ツンヤン彼女 下①

(久しぶりに一人で帰るなぁ)

そんなことを考えながら八坂は一人帰路に就いていた。

風一つ吹かないビル群の中、太陽はまだ頭上高くに燦然と煌めいており相も変わらず酷暑を地球にお届けしている。

酸化チタンの窓に反射した太陽光が砂漠のオアシスともいうべき影をなくし、容赦なく周りを照り付けていた。

参ってしまうような暑さに青のシースルーに包まれた白磁のごとく瑞々しい肌が汗ででほんのり湿り気を帯びる。

雑踏の中彼女は自然と今日の大学での彼を思い返していた。

(今日、あいつ特に予定はないはずなんだけどなぁ)

八坂と西田はサークルには入っておらず、友達から誘われない限り基本的にはいつも二人で帰っているのだった。

無論お互いバイトはしているが今日は彼にシフトは入っていない筈だ。

教室を出るときに見たのは何か妙に落ち着きを欠いた彼と彼女に対して何やら不敵な笑みを浮かべる神田の姿だけだった。

(そういえば教室にはほかの人は居なかったけど・・・まさかね)

彼女の脳裏に誰もいない教室に彼が神田と二人でいるところが浮かぶ。

(・・・さすがに考えすぎよね。課題とか教えてもらってるだけかもしれないし)

一度は否定してみる。

しかし振り払ったはずの妄想はすぐに復元され自然に彼女の思考を妨害してくる。

そして妄想は彼女の中に疑念の渦を巻き起こす。

今まで静まり返っていた鏡面の水面に一石が投じられたように彼女の心には疑念の波が広がりつつあった。

徐々に周囲の音が遮断され、彼女は自分の思考にのみ意識を集中していた。

今まで感じていた暑さや遠くで鳴く蝉の鳴き声、周囲の喧騒などが急激に頭から抜け落ちていき、残ったのは二人きりの教室にたたずむ彼と神田の姿だけだった。

その次は一体何が起こるのだろうか。

あらゆる可能性が彼女の脳裏を次から次へと奔走してはシャボン玉のように一瞬にして霧散する。

(・・・・・)

考えれば考えるほど深みにはまり、思考の沼から抜け出せなくなる。

徐々に駅へと向かう靴音は小さくなり、そのペースは遅くなる。

「か、確認だけ・・そう確認するだけだから」

気が付けば胸に収まりきらなくなった感情が溢れ言葉となって空気を揺らしていた。

誰に言うわけでもない、まるで自分に言い聞かせるように零れ落ちる言葉。

抑揚を失ったそれはむしろ呪詛と呼んだほうが適当かもしれなかった。


彼女は踵を返し、今来た道を早足で引き返す。

喉が異常に乾いていたのは夏の暑さのせいだけではなかった。





「二人ともどこに行くんだろ」

大学に戻った彼女はすぐに西田、神田と別れた教室に足を向けた。

幸いにも彼らはちょうど教室から出たばかりだったが、二人が駅とは反対の方向へと向かっていることに疑問を持った彼女は気づかれないようにその後を追った。

(いつもこっちの方向にはいかないのに)

三人とも常に電車通学な為、駅とは真逆の方向へ行くのは今まで一度もなかった。

しかもここら辺りには閑静な住宅街が広がっているだけで娯楽施設とは無縁の場所だった。

しばらくすると彼らは小さな路地へと姿を消した。

慌ててついていくと二人は小さなカフェに入っていくところだった。

「こんなところにカフェなんてあるんだ」

意外な発見に驚いていた彼女だったがすぐに店内の二人を探し始める。

小さめの店内かつ、客足も少ないため自分も入店することは憚られた。

人通りがなかったのを幸いに彼女は身を隠すようにして二人の様子を観察していた。

ガラス越しではさすがにどんな会話をしているかは分からなかったが、このままじっとしているよりははるかに良かった。

その後、しばらくの間彼らが楽しそうに話しているのを彼女はただ見ているだけだった。

(・・・さっきからなんかむしゃくしゃする)

いくら親友の神田とはいえ、彼とあんなに楽しそうに話しているのを見るのは彼女にとって苦行以外の何物でもなかった。

彼の笑顔が自分以外の女の目を通り、脳に刻み込まれているのだと思うと無性に腹が立った。

とはいえ、今となっては自分から声をかけるのも難しくなった彼女は嫉妬の淡い炎を胸に灯しながら歯痒い時間を過ごすことになったのだった。


(あっ、出て来た)

しばらくして店を出た彼らは元来た道を戻り始める。

そして、あの小さな路地についたころだった。

「え」

その瞬間、彼女の時間が止まる。

一瞬自分がおかしくなってしまったのかと思った。

頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなる。

鼓動が早くなり、激しい動悸が彼女の頭に早鐘のように鳴り響く。

眼前で起きていることが現実であり真実であるということがどうしても理解できない、信じたくない、脳が肯定することを拒んでいる。

それは彼女がそんなことあるはずがないと高を括っていたこと。

彼女の澄んだ瞳に映るのはお互いの熱を確かめ合うように優しく触れ合い、そしてしっかりとつながれる手。

一つは白磁のような細い手、もう一つはごつごつした武骨な手。

「・・・・ん?」

「ッ!!」

神田が振り向くことを察知し、現実に引き戻された彼女は慌てて身を隠す。

「どうかしたか?」

「・・・いーや、別に何も」

「?そうか」

徐々に小さくなっていく靴音。

「・・・ハァ・・・ハァ・・・ハァ」

緊張の糸が切れた彼女はへなへなと崩れ落ちるように地面にしゃがみ込んだ。

今さっきの光景が彼女の頭にこびりついて離れない。

彼女は今までの悪夢を振り払うように頭を振る。

(そうよ、まだそういう関係になってるってわからないじゃない!きっと・・・きっとそうよ)

何とか冷静に判断しようと彼女は自身を落ち着けるように前向きな思考を巡らせる。

(確かめないと)

笑う膝を押さえつけ無理矢理起き上がる。

真夏の日に体を震わせながら、忌まわしい記憶から逃げるように彼女は覚束ない足取りでそこを後にした。

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