お嬢さま
「お疲れー。やっと飯の時間だなー。」
「ああ、やっとな。こっちはこれが唯一の楽しみだよ。」
「ほんとにそれ。授業のめんどくさいことと言ったら。」
田中 拓也。
特に特徴のない男で、去年地元の高校に入学した高校二年生だ。
脇役という言葉がぴったり合うこの男にも友達の数人はいるようで彼はようやく訪れた昼休みの時間にホッと胸をなでおろしていた。
「おい。さっきの時間の数学の公式さ、全くわかんねえんだけど。」
購買で買ってきた焼きそばパンを頬張りながら拓也の友人である今田が声をかける。
「俺も。拓也は?」
おかずのウインナーを口に放り込みながら、これまた彼の友人である荒井は言葉を回す。
「いやー。俺は何とかだけど。」
「まじ!?流石拓也だな。」
「この三人の中でお前が一番頭いいもんな。」
「って言っても万年学年100番台だけどね。」
後で教えてくれよ—と談笑しながら、ゆっくりと昼休みを過ごす。
「少しいいかしら?」
ふとその平和なグループに声をかけるものが一人。
「雨宮さん、どうしたの?」
雨宮凛。
腰までゆるりと伸びたまばゆい金髪に鋭い目つき。
日本人の俺よりもわずかに高い鼻に新雪のような肌、おまけに女性特有のボディーラインもしっかりと主張していて非の打ちどころのない美少女である。
更に、雨宮グループといえば世界有数の大財閥だ。
誰しもが憧れ、羨む、そんな人間なのだ。
「田中君。今日は部活をやることになりましたので、放課後部室に来てください。」
「うん。分かった。」
「それでは。」
雨宮はくるりと拓也たちに背を向けて歩き去った。
「ふー。相変わらずおっかねぇな。」
「あぁ、あの雨宮グループだもんな。」
冷汗をかき、少し引いたような反応を見せる拓也の友人たち。
しかし、話しかけられた本人はと言うと。
「話してみるとそんなに怖い人じゃないよ。」
にこやかに返す。
「お前、本当に言ってんのか?それ?」
「え?」
「お前なぁ、誰と話してるのか分かってるのか?あの雨宮グループの御令嬢の雨宮凛さんだぞ。噂じゃあ、機嫌を損ねると即刻海の藻屑にされちまうとかあれこれ飛び交ってるんだからな。」
荒井は誰にも聞かれないように耳元でささやく。
「へー。」
「へーってお前。のんきだな。大丈夫か?」
今田が心配そうな顔で拓也の顔をのぞき込む。
「大丈夫だよ。」
そう言って、3人のうち1人だけのんきに昼食をすますと、めんどくさい午後の授業を受けるのだった。
「お疲れー。また明日なー。」
「じゃあな。」
「うん。2人ともまた明日。」
放課後、拓也は1人部室へと向かう。
部室といっても空き教室を使わせてもらっているだけなのだが。
後者の窓から西日が差し込み、廊下に長い影を落とす。
気が付けば運動部の快活な掛け声がこだまする。
拓也の入っている部活は読書部という変わった部活で部員は拓也と雨宮凛の2人だけである。
この読書部というのは雨宮が大の読書好きな為、特例で作ってもらった部である。
雨宮自身も図書委員長として毎週月曜日に図書室の管理を任されている。
図書室が閉館する木曜日以外は放課後でも開いており、本の種類・数も豊富である為、多くの学生が利用している。
「失礼します。」
恐る恐るドアを開けると、そこには雨宮の姿があった。
雨宮は拓也の存在に気づいたようで、挨拶を口にする。
「こんにちは。田中君。」
「こんにちは。雨宮さん。」
2人は簡単な挨拶を交わすと少し距離を開け、読書を開始する。
これはお互いが距離を話しているというわけではなく、気づけばこのような距離感で読書にふけるようになっていた。
静かな時間が2人の間を流れる。
聞こえるのは時折頁をめくる音のみ。
遠くから聞こえる運動部の声を背景に2人は本を読み進める。
「最近めっきり日の入りも早くなりましたね。」
突然雨宮が静寂を破る。
「え?あぁ、そうですね。もう冬ですからね。」
「・・・そういえば今回のテストはどうでしたが?」
「今回は103番でした。いつも通りですよ。雨宮さんは?」
「わたくしは前回と同じでしたわ。」
「前回ってことは・・え⁉また1位ってこと?」
拓也は驚愕し、思わず席を立つ。
「すごいね。頭がいいのは知ってたけど。」
そういう拓也の言葉に雨宮は微笑を浮かべ、会釈する。
「そんなことはありませんわ。」
「そうなんだ。凄いね。」
相変わらずのステータスの高さに半ば唖然とする拓也。
「それじゃあ、今日はこのくらいにしましょう。」
「はい。分かりました。」
時計はもう6時前を指している。
読書に思ったより熱中していた2人はその後特に会話を交えることなく帰宅した。
その夜。
街はまだ煌々とした光を暗い夜空に滲ませている時間帯。
ある高級市街地の中でも一際目を引く豪邸のある一室に置かれているテレビの前でその大画面を食い入るように見つめる1人の女性がいた。
「はぁ・・今日も素敵な人。」
画面に映された人物は今ちょうど彼の母親にテストの結果について小言を言われているようだ。
『あんたねぇ、103番ってせめて100番以内に入ってよ。まあ、一応半分より上だからまだましかしらね。』
『次は頑張るよ。』
『期待してるわよ。』
『はーい。』
彼はそう言うと2階へと向かった。
「あ、ねぇ、画面切り替えて。」
「かしこまりました。」
雨宮は傍に控えた執事に命令して画面の切り替えをさせる。
映し出されたのは彼の自室だ。
電気も付けていないため少し薄暗い。
男の部屋ぽいっというか、乱雑にものが散らかっている。
彼はため息を1つつくと、ベットに寝転がる。
『あぁー、疲れたー。』
「もう少しアップにしてくれる。」
「かしこまりました。」
カメラをズームすると、彼は本を読んでいた。
もうすでに三分の一は読み終えているだろうか。
「彼が今読んでる本を今すぐ購入しなさい。」
画面から片時も目を離さずに口を開く。
「かしこまりました。」
執事は少しの間襟のピンマイクに何かを話しかける。
「ただいま買わせております。もうしばらくお待ちください。」
「できたらすぐに知らせなさい。」
「かしこまりました。」
この後、雨宮は彼が風呂に入り、夕食を摂り、勉強をし、眠った時刻をそれぞれ分厚いメモ帳に記録するまでの間、ほとんどその席を立つことなく、彼と同じ時間帯に同じ行動をしたのち、その日を終えた。
これが彼女の日課である。
出会って一年以上たった今でもこの習慣は全く変わらない。
変わるどころか徐々に記録することが増えていった。
更に最近雨宮の拓也への依存度は高まっていく一方である。
もっと彼と関わりたい。
彼女は天蓋付きの豪華なベットに腰掛けるとメモ帳を緻密な細工がされている箱に入れると、スマホの電源を入れる。
待ち受け画面には、彼の寝顔。
学校で居眠りしているところを盗撮したのであろうか、腕を組んだ状態で机に伏せ、そこに顔をうずめるようにして眠っている。
今夜は月の出ない新月。
時刻も深夜に近く、辺りは水を打ったように静まり返っている。
静寂と暗闇に包まれた部屋の中、彼女の顔だけがスマホの明かりに照らされ、表情が浮き彫りにされる。
その表情は恐らく誰も知らないであろう。
青白く浮かび上がる彼女の可憐な顔は愉悦に歪んでいた。
頬は赤く上気し、呼吸は荒い。
瞳は光を失い、その虚ろな目で彼の写真をうっとり眺めていた。
「あぁ、拓也君。必ず私のものにしてあげるからね。絶対誰にも渡さない。」
ぼそりと呟かれた彼女の言葉を聞く者は無論誰もいない。
闇に溶けるようにじわりと消えた。
「荒井、今田おはよー。」
「おう、おはよう。今日数学の宿題やってきたか?」
開口一番荒井は数学の宿題について聞いてくる。
「え?数学?今日何曜日?」
まさかと焦る今田。
「木曜日だよ。馬鹿。」
荒井は呆れるようにカバンを机に下ろす。
「なぁ、拓也・・・。」
「また宿題見せてくれっていうの?」
「すまんねぇ。また見せてくれよ。拓也―。」
「全くしょうがないな。今回だけだよ?」
カバンからノートを取り出す。
「あーマジで助かる。今度なんか奢ってやるから。」
今田はノートを受け取ると、早速写しに自分の机に向かっていった。
「いつになったら自力でやってくんのかね?あいつは」
「まあ、そういうなよ。あいつはあいつで大変なんだよ。」
「そういうもんかね?」
いつものやり取りを終え、拓也は本を開く。
「ちょっとよろしいかしら?」
「うわ!?び、びっくりした。」
一体いつの間に拓也の近くにいたのだろうか。
すぐそばで彼に話しかけていた。
「な、なんですか?」
「今日も部活急遽やることになったので。」
「わかりました。行きます。」
「それと、今度の土曜日新しく備品を購入する必要があるのですけど一緒について来てくださいませんか?」
「あーちょっとその日は無理かな。」
「何故です?」
静かに、しかし意外そうに聞き返す。
「その日は、弟の大会の手伝いしなきゃいけないから。」
「そうでしたか。分かりました。」
それではと言うと雨宮は自分の席に帰っていく。
周りも少し敬遠しているようで大企業の御令嬢で魅力的な女性であるにも関わらず彼女に人だかりができるということはまずない。
いや、寧ろ逆か。
有名すぎて根も葉もない物騒なうわさが絶えない。
みると荒井も憐みの目でこちらを見ている。
(そんな人じゃないと思うんだけどなぁ。)
拓也は漠然とそんなことを思ったが、すぐに読書に集中し始めた。
あっという間に放課後がやってくる。
拓也は昨日と同じように3階の部室へと足を運んでいた。
(雨宮さんは先生に頼まれて、授業で使ったものを返しに行ったから結構時間が掛かるな。新しい本借りていくか。)
雨宮さんの行った第四棟は部室のある第一棟とは真逆の方向にある。
(あの先生の授業は使うもの全部生徒一人に任せるからなぁ。10分はかかりそうだ。)
丁度休み時間中に昨日読んでいた本を読み終えたので新しいのを借りるために図書室に行こうと思い至った。
部室の向かいに図書室があり、部活ついでに行くには絶好の場所にそれはあった。
図書室についた。
ドアノブを捻り、中に入る。
(今日は何を借りようかな?)
そんなことを考えながら本棚を見ているとあることに気づく。
(今日は人いないなぁ。)
普段頻繁に利用されている図書室なのだが今日は人っ子一人いない。
静まり返っている。
(おかしいな。)
「何をしているの?」
穏やかな水面に水滴を一滴落としたように澄んだ小さな声がこだまする。
「うわぁ!!」
驚いて勢いよく振り返ると入り口の近くに西日の赤橙光に顔の半分を照らされた雨宮さんがいた。
「びっくりした。雨宮さんか。驚かさないでよ。」
見知った人間がいたことにホッと胸を撫で下ろす。
「すいません。田中君が入っていくのが見えたものですから。」
慌てた様子の俺をくすくすと笑いながら雨宮さんは続ける。
「それに今日は図書室は開いていないんですよ。恐らく昨日の管理の人がカギを閉め忘れたのでしょう。」
そうだ。
今日は木曜日だ。
(道理で人がいないわけだ。)
「そういえば今日は木曜日ですもんね。すっかり忘れてましたよ。」
じゃあ戻りましょうかと入り口に足を向ける。
しかし、その足はすぐに止まることになる。
(あれ?)
目の前の雨宮さんは夕日の影に顔の半分が隠され、いまいち表情が分からない。
「雨宮さん、何でここにいるの?」
「え?」
「あの先生の片づけをして、こっちの棟に来るには早すぎないかなって。」
「あぁ、そのことでしたか。途中で先生が片づけをしてくれることになったので途中で戻ってきたんですよ。」
うっすらと雨宮さんの口角が上がったように感じた。
「なんだそうなんだ。」
不気味な感覚を覚えつつも俺は部室に向かおうと再度足を動かす。
雨宮さんは全く動かない。
背中に生汗が吹き出し、戦慄を覚える。
できるだけ目を合わせないように顔を伏せて隣を通り過ぎる。
その瞬間、一瞬だけ雨宮さんの表情が瞳に映る。
「っ!!」
反射的に、本能的に逃げようと走り始めた時だった。
背中に電流が走る。
急激に体が熱くなり、意識が遠くなる。
平衡感覚を失い、床に倒れ込む。
逆光で表情が見えないが、一瞬見えた彼女は光を失った瞳で薄笑いを浮かべながら静かに笑っていた。
「もしもし私です。今すぐ彼を運びなさい。私の大切な人だから丁重にね。」
薄れゆく意識の中、彼女の無邪気で愉悦に満ち溢れた声が耳に入った。
どれくらい時間がたっただろうか。
場所はあの豪邸の一画。
雨宮の自室だ。
そのベットの上に拓也はいた。
「・・ん。」
目を覚ました。
外は静寂に包まれている。
チラホラと人家の明かりが窓からわずかに零れ落ち、くすぶっているくらいだ。
冷たいガラスに部屋の内部が反射して薄く映り込んでいる。
ふと、目の前のドアが重い音を立てて開く。
「あ、雨宮さん?」
「よくお眠りになれましたか?」
ワゴンを押したまま部屋に入る雨宮。
「お食事を持ってまいりましたわ。」
「は?・・え?」
唐突なことに思考が追い付かず、情けない言葉を漏らす。
思わず、体を起こそうとすると不意に体が動かなくなる。
「・・・え?」
恐る恐る振り向けば拓也の両手に鈍い銀色の鎖がはめられ、その先はベットの四隅。
いや、両手だけではない。
両足も両手同様拘束されていた。
「あ、雨宮さん。」
「なんですか?」
平然と落ち着き払って答える。
「あ、あのこれは一体?」
「見て分かりませんか?今日からあなたは私のものです。」
「雨宮さんの・・もの?」
「ええ、そうですわ。」
「ちょっと待って。良く分からないんだけど。」
「分からない?あぁ、そうでしたものね。強引に連れてきましたものね。動揺するのも無理ありませんわ。」
ワゴンから銀トレイをテーブルに丁寧に並べながら、なおも続ける。
「今日の夕方、あなたは私にスタンガンで気絶させられてここまで連れてこられました。それから、私はあなたを買いました。」
「買う?」
あっけらかんとした風に言う雨宮。
思わず拓也は聞き返す。
「ええ。私が雨宮グループの令嬢であることは知っているでしょう。そのおかげともいえるのでしょうか、色々な人間のしがらみを見てきました。財産目当てで私に近づく気味の悪いもの、権力の庇護下に入るために見え透いたお世辞をペラペラとまくし立てて必死に機嫌をとろうとするもの、その権力をめぐった醜い内輪揉め、根も葉もない噂に怯え私を敬遠するもの。言い出せばきりがありませんわ。」
くすくすと実に愉快そうに笑う。
「私はこういう家庭に生まれたことを恨まなかったことはありませんでしたわ。家の伝統だとか格式だとかで自由のない堅苦しい毎日。貼り付けた笑顔で目先の利益しか追えない利己的な人間に挨拶をする無機質な一日。口に出す言葉は全て肯定され、私には異議の一つも帰ってこない張り合いのない退屈な毎日。表面は笑顔でも腹の中では身内でさえも自分の踏み台にしようと考える浅ましい連中のなかで過ごす汚れた毎日。」
磨き上げられた木製のテーブルにすっかり料理を並び終える。
雨宮は終始微笑をその美しい顔に浮かべていた。
でもと雨宮はさらに続ける。
「今、私はこの家庭に生まれてよかったと心から思えましたの。どうしてかわかるかしら?」
聖母のような慈愛に満ちた笑顔で語りかける雨宮。
その言葉に嘘はない。
「いや、分からないよ。」
「そうですか。そうですね。」
分からなかったことに怒る様子はなく、寧ろ喜んでいるように見える。
「あなただけなんですよ。私に普通に接してくれたのは。常人ならなんだそんなことと思われるでしょう。でも、それが私にとってどれほど新鮮で喜ばしいことだったかわかる人はいないと断言できます。」
銀トレイの覆いを1つずつ取りながら、なおも嬉しそうに言葉を紡ぐ雨宮。
「そんなあなたを絶対に失いたくない。誰にも取られたくない。私だけの、私だけのものにしたい。あなたを守るためならなんだってします。そんな時に思い浮かんだんです。」
「・・・一体何を?」
拓也はか細い声を何とか絞り出す。
「簡単なことです。私は雨宮グループの令嬢ですよ?その気になれば人一人の存在なんて簡単に抹消できます。もうあなたの帰るところはありません。あなたはここで私と共に永遠に暮らすことになるのですよ。」
恍惚な様子でうっとりと目を細める。
「嫌だ。俺は元の場所に戻るんだ!」
思わず拓也は声を上げる。
上体を起こそうにも体がうまく動かせない。
全身がマヒしているようだ。
どうしようもなくベットに倒れる。
「絶対に逃がしませんわ。あなたはもう私の生きる意味なのですから。ほら、これお召し上がりになって。空腹でしょう。」
料理の乗ったスプーンを近づける雨宮。
その瞳はどす黒く濁り、拓也だけが映る。
歓喜に酔いしれた表情でゆっくりと迫る雨宮。
彼らの運命はもはや覆しようがない。
夜はゆっくりと更けていった。
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