傲慢

蝉の鳴き声がカラッと雲一つない澄んだ空に響き渡る。

夏の風が青々と生命力あふれる木々を揺らし、緑の芳香を周囲にまき散らす。

「流石に暑いな。」

爽快感あふれる天気の元、重い足を引きずりながら今日も真面目に登校する。

額にジワリと汗がにじむ。

「真一、さっきから暑い暑いうるさいのよ。こっちまで暑くなるじゃない。」

うんざりと吐き捨てるように口を開いた隣のこいつは伊藤花。

俺の幼馴染で、同じ高校の二年生だ。

ちなみに花からの告白で俺たちは恋人の関係になった。

花は学校でも話題の美人で、腰のあたりまで暑苦しいほどに伸びた漆黒の髪。

小顔でぱっちりとした瞳。

容姿も非常に整っていて、モデルを連想させるすらりとした白い手足。

女性の象徴だと勝手に思っている双丘も大きく発育していて、そのたわわに実ったスイカは健全な男子高校生には充分すぎる程魅力的だ。

「そんなんだから、クラスでも影の薄い陰キャなのよ。」

「いいだろ、別に。俺はただおとなしいだけだ。」

「あー、そうですか。」

いつもの調子で登校する俺達。

まだ早朝にも関わらずじりじりと照りつく太陽と花の毒舌に参りながら、俺は学校に向かった。



「やっと着いたー。」

「全くあんたが歩くのとろいから、こっちまで余計な汗かいちゃったじゃない。」

「いや、俺のせいではなくね?」

「はぁ?何言ってんの?あんたのせいに決まってるでしょ。」

花の理不尽な物言いに少し疑問を持った俺は言い返す。

「だったら先に行ってればいいじゃん。約束なんてしてないわけだし。」

「私のおかげで遅刻せずに済んでるだからありがたく思いなさい。」

(いや、別に遅刻とかしないんだが。)

「いや、遅刻なんて一人でもしないよ。」

「いいからあんたは私の言うこと聞いてればいいのよ。」

花は下駄箱から上履きを取り出しながら、腕時計で時間を確認する。

「少しは俺の言うことも聞いてくれよ。」

俺も負けじと言い返す。

「何?あんた彼女の私の言うことが聞けないの?」

「い、いや。そんなんじゃないけど・・。」

「じゃあいいじゃない。ほら行くわよ。」

それだけ言うと花は教室へと歩き出す。

(はぁ、最近こんなんばっかだよな。)

俺も花に付いて行きながら更に鬱屈な気分になる。

最近、というか付き合う前からなのだが花は毒舌というか言葉が強いのだ。

しかも俺にだけそういう態度をとる。

俺は花の幼馴染だからこいつの性格とか十分わかったつもりで付き合い始めたつもりだった。

この態度もいつかは慣れて軟化するだろうと思っていたが一向に直らない。

直らないどころか悪化しているようにさえ思う。

俺も注意はしているのだが、するたびにさっきの調子で自分の意見だけを通して俺の話は煙に巻かれる。

照れ隠しなのかどうかは分からないが、こんなやり取りが一年半以上続けばいい加減げんなりしてくるものだ。

いつもの特に面白くない授業を受けた後、やっと昼休みが来た。

「あ、花、俺ちょっと出し忘れた宿題出してくるから先食っててくれ。」

「だらしないわね。一緒に行ってあげるわよ。」

「ん?そうか。ありがと。」

「全く私に感謝しなさいよね。愚図なあんたに付いて行ってあげるんだから。本当に情けないわね。」

迷惑そうに腕を組み、眉を顰める花。

「嫌だったら無理してついてこなくてもいいんだぞ?」

嫌そうにしているので一応声をかける。

「はぁ?私がついて行ってあげるのよ?何その言い草。」

「嫌そうにしてるからだよ。すぐ済む用事なんだし。」

俺の言葉を受け、花は軽く舌打ちし俺をにらみつける。

「あーそうですか。もういいわ。ほんとウザ。」

もう一度舌打ちをしてそう言うと花は踵を返し自分の席に戻った。



「ねぇー花。あんた最近大丈夫?」

「大丈夫って何が?」

私は花と相変わらずうるさい教室で一緒に昼食を摂りながら、話しかける。

卵焼きを口に放り込みながら、にやにやした笑みで見つめる。

「とぼけないでよー。あんたの彼氏の田村君とよ。」

「真一と?」

「そうよ。」

飲み物で口を湿らせ、私は更に続ける。

「全然直らないのね。そのツンデレは。」

「な、何よ。」

「あのねぇ、田村君はちゃんと言ってくれてるのに、肝心のあんたが冷たい態度とったら彼が可哀そうじゃない。」

私は呆れたように大きなため息をついて、首を振る。

(ほんと、素直になればいいカップルになれると思うんだけどなぁー。)

「そ、そんなこと言ったってしょうがないじゃない。恥ずかしいんだもん。」

頬を薄く朱に染め、はにかむ花。

「それよ!その顔!そういう風になんで田村君と話せないの?」

「だ、だから、恥ずかしいって言ってるでしょ。」

「・・・はぁ。」

いい加減、態度が柔らかくならない花。

(あんまり言いたくなかったけど、ちょっと脅してやろう。)

「あんたねぇ、ずっとそのままじゃ田村君と別れちゃうかもね。」

「・・・え?」

急に花の一切の動きが凍り付くように止まる。

まるで私たちのいるこの場所の温度が急激に落ちたような強烈な寒気を感じる。

「は、花?」

花は俯いているので表情は長い前髪に邪魔されてみることはできない。

でも何となくわかる。

これは触れちゃ駄目なとこだ。

(謝らないと。)

「あ、あの花?あれは冗d——」

「なーんてね。分かってるってば。」

顔を上げた花の表情はいつも私が知るそれだった。

内心心底安堵した私はあわててその後の言葉を紡ぐ。

「そ、そーだよね。もーう。驚かせないでよね。」

「へへへ、ごめーん。」

テヘっと可愛らしくおどけて笑う花。

そんな時丁度清掃を知らせるチャイムが鳴る。

「あ、掃除の時間だし私行くね。」

花が弁当をカバンにしまいながら立ち上がる。

「はーい。行ってらっしゃい。」

(さてと私も掃除するかー。あーめんどくさ。)

ふと、なんとなしに振りかえる。

丁度、花が教室から出ていくとこが一瞬だが視界に入る。

(えっ!?)

すぐにドア付近に目線を向ける。

しかし、もうそこに花の姿はなかった。

(気の・・せい・・・だよね。)

そう言い聞かせて私は掃除に戻った。

だって、だってそこには、目の光を失い、薄笑いを浮かべる花がいたのだから。



放課後、俺は花と下校したあと、花の部屋で再来週のテストに向け勉強をしていた。

まだ日は高く、夕方の時間帯にも関わらず蒸し暑く感じる。

蝉の鳴き声がどこからともなく聞こえてくる。

「花。ここの問題なんだけどさ。これってどういう——」

「はぁ?あんたまさかこんな問題も解けないわけ?」

早速花がお得意の毒舌を展開する。

「すまん。分からん。教えてくれ。」

俺は正直に口を開く。

「はぁ、情けないわね。まさかこーんな簡単な問題さえも解けないなんて今まで一体何を教わってきたのかしら?」

「しょうがないだろ。人には得手不得手ってもんがあるんだよ。」

「いやー、いくら何でもこれはないでしょ?あんたって本当に愚図でのろまで不細工で、運動もできないし、おまけに勉強もできないなんて。前から分かってたけど勉強もできないなんて呆れてものも言えないわ。」

まくしたてるように俺を必要以上に煽る花。

顔を合わすとすぐこれだ。

(これで何回注意するんだよ。もういい加減許せないぞ。)

「おまえな——」

「あーあ。こんなのが私の彼氏なんて最悪。もう別れちゃおっかなぁー。」

あー、もういいや。

俺はその場で立ち上がる。

「な、何よ?」

「別れよう。」

「え?」

「もういい加減うんざりだ。毎日毎日言いたい放題言いやがって。ふざけるのも大概にしろよ。」

「な、なんなのよ、真一。とにかく座りなさいよ。」

「なんなの?だって?お前本気で言ってんのか?今までお前が俺にしてきたこと考えてみろ!顔を合わせれば暴言ばっかりで、注意しても全く聞かずに挙句の果てに手まであげやがって。一年以上俺は延々と言ってきただろ!もういい加減疲れたよ。」

俺は呆然とする花をよそに、荷物をまとめる。

「あ、あの、真一。ご、ごめんね?ごめん。私謝るから。許して・・別れるなんて言わないで・・・。」

縋りつくように俺を見上げる花。

目にはうっすらと涙がにじんでいる。

「もう遅い。俺とお前は今日で別れる。ただの他人だ。これ以上俺に関わるな。」

じゃあなと吐き捨てるとそのままドアへと向かう。

「・・・・・・そっか、こうなっちゃうのか。じゃあもうしょうがないよね。」

直後、強力な電流が俺の体を駆け抜ける。

ほとばしるように熱くなり、意識が急激に遠くなる。

平衡感覚がなくなり、体が床に倒れるのが分かる。

(は、・・花。おまえ。)

傾く夕日の逆光を浴び、黒い影が俺を覆う。

「大丈夫。殺しはしないから。真一。」

その後俺の意識は闇の中に落ちて行った。



(違う。真一は私を捨てたりしない。)

あの時の言葉はきっと一時の言葉で心からの言葉じゃない。

そうに決まってる。

そうに違いない。

(許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して許して。)

これからはちゃんとあなたの理想の彼女になるから。

あなたの言うことならなんでも聞くから。

料理だって勉強だって、死ねって言われたら喜んで死ぬから。

なんでもあなたの言う通りにするから。

だから、だから捨てないで。


荒い動悸で生気を失った濁った瞳から涙をこぼしながら、大事なものを失うことを恐れる子供のように目の前の愛しい人を必死に抱きしめる女性が青白い月明かりに照らされていた。



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