恋慕
サラリーマンには季節など関係ない。
雨の日も雪の日もただ毎日決まった1日を過ごすだけだ。
「おはようございます。」
「おぉ、おはよう。」
「おはようございまーす。」
朝、もはや形骸化した言葉を口から出し自分の席に座る。
「はーー。」
カバンを置いて大きく肩を回す。
「なんだよ。朝からため息なんてお前らしくないな。大丈夫か?」
「あぁ、ちょっと疲れがたまってるのかもな。」
「そうだろうな。お前教育係に任命されたもんな。」
キキキと意地悪く笑う同僚。
入社3年目で教育係となったがそれ自体は別にいい。
受け持つのは2人で確かに面倒くさいが仕事と割り切れる。
問題はその新入社員の2人だ。
いや、正確には1人か。
コツコツと革靴の小気味良い音が近づいてくる。
「おはようございます!先輩!!肩こりですか~?だらしないですね~。」
「きたか・・・。」
俺を覗き込むようにしてにやにや笑うこいつは今年入社した日向久美。
俺の母校の後輩で小さな部活で昔一緒だった。
「来たかとは何ですか!来たか!とは。可愛い後輩が来てあげたんですよ。少しはありがたがっても罰はあたりませんよ。」
「おはよう!中平ちゃん!!今日も元気だね!」
「田中先輩もおはようございます!」
元気よく同僚のあいさつにこたえる後輩を後ろに早速仕事を始める。
「あれ?あと一人・・あっいたいた。こっちだ。・・おはようさん。」
もう一人の新人も来たところで早速仕事に取り掛かる。
その時だった。
「やあ。中平さんおはよう。それと皆さんもおはようございます。」
どこからともなく姿を現したのは内田亮介。
この会社で一二を争う敏腕社員でおまけに顔もスタイルも抜群で俺なんか足元にも及ばない。
それ自体は嫉妬してしまうところもあるが事実だ。
しょうがないのだが、苦手なのは女癖の悪さだ。
その容姿であっちこっちに女性がいるらしい。
人の女性関係にとやかく言うつもりはないが、纏っている雰囲気も好きではない。
そして何よりこの人は俺の上司だ。
「おはようございます。内田課長。」
俺のあいさつを皮切りにみんな挨拶を交わす。
「あぁ、ところで中平君、今日のお昼ご一緒しても?もちろん私のおごりで。」
「えぇ、本当ですか!?先輩、課長のおごりですよ!」
いつになくはしゃぐ後輩さん。
多分二人きりでっていう意味だと思うんですけど。
一瞬拍子抜けした顔をした内田だったがすぐに平静を取り戻す。
ここらあたりはさすがといったところだ。
「もちろん君も一緒で構わないよ。後輩を労うのも先輩の務めだからね。」
そう言って踵を返す内田課長。
しかし俺は気づかなかった。
一瞬内田課長が鋭く憎悪のこもった目で俺を見ていたことを。
「・・・・・・。」
そこから何かにつけて内田課長は中平と二人きりになろうとしていた。
給湯室、仕事の休憩時間、夕食のお誘いなど何とか2人で会話したい様子だった。。
しかし、中平は絶妙なタイミングで内田のそれをかわし、断っていた。
そのくせ後輩のさえない教育係の後輩には楽しそうに話したり、2人で飲みに行ったりしている。
いつしか内田は中平を恨むようになった。
そしてその恨みの矛先は同性である教育係の後輩へと変わっていった。
「よう。後輩!この仕事頼むわ。」
「え?これは先輩のjy——」
「すまん俺急遽取引先と会わなきゃでさ。そういうわけだから頼むわ。」
「あっ、分かりました。期限は・・・え!!明日!!ちょっと課長———行っちゃった。」
「え?俺の弁当が・・・。」
ある時は気が付けば弁当が捨てられていたり、ある時はデスクにおいてある私物、挙句の果てには書類がなくなったりとだんだんと俺は神経がすり減ってきていた。
元来引っ込み思案で思い切って打ち明けることの苦手な俺はつい自分の中にため込んでしまっていた。
陰湿な嫌がらせは終わりの兆候が見えないまま時間だけが過ぎて行き、中平との時間も徐々に作れなくなっていった。
「さて、そろそろですかね。フフフ待っててくださいね。せーんぱい。」
「ちょっと先輩!!最近私と飲み行けてないですよね!」
残業終わり中平が俺のデスクをドンとたたき抗議される。
「あぁ、ごめんね。最近忙しくてね。先帰ってていいぞ。飲みはまた今度な。」
頭をふるふると振るい、抗議の目で見つめてくる。
確かにここのところずっと断ってきたからな。
どうやら今日はてこでも動かないらしい。
「・・・分かった。ちょっと待ってて。ここだけ終わらせるよ。」
俺の言葉で一気に破顔する。
花のような笑顔に少し励まされた俺はすぐに支度をして、いつもの居酒屋へ向かおうとする。
しかし、会社を出てすぐ足が止まる。
不思議に思い振り返ると中平が頬を朱に染め袖をつかんでいた。
「どこ行ってるんですかぁ、先輩。」
「え?どこっていつもの居酒屋じゃないのか?」
ぽかんとする俺を見て、にこりと笑みをこぼす。
「先輩のお家ですよ。」
「駄目だ。ほらいくz———」
「やっぱり迷惑・・でしたか?」
「え?」
「最近先輩が元気ないのは何となくわかってました。私の教育係になってから日に日に落ち込んでいくっていうかその・・弱っていく先輩をもう見てられません。お願いです。今日だけですから今日だけお願いします。」
上気した顔でしかし真剣な面持ちで頭を下げる中平。
そんな彼女を見て、いつもの俺なら拒めただろう。
しかし積み重なった陰湿な嫌がらせにすり減っていた俺の精神がそれを許さなかった。
「・・・今日だけだぞ。」
「!!・・はい!」
こうして喜色満面の中平を家に招待することとなった。
そこからの家路は街の明かりがやけに眩しかったように感じた。
「お邪魔しま~す。」
帰り道、俺たちは酒とつまみをいくつか買い込んだ。
「すまん。あまり掃除してなくて散らかってるけど」
それに中平はうーんと唸る。
「一人暮らしの男の人なんてこんなもんじゃないですか?まぁ私男の人の家久留野初めてなんですけど。どうですか!グッときましたか?」
拳を握りしめ迫る。
「あほか。ほらそこ座れ。」
「はーい。」
小さくて殺風景なワンルームにぽつりと置いてある机に酒を置き、宅のみが始まったのだった。
小一時間ほど中平は仕事の愚痴をこれほどかというくらいこぼした。
新人でも容赦なく仕事増やされるとか、あの禿げ親父は目がやらしいだとか。
美人だからこその悩みもあった。
「ぷは~~~。やっぱり仕事おわりの酒はおいしですね~。」
買ってきた酒を半分ほど開けたころ、もうあまり残っていないつまみを口に放り込む。
「そうだな。・・うまいな。」
「あ~~!」
「ど、どうした?」
「やっと笑ってくれた~。先輩の笑顔、最近見れなかったから嬉しいです。・・へへ。」
「っ!」
思わず口に手を当てる。
どうやら彼女のコロコロとした笑いに自分も誘われたようだ。
そして久しく自分は笑っていないことに気づく。
例の件が始まって以来、自分の生活から笑みがだんだんと消えていった。
そんな俺にいち早く気づき、彼女は心配してくれていたのか。
胸の奥底から熱い物がこみ上げてくる。
「ねぇ先輩。」
「な、なんだ。」
持っていた缶を机に置き彼女は俺に向き直る。
「私先輩の負担になってますよね。」
「え?」
「・・・先輩は優しいですね。でもいいんです。私の担当になってからずっと辛そうにしてて本当にすいません。」
ペコリと頭を下げる。
(飄々としてるくせにこういう時はおとなしくなるんだよなぁ。)
普段は見せない後輩のしおらしい態度をみるとなぜかこっちが悪いような気がしてくる。
「馬鹿、何頭下げてんだ。新人二人のお世話でここまで苦労するかよ。」
軽く中平の頭を小突くとわけが分からないといった表情を見せる。
「え?なんで?私がわるいんじゃ・・。」
「だから、新人二人のお世話位でこんなにグロッキーにはならねぇよ。」
俺の言葉をかみ砕くように俯いていたがすぐにはじかれたように顔を上げる。
「・・・お世話位でっていうことはまさか他に何か?」
鋭い奴だ。
しかしあいつのことを言ってもこいつに余計な心配を掛けそうだし黙っとくか。
「別に何も。・・ほらもう遅いから帰れ。」
立ち上がろうとしたが肩を抑えられ、そのまま座らせられる。
「先輩。すぐにはぐらかさないでください。私分かりますからね。先輩のそういう癖。」
「グッ・・。」
「立てに先輩の後輩やってませんから。先輩教えてください。どうしてそんなに元気がないんですか。」
真剣に聞いてくる。
表情は険しく、全く笑みを浮かべていない。
「私、先輩には本当に感謝してるんです。高校の時からどんくさい私はいつも先輩の助けを借りて何とかやってきました。苦言の一つもなく真摯に私に向き合ってくれている先輩に私どこまでも付いて行こうって決めたんです。それなのに大人になった今でも先輩の足を引っ張ってるなんて私情けなくて・・・。」
スラスラと一切の淀みなく中平の口から紡がれる言葉が俺を打つ。
体の内側からほぐされるような緩やかで穏やかな波紋ともいえる何かが俺の全身を走り抜ける。
ここまで自分の思いをさらけ出してくれているのだ。
こいつには全部話さなければ失礼だ。
俺は覚悟を決める。
さっきまでの酔いはもはやなかった。
そこから俺も今受けている内田課長からの陰湿な嫌がらせ、この仕事自体はとても好きで決してお前のせいでここまで辛い思いをしているわけではないと話した。
それを聞いて中平は大変ご立腹のようだった。
彼女は絶対に自殺とかしないでくださいよと俺に釘を刺した後、すぐに踵を返し帰宅した。
呆気にとられる俺だったが彼女との話し合いで幾分か気が楽になった。
あいつが居れば俺もまだまだ頑張れるな。
一瞬そんな柄にもない思考が頭をよぎったがすぐに霧散する。
明日も早い。
その日はすぐに床に就いた。
久しぶりによく眠れる夜だった。
その一週間後、突然俺は昇進した。
直々に社長室に呼ばれてのことだった。
青い顔をしたままの社長は震える手で俺の手を掴みながら、これからもよろしくと一言とそれと同時に俺の昇進が告げられた。
呆気からんとする俺がいつものデスクに戻ってくる。
しかしそこに俺のそれはなかった。
「せ~んぱい。昇進おめでとうございます!」
そこにはよく知る美人な後輩が一人にこりと屈託のない笑みを浮かべていた。
「・・・あっ。」
何となくわかってしまった。
あの社長の青ざめた表情と震える体。
いつもなら、いの一番に嫌味を言ってくる内田課長がいないこと。
その彼のデスクが忽然と消えていること
言葉にするのは無粋なのだろうか。
昨日とは違う位置に置かれた俺のデスク。
「お前・・・ありがとな。」
「え~?何のことですかぁ~?これもきっと先輩が頑張ってたからですよぉ~。」
相変わらずニコニコと魅力的な笑みを浮かべる後輩。
そんな彼女に俺も俺なりの最高の笑みで返す。
「これからもよろしくな!」
「こちらこそこれからもずっとず~~~っとよろしくお願いしますね?せ~んぱい。」
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