気高いお嬢さま 上
チリン。
風鈴の澄んだ涼し気な音色が耳を撫でる。
ねっとりと纏わりつくような熱気に思わず顔をしかめる。
「まだ7時なんだけどな・・・」
誰にともなく呟く少年は鈴木健吾、高校生である。
その容姿はいたって平凡でこれといって取り上げるべき特徴のない男性である。
彼は暑さにやられたように非常に緩慢な動きで目的地へと向かっていた。
ナマケモノでも彼よりもしゃきしゃき動くかもしれない。
実は今日は登校日ではない。
今日は日曜日、そう休みである。
基本的にインドアな彼は本来なら今頃家でクーラーの冷気に頬を緩めながら趣味のゲームや読書に没頭していただろう。
しかし、今日はそういうわけにはいかないのだ。
「遅いわね!何やってんのよ!」
「すまん、遅れた」
不機嫌そうに顔をしかめて彼に不満をぶつけているのは高田花。
彼らは高校に上がって知り合い、偶然にも二年連続同じクラスになっていたのであった。
知り合いといってもそこまで仲がいいわけではなく普段はほとんど口も利かない。
接点がないのだ。
それに事なかれ主義の彼からすれば高田はあまりに雲の上の存在であるように感じていた。
腰まで伸びた、まるで闇を溶かしたような流麗な長い黒髪。
枝毛の一本も見つかるはずもなく、非常によく手入れがされていると感じさせる。
モデル顔負けの八頭身という抜群のスタイルにすらりと伸びた手足。
新雪のようにシミ一つないきめ細やかな柔肌には思わず目を奪われる。
切れ長のすこしつり上がった瞳が全体を程よく引き締め、絶妙な清楚さを醸し出していた。
まさに神が作り上げた芸術作品といわれても一切の疑問を抱かないような、そんな女性だった。
そんな美少女様とこんな冴えない男がなぜ、休日に会っているのか。
理由は単純である。
「早く行くわよ。まったくなんで私がこんな奴と買い出しなんて・・・」
「しょうがないだろ、体育祭実行委員になっちゃったんだし。俺だってしたくてやってるわけじゃないんだよ」
「な、なによ!その言い方。いい?成り行き上仕方ないとはいえ私と二人で外出できるのよ?あんたみたいなカースト底辺の連中には一生無理なんだからね?分かってるの?」
「はいはい、そーですか」
いつもの高飛車な彼女を後ろに彼はうんざりとした表情で歩き出す。
ただでさえ暑さで参っているのに小言まで言われたらたまらないだろう。
「あっ、ちょっとまちなさいよ!この馬鹿!」
本当にもっと静かにしてほしいものだ。
そんなことを思いながら、うだる暑さの中彼は歩を進めた。
「ほら、さっさと歩きなさい」
「なんで俺が全部荷物持たなきゃなんだよ。しかも買い出しに関係ないもんまで買ってるだろお前」
両手に大量の荷物を抱え、何とか彼女に追いついた彼が口を開く。
「あんた、なんのためにここに来たのよ」
「いや買い出しなんだが・・・」
「違うわよ、ただの荷物持ちに決まってるでしょ」
「・・・・・まぁ良いか。早く終わらせて帰ろ」
相変わらずの彼女の態度に彼は今更何か思うわけでもなくおとなしく彼女の後に続く。
彼としてはいち早くこんなクソ暑い外から冷房の効いた自室に逃げ込みたい気分だった。
すでに滝のような汗が彼のTシャツを濡らしているが、彼女はそれを気に留める様子はなくぐんぐんと次の目的地へと歩いて行く。
「頑張れ、もう少しの辛抱だ」
彼は自分に言い聞かせるようにつぶやき、必死に彼女の後を追った。
結局ほぼ休みなしであちこち移動し、ようやく買い出しという名の荷物持ちが終わったの頃には日はすでに傾いていた。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
「うーん。買い物はこれ位で良いかしらね」
「やっと・・・終わった」
肩を上下に揺らしながら荒い息を整えるためにベンチに座る。
もう腕はパンパンで、明日は筋肉痛確定のようだ。
「あ~~~」
「お疲れ様」
「・・あぁ」
彼女も彼の隣、といっても結構距離を開けてだが腰を下ろす。
「・・じゃあ俺はもう帰るぞ」
「待ちなさい」
「・・なんだよ」
「私は買い物はもう終わりといっただけなのだけど」
「え?」
「これ私の家で保管しとくから家までよろしくね?」
「・・・」
その後何とか彼は高田の家まで荷物を運んだ。
「ご苦労様」
「・・・あぁ」
「あっ、ちょっと!」
彼が帰ろうと背を向けると彼女は慌てたように引き留める。
「・・・」
「え?」
流石の彼もここまでが限界だったようでふらふらと揺れる体を支えきれず派手に倒れてしまう。
ここまで碌な給水も出来ずにかれこれ6時間以上歩き回ったのだ。
熱中症になるのも無理はない。
地に臥したまま、彼は意識を手放した。
「・・・ん?・・ここは?」
目が覚めると彼はベッドの上にいた。
自分のベッドではないことにはすぐに気が付いた。
というのも彼のものにはこんな立派な天蓋はないからだ。
ネグリジェのようなピンクの薄手の生地がふんわりと垂れている。
よく見るとベッド自体にもどこぞのお姫様が使っていそうな非常に精緻な細工が施されており、高価なものであることが伺える。
「あぁ!目が覚めたのね!」
そんなことを考えていると不意に目の前の扉が重い音を立て誰かが入ってきた。
「高田さん・・・」
「良かった!本当に良かった!!」
瞳を潤ませながらその場にすとんと座り込む。
ぼんやりと倒れたことは覚えているがそこからの記憶はない。
すると、彼女の後ろから更にもう一人の人物が現れる。
「メ、メイド?」
金縁の丸眼鏡をかけ、柔和な雰囲気をまとう初老の女性が丁寧なお辞儀を披露する。
「数時間ぶりですね、鈴木様」
「えっと、どちら様で?」
未だ状況を飲み込めていない彼は首をかしげる。
「まぁ、あの時鈴木様はふらふらでしたし、覚えていらっしゃらないのも致し方ないことかもしれませんね」
こほんと軽く咳払いしてそのメイドは続ける。
「では、改めて高田家の専属メイドを務めます山下と申します。以後、お見知りおきを」
「はぁ」
そこから、泣き続ける彼女を尻目に彼は山下から事の顛末を聞いた。
といっても至極簡単なことだった。
急に倒れた彼に彼女はパニックになり、慌てふためいているところに山下が到着。
彼の容態を見て、すぐに自宅で処置を図り現在に至るというものであった。
「そうだったんですか・・・」
「本当に申し訳ありません」
深々と頭を下げる山下。
「いえ、山下さんのせいではないですよ」
ふと彼女が高田の方を見て口を開く。
「ほら、いつまで泣いているのですか?彼に何か言うことがあるでしょう」
「ご、ごめんなざぃ、わ、私全然気が付かなくてあなたが倒れても全く何もできなくて」
嗚咽しながら、彼女は更に続ける。
「私のせ、せいであなたが死んじゃったらって思ったら、急に体が冷たくなっても、もうどうしたらいいか・・分からなくなってぇ・・・」
ぽろぽろと涙をこぼす彼女を見て彼は意外に思った。
彼女はもっとドライで涙とは無縁の存在だと思っていた。
しかし、それは彼女が作り出した仮面でしかなかった。
大きな家にメイドが複数人いるとなればこれはもはや一般人ではない。
恐らく名の知れたどこかのお嬢さまなのだろう。
家柄に恥じぬように常に自分を強く気高く見せる必要があり、そしてその必要性は彼女も十分に理解していた。
しかし、今彼の前に跪いて嗚咽を鳴らす彼女はいつもより小さく細く見えた。
少し力をいれば脆く壊れそうなガラスのような少女。
いくら外面を取り繕ったところで彼女はまだ17の少女なのだ。
その小さな背中が背負うには重すぎる重圧が彼女の心を少しずつ侵食していき、今まさに想定外の事態に決壊しかけているのである。
「大丈夫だよ」
彼は彼女の目をまっすぐ見ながら口を開く。
「え?」
「大丈夫。確かに俺はさっきまで倒れてはいたけど結果的にはほら、生きてるじゃないか。な?君がそこまで責任を感じることはない。あと・・俺だって自分の体調すら管理できなかったんだ。こうなるのは予測できた」
「そんなの結果論jy——」
「なんと言おうが俺は生きてる。それが事実だ」
それにな——彼は続ける。
「お前はもっと周りを頼れ」
「・・・頼る?」
「そうだ。人を頼ることは弱いことの証明じゃない。むしろ頼れる人が自分の周りにいることを誇るべきだ。人は孤独の中では生きていけない、そういう生き物なんだよ」
「頼れる人・・・誇りに・・・」
こんな歯の浮くようなセリフが17歳の彼の口から紡ぎだされていることには違和感満載である。
しかし、彼女は床に目を落としながら彼の言葉をゆっくりかみ砕き、嚥下するように口を動かす。
それから、彼女はおもむろに顔を上げる。
「私、頼ってもいいの?誰も私のこと弱い奴だなんて言わない?」
縋るようなか細い声で彼女は彼に問いかける。
「当たり前だ」
「そう・・・」
再び彼女は視線を落とす。
しばらくして彼女は急に立ち上がる。
「わかった。私もっと周りを頼る!」
その顔にはもう涙はなく屈託のない笑みが浮かんでいた。
「そうか」
ふと見るとメイド長の山下も穏やかな笑みを浮かべていた。
「それではお嬢様、鈴木様はお疲れのようですし今日はこの辺りで」
丸眼鏡を片手でくいっと直すと彼女は綺麗なお辞儀をする。
「そうね、それじゃあゆっくり休んでね。あっ、もし用があるならそこのベルを鳴らしてね。おやすみ」
美麗な髪を翻しながら彼女は柔和な笑みを浮かべ部屋を出た。
「あ、あぁ。お、おやすみ」
急に物腰が柔らかくなった彼女に面食らいながら、彼はその日深い眠りについた。
夜の帳はゆったりと降りていく。
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