幼馴染 下
次の日。
彼は早速あの少女を探すため校内を探り歩いた。
そして昼休みが終わるころ、ようやく彼女の正体を知る。
坂本美羽、それが彼女の名前だった。
彼の人脈ではこれが精一杯だった。
もっとも昼休みまではその姿すら確認できなかったのだが、何とか名前だけは知ることができた。
しかし彼はそのことに若干胸を高ぶらせながら自教室へと帰るのだった。
彼が坂本を探している丁度その頃、当の本人は普段は使われない空き教室へ来ていた。
無論一人ではない。
彼女の目の前には明光高校1の美人である中城が立っていた。
「で、用っていうのは?」
坂本は何気ない顔で尋ねる。
その態度は中城に呼び出されてから終始飄々としていた。
「単刀直入に言うわ。あなた彼のことをどう思ってるのかしら?」
「あんたが一番分かってるんじゃないの?キス、見てたんでしょ」
キスという単語を聞いた途端、彼女の柔らかな雰囲気は刺すような、不気味なそれに変わる。
それは学友が抱く彼女のイメージとはかけ離れたものだった。
「その様子じゃあやっぱり分かってんじゃん。そういうことだから、それjy——」
次の瞬間、坂本に強い衝撃が走る。
鈍痛が体を駆け抜ける。
一瞬坂本は何がどうなっているのか分からなかった。
背中から伝わる冷たい壁の感触で彼女は初めて自分が中城に押さえつけられていることに気づいた。
「何w———」
「あいつに近づいたら殺す」
飄々とした坂本はその時、身に迫る死を意識した。
それは決して日常で使われる冗談のそれではなかった。
動物が本能的に感じる絶対的強者からの圧倒的格差。
股のあたりがわずかに湿り気を帯び、体の震えが止まらない。
彼女の得体のしれない、闇よりも黒い漆黒を渦巻かせる瞳に映るものは何もなかった。
結局坂本はその日、予定していた彼との交際というプランを破棄せざるを得なくなった。
その日の夜、中城は彼の家にお邪魔していた。
幼馴染というだけあって彼とは家同士の付き合いがあり、中城が彼の家に訪れることは彼の両親にとっては違和感がないものと化していた。
しかしその両親もお互いに出張で後一か月は帰ってこない。
彼女にとって彼の両親が出張に行くのは二、三年に一回あるかないかの大チャンスなのだ。
中城は彼の部屋に入るとまず彼の机周辺を物色する。
彼の周りに坂本以外の女がいないかどうか調べるためだ。
一応毎日数個の小型カメラ、盗聴器で盗撮しているが、カメラだけですべてを把握しきることは不可能。
その為、定期的にこうやって彼よりも早く帰り、カメラのバッテリーの交換や新たなカメラ、盗聴器を仕掛けたりしているのだ。
一通り探し終えた彼女はふぅとため息をつくと彼のベッドにダイブした。
布団にくるまるように体制を整え、枕に顔を押し付ける。
すーーと彼女は肺いっぱいに空気を取り込む。
それに合わせて布団が盛り上がる。
この時ほど幸せ時間はなかった。
全身に熱い血が迸り、自然と動悸は早くなる。
体中を快楽物質が駆け巡り、頭がおかしくなりそうなくらいの多幸感で満たされる。
体はカッと熱を持ったように火照り、次第に体の奥が疼きだす。
股に向かう手を何とか止める。
ここからは彼にばれるかもしれない。
匂いは消すとしても流石にシーツを濡らすわけにはいかない。
中城は何とか自分を抑え込む。
(それに今日はこれがあるしね。)
中城は通学カバンの中に視線を落とす。
中身は彼を自分のものにするために準備した様々な道具、薬の数々。
(変な女も出てきたし、もうそろそろ私のものにしないと。)
中城は今日の昼休みの出来事を思い浮かべる。
今日、坂本に釘を刺したとはいえあんな告白の仕方をする女だ。
油断はできない。
彼女は数時間後、愛しの彼が自分のものになるのを妄想しながら、一人笑みを浮かべるのであった。
カラスの鳴き声が不気味に響き、日はとうに暮れ始めていた。
「ただいまー。」
誰もいない静かな我が家に形骸化した言葉を吐く。
先日から両親は出張、当然返事を返すものはいない。
そのまま彼はいつものように二階にある自室に向かう。
木製の扉を開けた先にいた人物を目の当たりにし彼は固まった。
「久しぶりね」
「・・・」
彼は一瞬の逡巡の後、押し黙るという選択を選んだ。
相手の出方を窺うことにしたようだ。
「ねぇ、何か言ったらどうなの?私とあなたの仲じゃない」
窓から伸びる夕日を背に立ち、くすくすと愉快気に笑う。
それはまるで学校での彼女とは乖離していた。
彼の中では、もはや中城との心的距離は彼女が思っているよりもずっと開いていた。
「こ、こんばんは。な、中城さん」
当然口からこぼれ出るのは名前ではなく名字。
彼がクラスメイトに声をかける時と同じだ。
「えっ?」
しかしその一言は彼女の胸に鉛のように重くのしかかった。
「い、今なんて?」
「え、こんばんは中城さんって」
「中城さん?どういうこと?」
彼女からすればまさに青天の霹靂である。
てっきり彼はまだ私をひなと名前で呼んでくれるものだとばかり思っていた。
伊達に10年以上幼馴染はしていない。
彼のことならなんでも分かっているはずだった。
事実、高校入学間近の頃、彼は彼女のことを名前呼びしていた。
高校に入り彼女の計画が始まってから彼は中城とほとんど話さなかったのだ。
しかし、ここまで距離があるとは思ってもいなかった。
彼女は急激に焦りを抱く。
計画の最も大事な根幹が今崩れかけているのだ。
これでは一年半の努力も水泡と帰す。
それだけは避けたい。
自然と脳裏には彼に近づく坂本の姿が浮かんできていた。
「ね、ねぇ。実は今日あなたに伝えたいことがあって・・・その、あなたのことが好きです!付き合ってください!」
しおらしく俯く彼女。
頬はほんのりと朱に染まり、美麗な黒の瞳には涙が溜まっている。
これは思慮深く、聡明な彼女らしくない短絡的な行動だった。
彼女はこの際彼をものにできるなら手段はなんでもよかった。
それほどまでに彼女は今の状況に危機感を抱き、冷静さを欠いていた。
並みの男ならいちころだろう。
しかし、彼女は知らない。
彼と山内の屋上での出来事を。
彼からしたらここまで分かりやすい罠などないだろう。
中城と山内は付き合っているのだ。
そして山内のあの悪意のある言動。
彼の脳内で1つの言葉が自然と浮かび上がる。
いじめ。
どうせあいつのことだろうから山城に告白されれば顔を真っ赤にして動揺するだろう。
そんな醜態を広めて、いよいよ彼の学校での地位を地に落とす。
カースト上位の奴らがそうやって騒げば、もはや抵抗する術はない。
こいつらは一体どれだけ人をコケにすれば気が済むのだろうか。
彼はかつてないほど激怒していた。
実際、山内と中城が付き合っているという事実はない。
全ては彼の存在を疎く思った山内の嘘なのだ。
しかし、普段の山城やクラスメイトの反応。
周囲からの非難、陰口に苛まれ、彼はもはや何が真実でどれが嘘なのかの見極めがつかない一種の錯乱状態にあった。
しかし一つだけ確かなことがある。
目の前に立っている女もクラスの連中もクソ野郎だということ。
彼は無意識に自分以外を悪者だと思うことで自分を守ろうとしていた。
彼はもはや周りの真偽などどうでもよかった、いや自分を守ることで精一杯だった。
そんな彼に正常な判断などできるはずもない。
「ね、ねぇ・・返事h———」
じわりじわりとにじり寄る山城。
そんな彼女に恐怖と嫌悪感、怒りの感情が湧き上がる。
「近寄るな!!」
今まで出したこともない大声。
彼女はびくりと立ち止まり、信じられないような顔で彼を見つめる。
「か、帰れ!帰れ!お前の顔なんて二度と見たくない!!」
「ど、どうし———」
「うるさい!!帰れ、この売女!!お前なんて大嫌いだ!!」
口汚く罵る彼を青ざめた表情でしばらく見ていた彼女は、はっと我に返るとすぐに階下に消えた。
荒い息を必死に整えながら彼はベッドに倒れ込んだ。
すっかり暗くなった室内に小さな嗚咽がこぼれていた。
同時刻、彼の隣の家で中城はこれまでの計画が瓦解していたことに絶望していた。
(何が悪かったの?どうして?私の計画はおかしくなかったのに。すべてうまくいってたのに。なんで彼が離れていくの?)
彼女は食い入るように手元に広げられたノートに血走った目を走らせていた。
不具合が生じていた可能性がある箇所はとことん調べ上げていく。
その様子はまさに異常だった。
顔面蒼白で震える体を抱えるようにして必死にノートを見返す。
目はカッと見開かれ、歯の根があっていないためかカチカチと音を立てながら血眼で一文字一文字を追っていた。
(どうしよう。・・・・・あっ。)
今後の計画を急ピッチで立てていた彼女はあることに気づく。
少し冷静になった頭で考えればなんてことはない。
あの時の彼の激高した口調。
あんな風になったのは幼馴染の彼女も初めて見た。
よほどのことがない限り彼があそこまで感情的にはならないだろう。
(私の知らないところで彼に何かあった?)
そんな疑念が彼女の脳裏を走る。
(確かめないと。)
彼女は目に焦りの色を浮かべながらもどうやって周りから自然に聞き出せるかを考え始める。
元々聡明な彼女である。
僅か10分足らずでまとめ上げた。
結局その日はおとなしく床に就いたのだが、無論眠れるはずもない。
彼女は空が明るくなるまで彼のことで頭がいっぱいだった。。
彼女はその後しらみつぶしに友人たちに聞いて回った。
無論不審に思われないようにあくまで彼をカースト最底辺の男として扱いながら。
そうすると意外とすんなりと真相が手に入った。
女子たちの情報網は伊達ではなかったということだ。
その中で寧ろ知らなかったのは中城一人ぐらいだった。
「は?付き合ってる?私が?山内君と。」
「そうだよ~。それにもうヤっちゃってんでしょ?はぁ~本当にかなわないわ。」
ニタニタと気持ち悪い笑みを浮かべ、小突いてくる。
「お似合いだもんね~。」
「ね~。悔しいけどしょうがないよね。」
口々に山内君と私が付き合っていると話す彼女の友人達。
それに『ヤった』・・・ってまさか!
かすかな嫌な予感と共に更に彼女は口を開く。
「ねぇ、それもっと詳しく教えて。」
「えっ?知ってるでしょ?」
ぽかんとした表情で焼きそばパンにかぶりつく。
「知るわけないでしょ!初めて聞いたよ!」
「「「え~~~!!」」」
驚きの声が見事にかぶる。
「ど、どうゆうこと?」
にわかには信じがたいというような表情を浮かべる彼女たちだが、その裏にはわずかに歓喜の感情がにじみ出ている。
山内君の隣がまだ空いている可能性が出てきたからだ。
「その話誰から聞いたの?」
予感が的中して苦虫を噛み潰したような表情の山城は情報の出所を探る。
「え?山内君からだけど。」
「・・・は?」
瞬間、中城の声のトーンが極端に下がる。
それは普段、女性が使わないような敵意と憤怒に満ちたドスの聞いた声。
「い、いや、山内君から直接っていうわけじゃなくて山内君が友達と話してるのを盗み聞きした女子から聞いたっていうか・・・。」
しどろもどろになりながらも先ほどパンをかじっていた友人は必死に答える。
目には涙がうっすらと溜まっており、頬は引きつっている。
彼女は中城の見たことのない表情に恐怖を感じていた。
「あっ、ありがと。それじゃあね。」
我に返った中城は若干引き気味な友人たちを残して教室を後にした。
「ねぇ今の見た?あれが山ちゃん?」
「嘘、信じらんない。」
「あんな顔するんだ。」
「「「絶対に怒らせないようにしよう。」」」
今日の彼女たちの決意の固さは山内獲得のそれよりも圧倒的に上を行くのは言うまでもない。
廊下を歩きながら彼女は考える。
その歩調は普段よりも若干早かった。
(山内が彼に嘘をついた?・・・しかも昨日の彼の言葉。)
売女。
やっと彼女の中で今までの違和感が一本の線でつながる。
(なるほど。やってくれたわね、あのゴミ。)
こめかみに青筋が浮かび上がる。
自然と、両手が白くなるほどに拳をにぎりしめていた。
ふと気づくとそこから赤い液体が滲み出ていた。
更に口内にぬめりとした感覚。
それにわずかに遅れて鉄の味がやってくる。
(いけない。ついカッとなっちゃった。気を付けなきゃ。)
彼女は思考を1つにまとめ上げる。
(山内は嘘をついた。内容は私と付き合っていて体の関係を持ったってとこかしら。・・・下衆が。根も葉もないこと言いやがって。)
今まで彼女は彼の孤立という自分の計画のために彼に向けられる罵詈雑言を許容してきたのだ。
一見無関心な彼女だが内心は無限のように湧いてくる憤怒の感情を押さえつけるので必死だった。
彼を愛していいのも、無論彼女はする気がないが馬鹿にするのも傷つけるのも彼女だけの特権なのだ。
しかし、彼の嘘は違う。
彼女の計画には山内など周りの有象無象と同じで彼をただ孤独にしてくれるだけでよかった。
それが勝手に彼氏面して最愛の人を深く傷つけたのだ。
到底許せるはずがない。
彼女はカバンからスマホを取り出し、少しの間画面を操作していたがその後すぐに屋上へと向かった。
「やぁ、どうしたのひな?」
「ちょっと山内君に伝えたいことがあって。」
放課後。
屋上に上がると夕日によって作られた陰陽が明瞭に浮かび上がる。
部活動にいそしむ静との掛け声がこだまする中、そこには二人の人物がいた。
1人はイケメンの山内君。
夕日を真横から受け、その美貌に更に磨きがかかっていた。
もう一人は・・・言うまでもないだろう。
山内を呼び出した彼女は出会ってすぐにイラっとした。
いつもは名字呼びのくせに、2人きりになると名前で呼んでくる。
その名前を呼んでいいのは彼だけなのだ。
お前ごときが口にしていい名前ではない。
まぁ、どうせそれも今日で終わりだ。
「その、あのね?今日噂で聞いたんだけど・・・。」
あくまでしおらしく、心の内を見せないように仮面をかぶる。
友人たちから聞いた話はまだ噂の域を出ていない。
山内から事実を確認しなければならない。
「あぁ、あの事。」
「あ、あれってどういうことなの?」
すると山内は何を思ったのか大袈裟に咳払いする。
「ひな!俺と付き合ってくれ!」
静寂が2人を包む。
「・・は?」
突拍子もない展開に思わず声を上げる山城。
「あの噂は実は俺が流したものなんだ。でも俺は君の為を思ってしたんだ。俺は世界中で一番君を愛しているから!」
噂を流したのが山内ということは彼女にもわかっていた。
というか知っていなければ、わざわざ放課後を使ってまで呼び出したりはしない。
彼の言動はライブで確認したいのだから。
彼女には1つ気になる点があった。
「私の為にしたってどういうこと?」
その彼女の問いに待ってましたとばかりに山内君は口を開く。
「あぁ、あいつのことだよ。ほら、いつも隅でおとなしくしてるひなの幼馴染のことだよ!」
「彼がどうかしたの?」
「だってひなはあいつが嫌いなんだろう?ただ幼馴染っていうだけでお弁当持ってくるようなきもい奴だぜ。だからさ、言ってやったんだ———」
そこからはやはり彼女が予想した通りの流れだった。
なるほど。
そういうこと。
山内は自分の武勇伝を利かせるように自慢げに何か喋っていたがもはや彼は彼女の眼中になかった。
やっとわかった。
彼がああなったのは100%山内のせいだ。
本来の彼女の計画では四面楚歌の彼を自分に依存させ、甘い甘い日々を過ごしている頃だった。
彼の傍には私だけが居ればいい。
味方は私だけ。
その為に何年も計画を練ってようやくここまでこぎつけたのだ。
それをこいつが邪魔した。
懇切丁寧にやっと育てた、たった一つの甘露な果実は収穫直前で地に落とされたのだ。
彼女の体は自然に動いた。
山内の首を掴み、足払いをし、一気に固いコンクリートの床に押さえつける。
男と女だ、絶対的な力の差はあれど、不意を突けば別だ。
「かはっ!」
衝撃で肺の空気を吐き出した山内はすぐに新鮮な空気を欲し、息をしようとするが首を掴まれている為まともに呼吸ができない。
むせかえる彼は一体何が起きたか分からないといった顔をして山城を見る。
「動かないでくれます?」
「え、え?どうして・・・」
「よくもこんな真似してくれましたね。私がいつそんなことをしてと頼みましたか?勝手に彼氏面して妙な噂をまき散らして頭おかしいんじゃないですか?あなたのせいで彼に誤解されたんですよ?どうしてくれるんですか?・・ねえ?聞こえてます?」
一切表情を変えることなく、微笑を浮かべながら山内を問い詰める。
無論目は笑っておらず、虚ろな瞳はただただ興味無げに彼を映していた。
今まで経験したことのない悪寒が彼を襲う。
冷汗が背筋を舐め、のどはカラカラ。
生唾を飲み込む音がやけに大きく聞こえる。
「いいですか?もしこれから私の彼に必要以上のちょっかいを出したら・・・」
そこまで言うと彼女は山内の耳元に顔を近づける。
鼻腔を甘い匂いがくすぐるが、もはや彼はそれどころではなかった。
一刻も早くこの得体のしれない生き物から離れたかった。
「コ ロ シ テ ヤ ル 」
山内は本能的に察する。
この女は異常だと。
常軌を逸している。
たかが一人の男のためにここまでするのか。
「ば、化け物。」
山内は心底怯えていた。
彼女の心の内に巣くう魔物の存在に。
普通の人間なら持ちえないもの。
まさに異端、異質、狂気。
常軌を逸した人間を目の前にして彼は震えるほかなかった。
早くここを立ち去ってくれ。
そんな切な要求で胸中はいっぱいだった。
彼の願いを天が聞き入れたのか、幸いにも山城は踵を返すと一切振り返ることなく去っていった。
しばらくしてようやく体の自由を得た半べその山内君は静かに絶望する。
「ま、マジかよ・・・。」
彼の股座を濡らす黄色い液体に。
「な、なんでお前が来てるんだよ。」
時刻は屋上の件から約一時間後。
山城は愛しの彼の自室にいた。
「話したいことがあって来たの。」
「は、話すことなんか・・ない。」
「ねぇ、山内君と話したでしょ?私のことで。」
「ッ⁉」
「その反応、図星みたいだね。」
にこりと笑みを浮かべて彼に一歩近づく。
「それがどうしたっていうんだ。」
それに呼応するように彼もまた一歩下がる。
「あれね。嘘なの。」
「え・・・?」
「あいつが勝手に広めた真っ赤な嘘なのよ。何なら確認してみる?」
彼女は持っていたカバンからあるものを取り出す。
「そ、それは?」
「ボイスレコーダー。」
彼女は面白そうに眼を細め、振り振りとそれを揺らす。
「あいつがね私と付き合ってるなんて噂を聞いたからびっくりして確認に行ったらさ、何て言ったと思う?あいつ?私が幼馴染のあんたを迷惑に思ってるから代わりに俺がやったですって。冗談はいい加減にしてほしいわ。」
相変わらず、微笑をたたえた顔を一切崩さずに彼女は続ける。
「ねぇ、まだ信じられない?」
彼女は彼の目をじっと見つめる。
「そ、それは。」
彼から見て取れる明らかな動揺。
逡巡し、思わず視線を外した彼に更にもう一歩彼女は歩を進める。
そして切り出す。
「私ね、本当はあなたのことが好きなの。」
「え?」
「昔からずっと好きだった。でも高校生になって急に恥ずかしくなったっていうか・・・今までの関係から前に進むのが怖くなって、今までみたいに話しかけられなくなって。でも!私はずっと君が好き!だから私と付き合ってください!」
頬に朱がさす彼女を見て彼はぞっとしていた。
確かに今の彼女は絵になるほど美しい。
彼女より後に自室に入った彼は必然的にドアの向かいの窓を背にした彼女と対峙する形になっている。
仄暗い夕日を背負った紅潮する彼女を見て普通の人間なら心奪われるだろう。
しかし彼には確実ともとれるある予感が。
異物ともとれる名状しがたいどす黒い何かが彼女の中で渦巻いているのを敏感にも彼は感じ取っていた。
本能的に彼は察した。
彼女とは関わってはいけない。
伊達に17年も幼馴染をしていない。
「ねぇ、君は私のことどう思ってるの?」
「ヒッ!!」
彼女の瞳にはもはや光がなく、小首を傾げながらだんだんと彼に肉薄する。
その微笑は常に穏やかで決して消えることはない。
「ねぇ。」
「俺は・・俺は!お前とは付き合えない」
「・・・理由を聞いても?」
彼は急速に思考を巡らせる。
下手なことを言って刺激するのは絶対に避けたい。
「君には俺なんて見合わないよ。もっと君にふさわしい、いい人がいるから。俺なんかじゃ君には釣り合わない。ほ、ほら!竹中君何てどうだ!すごくいい人じゃないか!勉強もスポーツもできるし顔だって良い。な?山城さんもそう思うだろ?」
口内の水分が急激に失われていくのを感じながら彼は必死に彼女の説得を試みた。
「・・・そう。・・・分かったわ。」
意外にも彼女はすんなりと彼の言うことを聞くと、そのまま部屋を出ようとする。
「ッ!!」
しかしすれ違う刹那、彼にすさまじい衝撃が走る。
瞬間的に意識を手放した彼がどっと地に倒れる。
電圧を改良したスタンガンを手にした彼女は心底嬉しそうに笑う。
「君は私だけのものなんだからそんな簡単に手放すわけないでしょ?大丈夫、この日の為に揃えたお薬もいっぱいあるし後は私の部屋に行こっか。私のことを好きになるまでずーっとずーっと一緒にいようね。私だけの旦那様♡」
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