気高いお嬢さま 下
翌日、彼は彼女の家から学校まで登校することになった。
先に家を出ようとしていた彼はすっかり元気を取り戻した彼女に呼び止められ一緒に行くこととなった。
それにやたらと距離が近いのは彼の気のせいではないだろう。
「おい、近いぞ」
「なんのことかしら?」
小首を傾げる彼女に彼は呆れながら口を開く。
「距離だよ、距離」
「私は気にしないわ」
「俺が気にする」
「案外照れ屋なのね」
「お前には関係ない」
今までと打って変わって柔和な物腰の彼女に困惑しながら彼は歩を進める。
「どういう心境の変化だ」
「ストレートに聞いてくるのね」
「こっちの方が俺の性に合ってるんだよ」
「そうね、あなたはそういう人よね」
くすくすと笑みをこぼす。
「はっきり言うとね」
彼女は空を仰ぎながら彼を尻目にとらえる。
「私、あなたのことが好きなの。以前からずっと」
「・・・・・・・はぁ!?」
彼の思考は一時的にストップがかかり、脳が彼女の言葉を反芻してようやく意味を理解する。
固まる彼を残して彼女は更に続ける。
「もしさ、私が付き合ってって言ったらあなたはOKしてくれるかしら?」
「ちょ、ちょっと待て!そんな急に言われても・・・」
「・・・えぇ、そうね。こんなこと急に言われても決められないわよね」
でもねと彼女は口を開く。
「私、もう決めたの。周りに頼りながら自分の思うままに自分らしく生きるって。そのきっかけをくれたのはあなたよ?だから私、あなたを譲る気はないわ」
「・・・・」
沈黙する彼の手を取り、彼女は今までの空気を払拭するように朗らかな笑みを浮かべる
「ほら、早く行かないと学校遅刻するわよ」
「あぁ」
彼は未だ状況が呑み込めないまま、ただ体を動かすのだった
彼は頭を悩ませていた。
悩みのタネは無論、高田花に関してである。
実は彼告白など今の今までされたことがない。
自分には男として魅力的な部分がないことなど彼はとうに理解していた。
その為、これからも女性とは無縁の人生を歩むのだろうと疑わなかった男である。
そんな男が絶世の美女から面と向かって好意を伝えられたのである。
堅固な城門を破城槌で木っ端微塵にされた気分であった。
「どうしたの?何か悩み事でもあるの?」
「いや、別に悩みってわけじゃないんだが」
「何よ、煮え切らないわね」
彼は意を決して彼女に尋ねる。
「お前、今日の朝俺に言ったことあれ・・・本当か?」
「えぇ」
彼女の返答を聞いて視線を落とす彼を見て、ピンと来たように手を叩く。
「なるほど、そんなことで悩んでたのね」
くすくすと笑いながら彼を見つめる。
「あなたは私のこと嫌い?」
不安を少し孕んだ声が耳を打つ。
「・・・嫌いでは・・・ないと思う」
「なら付き合いましょう?お互いのことはこれから知っていけばいいじゃない。ね?」
耳に暖かい息がかかる距離で甘く囁かれる。
「・・・」
「それとも何?私とは付き合えない理由でも?」
「ッ!」
凄まじい悪寒が体を震わせる。
慌てて彼女の方へと顔を向けると何事もなかったかのように優しい笑みをこぼす。
「どうしたの?」
「い、いや。なんでもない」
(気のせいか)
「そう」
その後、授業を知らせるチャイムが鳴ったことで彼女は自分の席に戻っていった。
放課後。
彼女は愛しい彼と下校するため彼の席へと向かっていた。
といっても2人は同じクラスなのですぐなのだが。
「おーい、一緒n————・・・ふーん」
彼女の瞳に映ったのは楽しそうに話す彼と女の姿。
その女の名前は高橋奈々。
彼の隣の席で、ショートボブの人懐っこい顔をした小柄な少女だった。
嬉々とした表情で彼との会話を楽しんでいるように見えた。
そして彼もまた、やさしい笑顔を高橋へと向けていた
(あなた、私にはそんな顔してくれないのに)
彼女のそれまで静かだった心の中に一石が投じられる。
それによって生じた波紋が彼女の心を荒く乱していく。
そして彼女でさえ知りえなかった自分の中に眠るどす黒い感情が溢れだし、高橋という女に対して筆舌に尽くしがたい嫉妬を覚える。
(もうあまり時間がなさそうね)
彼女は特に彼らに話しかけることなく踵を返し教室を出た。
(大分長い間話してたんだな)
夕日が固いアスファルトに長い影を作り出す頃、彼は家路へとついていた。
カラスの鳴く声がどこか遠くから聞こえてくる。
「あら、遅いお帰りのようね」
「っ!?」
背後から抑揚のない背筋の凍るような冷たい声が発せられる。
「お、おう。お前か。ど、どうかしたか?」
急激な喉の渇き、心音が嫌に頭に響く。
「ねぇ、考えてくれたかしら?」
コツコツとローファーの高い靴音が近づいてくる。
「な、何をだ」
「とぼけてるつもり?私との交際の件よ」
「そ、それは・・・」
「あなたにしてはずいぶん歯切れが悪いのね」
さぞ楽しそうに笑みをこぼす。
「ずいぶん仲がいいのね、高橋さんだっけ?」
あの子のことが好きなの?
彼女はそう言うと彼の目の前で止まる。
お互いの息遣いが感じられる。
はたから見たら仲睦ましいカップルそのものだろう。
「あぁ。だからお前とは付き合えない」
彼は彼女から目を離さずにはっきりと宣言した。
彼女は一瞬だけ目を見開くがすぐにいつもの落ち着いた様子に戻る。
「そう・・決心は変わらないのね?」
「変わらない」
彼の力強い校庭の言葉を受け取った彼女はガクリとうなだれる。
長く黒い髪が夕焼けに当てられ、不気味な明暗を作り出していた。
「これだけはしたくなかったのに」
底冷えするようなか細い声がその闇の中から聞こえたとたん彼は再び、朝に感じたあの感覚に襲われる。
心臓を鷲掴みにされたような、体の芯まで震えあがるような恐怖。
これは動物の本能的な感覚だろう。
彼はすぐさまに踵を返し、走り出す。
後ろを振り向く余裕など最早少しもなかった。
どこをどう走ったのか分からない。
とにかく無我夢中で走った。
そして気が付けば自分の家の前まで来ていた。
周りを見て、誰もいないことを確かめてから彼は安堵しながら扉を開けた。
「お か え り な さ い」
「ッ!!!!」
扉の向こうに居たのはさっき振り切ったはずの彼女だった。
真っ暗な家の中、僅かに口角があがり光を失った虚ろな瞳でただじっと彼を見つめている。
深紅の口紅が、闇との対比で妖艶さとおぞましさを醸し出していた。
そして彼が彼女を認識したのと彼の背部に高圧に改造されたスタンガンが強く押しつけられるのはほぼ同時だった。
一瞬にして彼は意識を失い、脱力した体はその場に崩れ落ちる。
それを聖母のように優しく抱きとめた彼女は歪んだ笑みを浮かべ嗤う。
可愛い人。
私から逃げられたと思って安心したのよね。
可愛い人。
そんなことで逃げられるわけないのに。
彼の頭を撫でる上機嫌な彼女の下に黒服を来た精悍な男が数人入ってくると彼女の前で膝をつく。
「お疲れさま。良くやったわ。この人を私の部屋まで連れて行って。私の夫となる人だから丁重にね」
それだけ言うと彼女は用意されていた車に乗り込む。
もうすでに日は暮れ、夜が始まろうとしていた。
「あなたが教えてくれたのよ」
彼女は誰にともなく呟く。
「もっと周りを頼れって」
無論その声を聞く者は誰もいない。
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