幼馴染 中
あれから1週間が経った。
彼は普段と変わらず高校に通っていた。
もうあんな思いはしないように彼は自分の心を殺して日常生活を過ごしていた。
周りが時々彼のあらぬ噂を囁くようになったくらいだ。
しかし元々名前さえ碌に憶えられていない彼のことだ
あまり気にすることはなかった。
「・・・・・・??」
そしてその放課後。
今日も彼はいつも通りに帰り支度をしていた。
まだ教室はガヤガヤとうるさい。
そのやかましさに紛れて彼に近づく影が一つ。
「ねぇ、ちょっといいですか?」
「・・・」
「ねぇ!」
「うわっ!びっくりした~」
まさか自分に声が掛けられているはずがないと思っていたため、反応しなかったところ肩を叩かれてしまった。
ふと見るとひとりの女学生が彼の目の前に立っていた。
くりくりとした人懐っこい黒の瞳に艶のある茶髪のショートカット。
運動部なのだろう。
肌は褐色に焼け、控えめな胸も相まっていかにも活発そうな少女のイメージ。
身長は彼よりも頭一つ分小さい。
「ど、どうしたの?僕に何か用?」
「ん~~」
その少女はニコニコと笑っている。
「これ、後で読んどいてね。大丈夫、悪いモノじゃないから」
まだ口を開けている彼のカバンに何やら入れたようだ。
「えっt——「ほら帰った帰った~~」」
そのまま背中を押されて教室から出される。
「あっ、そうだ」
彼が背中を向け、帰ろうとした時ふとあの少女に呼び止められる。
「な、なん———」
振り向いたときあの少女の顔が間近にあった。
綺麗だと思うまでもなく彼の唇はふさがれていた。
唇に触れる柔らかい感触。
それは彼が今までに経験した何よりも柔らかくて暖かくて落ち着く感触だった。
例えるなら、春のように豊かで柔らかな木々の間からわずかに差し込む木漏れ日を全身に浴びている感覚に近かった。
「——はっ!」
気が付けば少女は愉快そうに笑う。
「手紙。ちゃんと読んどいてね?」
「は、はい」
彼はただ茫然としてコクリと頷くばかりだった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・ッ!!!」
その後、自分でもどうやって帰ったのかは分からない。
カラスの鳴き声で我に返った彼。
気が付けば自分の家の前まで来ていた。
「ねぇ」
家に入ろうとしたころ、すぐ隣で声がした。
声のした方に視線を向けるとそこには中城が立っていた。
「あっ。・・・」
中城はすぐに彼の元まで来ると肩を掴む。
爪が食い込み、思わず苦悶の表情を浮かべる。
「カバンの中見せて」
「えっ?」
「いいから早く!」
「は、はい」
反射的にカバンを中城に渡してしまう。
中城はカバンを受け取ると普段と変わらない穏やかな顔で彼のカバンを物色し始めた。
そこからお目当てのものを見つける。
「あ、それは・・。」
中城が手に持っているのは今日あの少女から渡された手紙だった。
「いいから見せなさい。」
彼の手を軽く払いのけ、ご丁寧に蠟で栓されたそれを開封し中身を読み始める。
一瞬中城の眉がピクリと強ばる。
がすぐに弛緩し、視線を彼に戻し告げる。
「これ私が預かっておくから。」
「な、何で。」
「あんたには関係ないことよ。」
「そんなの読んでみないと分からないじゃないか。かえs————」
「関係ないことよ。分かった?」
「・・・はい。」
彼は従わざるを得なかった。
彼も男だ。
流石に中城よりも力は強い。
だがここで無理やり手紙を奪い返せば、学校生活が怖い。
これ以上周りの環境が悪くなるとさすがに耐えられない。
従って彼はしぶしぶ了承するほかなかった。
「それじゃあね。」
そう言って中城は自宅へ戻っていった。
意気消沈した彼は二階の自室に戻る。
頭の中はあの少女のことで頭がいっぱいだった。
手紙の内容は一体何だったのだろうか。
いまやそれを知る術はない。
何となくカバンを開け、しばらく探っていたがあるとき彼の手がぴたりと止まる。
カバンから引き抜いた手に握られていたのは中城が持って行った手紙と同じ手紙だった。
彼女は二枚入れたのだろうか。
すぐに中を確認する。
その中身に彼は驚愕する。
『好きです。付き合ってください。PS 初キスです。』
わずか一文である。
しかし彼にとっては十分すぎる一文だった。
しばらくは思考がまとまらなかったが、すぐにその真意を読み取ろうとする。
真っ先に思いついたのは嘘告。
いわゆる罰ゲームである。
確かにと納得しかけたが引っかかる。
罰ゲームで好きでもない男に告白し、キスまでしてくる女子高生がいるのだろうか。
少なくとも彼の思い描く女子高生、というより女性観には一つも該当しない。
つらつらと長い文章なら彼もその綻びを見つけようと躍起になっただろう。
しかし僅か一文である。
女性関係が皆無の彼にとってこれ以上を類推するのは不可能に近かった。
彼はため息をつきベッドに倒れ込む。
諦めた青春がすぐそば、手の届くところにあるかもしれないという期待と、どうせ遊ばれているだけに決まっているという今まで培った経験から生み出されたある種戒めともいうべき感情が彼の中で渦巻いていた。
しかし、彼の胸の内はどちらかといえば前者が勝っていた。
というのもやはり罰ゲームでキスまでしてくる女性がいるのかという彼の異性への見解からであった。
その内あのキスさえも自分の勘違いなのではないかとまで思えてならない。
悩んだ結果、彼は明日確かめることにした。
彼にしては英断である。
結局のところ彼女の真意が分からないのだ。
これは彼女の言葉を蔑ろにしているのではない。
彼にとってこれは当然のことなのだ。
行為を行為として素直に受け止められないほど彼の精神は弱っていた。
彼に対して好意を持っているのか否か。
そこも含めて彼女とは一度話し合う必要がある。
その日は無論眠れなかった彼である。
一方その頃、中城は自宅で机に向かっていた。
しかし勉強をしているわけではない。
その机には彼女が取り上げた件の手紙。
そして机の上に置かれたデスクトップに表示された隣の家の愛しい彼の姿。
彼は今ベッドに倒れ込んだところだった。
「うわっ、まさか二枚も入れてるとか。あの女、気づかなかった。クソ!」
彼女は嫌な思いを振り払うように椅子から立ち上がるとカギのかかった重厚な金庫の前に立つ。
一辺15㎝ほどの立方体の金庫の中には年、日付のテープが張られた大量のUSBが丁寧に分けて保管されていた。
彼女にとって命よりも大事なものである。
その中から一枚を抜き取り、パソコンに接続する。
液晶に映し出されたのは愛しい中学生の頃の彼。
それを凝視し、癒されながら必死に頭を回転させる。
(どういうこと?すべてうまくいってたのに。もう少しで彼を私だけのものにできたのに。まさか気づいた?あいつに同情でもかけてるつもりなの?なんにせよあいつは明日必ずあの女に近づくはず。フフ、そんなことさせるわけないじゃない。彼のファーストキスを奪った罪は重いわよ。絶対に、絶対に許さない。・・・明日が楽しみね。)
無限に湧いてくる思考。
そんな彼女の瞳に一切の光はなかった。
夜は静かに更けていく。
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