にごめんなさい琴音には悪いことをしたと思ってるわ」

「琴音、悪かった。俺たちはもう少し、ほんの少しだけでもいいからお前に素直になってほしかったんだ。俺は今もお前のことを愛してる。この気持ちだけはずっと変わらないんだ。だから琴音も俺のことをどう思ってるか教えてほしい」

「嘘・・・本当に?信じていいの?」

「あぁ」

しばらく三人の間に沈黙が走る。

神田は目尻に静かに涙を浮かべて、必死に泣くのを我慢している。

そして部屋の扉がゆっくりと開いた。

「「琴音・・・」」

「功・・・ごめんなさい!!」

姿を見せた琴音は意を決したように二人に頭を下げる。

「なんで琴音が謝るの?悪いのは私たちjy——」

「ううん。私さっき二人が来るまでにすごい後悔してたの」

小さく頭を振って彼女は自分の思いを静かに語っていく。

「なんでもっと真剣に功と向き合わなかったのかって。功は私にできる限りの愛を伝えてくれていた。それなのに私はそれが恥ずかしくて言葉にできなかったから、功をすごく傷つけてたんだって思い知った。だから二人がこんな作戦まで立てて、素直になれない私のために行動してくれたって知ったときはむしろうれしかったんだよ」

だからねとさらに琴音は続ける。

「私ももう自分に嘘をつくのはやめる。もっともっと素直になる」

そういってにこりと屈託のない笑みを見せる琴音。

「じゃ、じゃあ——」

「うん、好きだよ。功。愛してる。ずっと・・ずっと」

鈴が転がるような高く澄んだ彼女の声。

彼はそのまっすぐな言葉に今までのような照れ隠しも、その場しのぎの適当な嘘も存在していないと悟ったのだった。

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