蒙昧お嬢さま 中
それから数日。
彼らの間には当然会話など生まれようがなかった。
それどころか、いつものように彼女が彼の家に行くともうすでに彼は家を出た後だった。
確実に彼らの間には溝ができ、それは大きくなっていくばかりだった。
休み時間、放課後など隙間時間を見つけては積極的に話しかけようと頑張る彼女ではあったが彼は避け続けていた。
「ね、ねぇ!聞こえてるんだろ?返事をしてくれないかい?」
「お前と話すことはない」
「さっきから謝ってるじゃないか。本当に悪いことをしたと思っているんだ」
あっさりと言ってのける彼女に彼は只々静かに立腹するばかりだった。
彼女は本当に申し訳ないと思っているのだろうかという懐疑的な思いが常に彼の胸中にあった。
毎回同じ言葉を引っ提げて話しかけてくる彼女だがその様子にはあまり反省しているようには見えない。
考えてみればそれも当然かもしれない。
こっちはただの貧乏人、かたや向こうは世界を股にかける大財閥ときた。
貧乏なんてあくまで言葉を知ってるだけで実際に経験したこともないのだろう。
しかしそれは悪いことではない。
彼女は彼に悪いことを言ってしまったという自覚はあるのだ。
だからこそ毎日謝罪をしに来ているのだ。
それくらいの思いやりと配慮はある。
しかしそれらをもう少し注意深く自分に向けてくれても良かったのではないか、そう彼は思わずにはいられない。
それは傲慢なのだろうか。
彼はやるせない気持ちで日々を過ごしていた。
一方で彼女も又、生気の抜けたような日々を過ごしていた。
自分が馬鹿なことを言ってしまった。
それが彼にどういった感情をもたらすかも分からないかも知らないで。
いくら謝罪しようにも彼はただ不機嫌そうに顔を歪ませるだけで何も言ってくれない。
どうしたら許してもらえるのだろうか。
最近の彼女はそのことばかりが頭の中を駆け巡っていた。
気ばかり焦ってしまい考えがまとまらない。
そんな時不意に一つの方法が浮かび上がる。
(あ、そうだ!この方法があった!)
光明見つけたりとばかりに彼女はスマホでどこかに電話を掛け終えると先程の意気消沈した様子などどこ吹く風で嬉々とした表情を浮かべながら帰路についた。
翌日の放課後、委員会で遅くなった彼が教室に戻ってきたところを待ち伏せして彼に紙袋を突き出す。
誰もいない教室に遠くから運動部の掛け声が響いてくる。
一瞬彼は面食らったようにのけぞるが、相手が彼女だと知ってすぐに険しい表情に戻る。
「これ、私からの謝罪の気持ちだ。是非受け取ってくれ」
言われるままに彼は渡された紙袋の中身に視線を落とす。
「ッ!!」
「これで許してくれるだろう?」
「・・・」
そこにあったのは多額の金。
百万や二百万円ではきかない、恐らく一千万円はあるだろうという大量の札。
彼は袋の中身を理解した瞬間、あまりの怒りに体が震えた。
しかしその怒りはすぐに鎮火する。
彼は呆れかえっていた。
論理的で聡明な彼女がこんな即物的な行動に出るとは思わなかった。
だからこそショックも一際大きい。
今までこんな奴と接していたのかと自分が嫌になった。
彼は紙袋を受け取らずに彼女の横を通り抜ける。
そのまま困惑している彼女を無視し、下校の準備を始める。
「ね、ねぇ。こ、これ・・・」
どこか怯えた表情で紙袋を頼りなく差し出してくる彼女にきっぱりと言い切る。
「お前とは絶交だ」
「・・・え?」
無機質な音を立ててドアが閉まる。
彼の足音がだんだんと遠ざかっていった。
「「「「おかえりなさいませ。お嬢様」」」」
「・・・・・・・・・」
まるで人形のようにおぼつかない足取りで車から降り、自室へと向かう。
愕然と足元を見るように項垂れている為、長い黒髪が彼女の表情を隠している。
いつもと全く違う彼女の様子に使用人一同目配せして何か知っている者はいないかと情報を交換するが当然分かるはずもない。
出迎えた使用人のほとんどが困惑した様子で彼女の後ろをついていく中でただ一人運転手兼執事を務める初老の男性が綺麗に整えられた髭を撫でながら穏やかに笑みを浮かべていた。
(ナンデ?何が悪かったの?絶交?ゼッコウ?ドウシテ?)
自室のドアを閉め、そのままもたれかかるようにして座り込む。
彼女はパニックに陥っていた。
考えれば考える程頭の中がぐちゃぐちゃになっていき、彼のあの時の冷たい表情がフラッシュバックする。
もう二度と彼と関わることができない。
それだけは憎らしいほどに明確に分かる。
「もう、どうすればいいか分かんないよぉ・・」
自然と涙が頬を濡らす。
唯一一緒にいて楽しいと思えた男性。
唯一仲良くなりたいと思った男性。
唯一欲しくてたまらない男性。
唯一心から愛した男性。
それだけに彼からかけられた言葉が激しく彼女の心に鮮明な傷を付けていく。
そんな時、コンコンと固い何かを叩く音が彼女の耳に入った。
「・・・・・・誰?」
「お嬢様」
「爺や?」
声の主はあの笑みを浮かべていた執事だった。
「お嬢様、今よろしいでしょうか?」
「今は・・誰とも話したくない」
「何か悩みごとd———」
「うるさい!!!」
滅多に上げない彼女の今にも張り裂けそうな激昂した声。
その声を聞いて尚その執事は続ける。
「田中様と何かあったのでしょう」
「うるさい!うるさい!うるさい!うるさい!」
いやいやと子供のようにかぶりを振る彼女。
ぽたりぽたりと雫が乱れ落ちる。
「お二人が仲のよろしかったあの頃に戻りたいですか?」
「!?」
執事の声を聞いた途端今まで閉ざされていた扉が音を立てて開く。
「教えなさい!ねぇ!早く!!」
「お、お嬢さm」
必死の形相で執事の襟元を両手に握りしめ激しく揺らす。
「早く教えなさい!」
「わ、分かりましたから落ち着いてください」
その後ようやく静かになった彼女は執事が持ってきた紅茶と茶菓子を口にしながら尋ねる。
「それでその方法っていうのはどういうものなんだい?」
すっかり口調と落ち着きを取り戻した彼女は優雅に紅茶を一飲みする。
「ええ、その前にですが」
「なんだい?」
コホンと咳払い1つをして執事は口を開く。
「お嬢様は田中様のことをお慕いしておりますね?」
「・・・・なっ!?何言ってるんだ爺や!それとこれとは関係ないじゃないか」
「その反応だと当たりのようですな」
ほっほっほと愉快気に笑う執事をなんとも言えない目で見つめる。
「で!そうだとしたらなんなんだよ」
「いえこれといって特に意味はありませんが」
「・・・爺や、言っていいことと悪いことがあるだろう?」
青筋を立てながら笑みを浮かべる彼女に執事は清々しいほどに屈託のない笑みを返しながらお茶菓子に手を伸ばす。
それにしてもこの執事相当の肝の持ち主である。
「失礼しました。なんせこのように表情豊かなお嬢さまを目にしたのはあまりに久しいものですから」
非常に優しい目を彼女に向けながら執事は更に続ける。
「だってそうでございましょう?来るもの拒まず去る者追わずの体現者のようなお嬢さまがここまで一人の男性に夢中になって一喜一憂しているのですから」
夢中という言葉で少し赤らんだが彼女はそれを静かに聞き入れる。
「私もこちらで長いことお嬢さまがこんなに小さいころから専属の執事として働かせていただきましたが、いつの間にか無邪気に笑ったりすぐに泣いたりしていたあの時のお嬢さまがどこかに行ってしまったようで私残念でなりませんでした」
片手を自分の膝あたりに留めながら、懐かしむように髭をさする。
「だから失礼かもしれませんが、最近の人間味あふれるお嬢さまを見ていると私非常に嬉しく思います」
そう言うと執事はスッと立ち上がるとそのまま背を向けて部屋を出ようとする。
「ちょっ、ちょっと待て、どこに行くんだ。まだ話は終わってないぞ」
慌てて立ち上がる彼女に振り返った執事は柔和な笑顔を一つ見せる。
「大丈夫ですよ、今の落ち着いた可愛らしいお嬢さまなら自分がどうすべきか良く分かるはずです。大切な大切な田中様のことを考えながらだと尚良いかもしれませんね」
「ッ!!」
茶化すようにそう言うとそのまま部屋を出て行ってしまった。
彼女は一瞬赤くなるがすぐに元の彼女に戻ると誰に聞かせるともなくぽつりと呟く。
「ありがとう。爺や」
いつの間にか雨はすっかり止み、風が吹き始めていた。
鼠色の雲の隙間からわずかに日が差し込み、彼女の部屋に暖かな陽だまりを作っていた。
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