約束された結果
寒さも大分気になりだした時期。
周りを見ればスーツにコートを羽織った働き者たちが一斉に改札口へと流れ込んでいく。
かくいう俺もその仲間で朝一で会社へと向かっていた。
この冴えない男の名前は田中浩紀。
ごく一般の会社員で、大した特徴もない脇役のような存在だ。
はぁと吐いた白いため息はあっという間に空へと消えた。
(会社か嫌だな。)
そりゃ大抵の人は仕事なんて好きではないだろう。
俺が会社に行きたくないのにはもう一つ別の理由がある。
(また、あいつらに・・・はぁ。)
会社内のある一部の奴らが俺に嫌がらせをしてくるのだ。
俺の弁当を捨てたり、自分の仕事を押し付けたりと。
もはやいじめの域まで達しているのではないかと思うほどだ。
といって、証拠がつかめているわけでもない。
しかし、もちろんあいつらがしてるのは間違いない。
ずっと煮え湯を飲まされている状態だ。
(行きたくねぇな。)
そんな俺の思いとは裏腹に電車は軽快に駅へと入ってくる。
人の波に飲み込まれるように電車に乗り込みそのまま窓をぼんやりと見つめる。
太陽が少し顔を出し、辺りは裸の木々が寂しそうに佇んでいる。
電信柱に止まっている鳥もまだ眠いのか頭を体にうずめて動かない。
会社の最寄り駅に着き、重い足取りで会社に到着した俺は仕事を始める。
しばらくすると続々と出社してくる。
気が付けばみんながパソコンに向かって業務を開始していた。
俺は朝一で仕事をし始めたこともあり、ペース良く進んでいた。
(今日は仕事の遅れも取り戻せたし、定時には帰れそうだ。)
久しぶりに定時に帰れるかもしれないと俺は浮かれながら手を動かし続けた。
午後六時、俺はもう十分今日の分は進めたしこれなら明日も早めに帰れそうだ。
(しかも今日は変なこともされなかったし。)
内心喜びながら席を立つ。
「ちょっと浩紀くーん。今いい?」
嫌な声が背中にかかる。
「は、はい。」
振り向くと俺の最も嫌いな男。
嫌がらせのリーダーがいた。
「この資料に関する仕事なんだけどさ。明日までにやっておいてよ。」
ヘラヘラ笑いながら無造作に資料を放り投げる。
「え?」
「いや、だからこの仕事代わりにやっておいてって言ってるの。」
「でもこれは先輩の仕事じゃ・・・」
「はっ?お前何言ってんの。俺が誰だか分かってんの?社長の息子だぞ。そんな口きいて許されると思ってんの?」
明らかにイライラした声音。
質の悪いことにこいつは自分がこの会社の社長の息子であることを利用して横柄な態度をとる。
しかも俺にだけ。
普段は静かなのにこういう時だけ絡んでくる。
(はぁ。やっぱそうなるよな。)
「い、いえ。わかりました。やっておきます。」
俺は結局断れずそいつの仕事を肩代わりすることになった。
先輩の仕事を片付け、時計を見ると12時を少し過ぎていた。
もう俺意外に人は残っていないようで薄暗い蛍光灯に照らされた俺が窓におぼろげに映っている。
幸いここには仮眠室があるため、今日はここを利用することにする。
夕飯をとっていないことに気づくと急にお腹がすいた。
近くのコンビニで弁当を買おうと席を立った時だった。
「あれ、まだ残ってる人いたんだ。」
1人の女性が入り口からひょっこりと顔を出しこちらを見ていた。
ぱっちりとした人懐っこい目に、茶髪のショートヘアー。
こんな薄暗い部屋でひときわ輝く白い肌。
その新雪に朱を1滴落としたような深紅の唇。
凛としたというよりも朗らかな感じの女性だ。
(綺麗な人だなぁ。)
我に返った俺は思わず口を開いた。
「えっとあなたは?」
「私?この会社のね、お偉いさんだよー。」
「えっ!」
俺は思わずかしこまってしまう。
「いいよー。そんな大げさな。」
彼女は可笑し気にカラカラと笑う。
「君は残業中かな?」
「え、ええ。まぁそんなところです。」
彼女はたどたどしく返す俺をあいかわらずニコニコと眺める。
「そっか。でもたまには休むのも大事だよ。」
「はい、ありがとうございます。気をつけます。」
俺はお礼を言うと外へ出てコンビニに向かった。
外は真冬、あまりの寒さに体が反射的にブルリと震えた。
「・・・」
「・・・」
街路灯が一定間隔で並び、白い息がたなびく。
コツ、コツと固いアスファルトに響く2つの靴音
コートで顔を覆い隠すようにしながら夜道を歩く。
「・・あの、」
「ん?何?」
首を傾け俺の顔を覗き込む。
ふわりと甘いにおいがする。
魅力的な笑顔は一向に崩れない
(本当に気さくな人だ。)
「あなたもコンビニに?」
「そだよ。私も忙しくてねー。ちょっとお腹減っちゃって。」
会社の重鎮もいろいろ気苦労があるようだ。
「そうですか。」
その後世間話をしながら夜食を購入し彼女と別れ、俺は再び会社に戻り最低限の準備を済ませ床に就く。
(そういえば名前聞くの忘れてた。聞いときゃよかった。)
そう思ったのもつかの間、疲労でクタクタだった俺はすぐに夢の世界にいざなわれた。
「あ、おはようございます。先輩。」
翌日、俺はあいつに言われていた資料を提出する。
「なんだ、浩紀か。」
「昨日おっしゃっていた資料完成しました。」
(確認もしたし、間違いはないはず。)
しかし次に俺に投げられた言葉に俺は頭が真っ白になった。
「お、そうか。じゃあ、次はこれな。」
またも無造作に投げ渡される資料。
「えっ?」
(これ!またこいつの仕事じゃねぇか! )
「あっ?なんか言ったか?」
「い、いえ何も。わかりました。」
提出期限は明日。
(クソ!あの野郎!・・・でも俺も本当に情けないな。)
元々気の弱い俺はこんな時でさえ文句の一つも言えない。
結局最悪な気分のまま業務に戻る俺だった。
その後俺に対するいじめは続いた。
買っておいた弁当が捨てられていたり、俺にだけ仕事が押し付けられたり、見えないところでの暴力。
挙げだしたらきりがない。
気づけば一か月が経っていた。
当然こんなことされて俺の精神が持つはずなく。
俺はだんだんとノイローゼになっていった。
今日も俺は深夜まで残業をしている。
キーボードを打つ無機質な音が薄暗く寂しい部屋に広がる。
「ヤッホー!浩紀君!」
ぴょこんとどこからともなく現れるあの女性。
名前は谷本美優というらしい。
暗い部屋が一気に明るくなるような気がする。
相変わらずまぶしい笑顔だ。
「あ、また来たんですか。谷本さん。」
谷本さんは俺の隣の椅子をとってくると近くに座る。
(この人距離感おかしいんだよなぁ。嬉しいけど。)
「もう、美優って呼んでもいいんだよ?」
わざとらしく頬を膨らます。
「いえ、それはちょっと。」
「まぁ良いか。そういうとこも浩紀君の良い所だもんね。」
「そういってくれると嬉しいです。」
谷本さんだけは俺に真摯に向かい合ってくれる人だ
俺が苛烈ないじめにあっていながらなんとか会社を辞めずにいられるのはこの人のおかげでもある。
どうしようもなく辛い時、谷本さんは常に俺の隣にいてくれた。
慰めるてくれるのも、励ましてくれるのも全て谷本さんだけだった。
「ねぇ、浩紀君ってさ凄いよね。」
「え?そうですか?」
「当たり前だよ。私ならとっくの昔に辞めてる。・・・ねぇ、君はどうしてこの会社を辞めないの?」
一瞬ギョッとして谷本さんへと視線を向ける。
谷本さんも俺の行動の意味が分かったらしく慌てた様子で口を開く。
「ち、違うんだよ!決して浩紀君に辞めてほしいわけではないの。ただ、どうしてそんなに頑張れるのかなって思って。」
下を向いて話す谷本さんはどこか落ち込んでいるように見えた。
「あぁ、そのことですか。」
合点がいった俺はその理由を話し出す。
「二か月前この会社の前社長の杉山さんが辞任なさったでしょ。」
「あぁ、あのおじいちゃん。もうだいぶ歳だからねー。」
「あの人。俺の恩人なんです。」
首をかしげる谷本さん。
「恩人?」
「ええ。ある日、道端で倒れてる人を介抱したことがありまして。」
「なんかドラマチックだね。」
「それで、その人が杉山社長なんですよ。」
「それで雇ってもらったってわけなの?」
納得いったようにうなずく谷本さん。
椅子がきしむ音がやけに大きく響く。
「ええ、恥ずかしながら。考えてみれば俺なんて地方の大学を何とか卒業したんです。こんな大企業に入れるわけありませんよ。」
だからですねと俺はさらに続ける。
「あんなうだつの上がらない俺を救ってくれた会社だから俺辞めずに頑張ろうと思うんです。あの人を裏切りたくないんです。」
「へー。これ知ってる人は他にいるの?」
真面目な表情の谷本さん。
相変わらず真面目に俺の話を聞いてくれる。
「いえ、いませんよ。谷本さん位ですね。」
「そっか。なるほど、君の元気の源はそこだったのね。」
谷本さんはズボンのポケットから飴を取り出し、口に放り込む。
「もちろん、谷本さんも俺の支えになってますよ。」
「あれー?嬉しいこと言ってくれるじゃん。」
谷本さんはニコニコしながら肩をポンポンと叩く。
俺は耳元に甘い吐息がかかるのを感じる。
「うわぁ!な、何するんですか!」
「あはははは!そんなに驚かないでよ。こっちまでびっくりするじゃん。」
しばらくの沈黙の後、俺は唐突のことについ吹き出してしまう。
「あ、やっと笑ってくれた。そうそう、やっぱり笑顔が一番だよ!笑って笑って!」
(この会社に出社して久しぶりに笑った気がする。)
いつもはどんよりとした沈んだ空気の部屋に光が差し込んできたように錯覚する。
(いや、錯覚じゃない。また谷本さんに気を使わせてしまった。)
「すいません谷本さん。俺もっと頑張ります!」
落ち込んでいた自分に喝を入れるように声を張る。
「いいよ、これ位。気にしないで。大変だと思うけどお互い頑張りましょ。」
「はい!」
これ以上谷本さんを不安にさせないように精一杯元気に返事をする。
じゃあねーと会社を後にした谷本さん。
「よし!あとちょっと頑張るか!」
谷本さんとの会話で俺はこの日多くの元気をもらった。
きっとそのおかげだろう。
俺はいつも以上に仕事に打ち込むことができたし、入社当初のやる気も復活したと思う。
(本当に谷本さんには感謝しないと。)
夜は刻刻と更けていった。
しかし、俺の思いとは裏腹に現実は無情だった。
いじめは一向に止まず、むしろエスカレートしていった。
ジリ貧だった。
もう耐えられない。
そうだ、むしろ今までよくもった。
俺は今まで頑張った。
すいません、社長さん。
強い自責の念に苛まれる。
両親への親不孝、社長を裏切ってしまうこと、谷本さんの言葉に報えなかったこと。
街路灯がぽつりぽつりと並び、故障しているのか断続的に光が切れかかっている。
帰宅中、気が付けばフックとロープを買っていた。
階段が軋むボロボロのアパートに帰る。
準備は淡々と進んだ。
自殺用にロープを結び、台の上に立つ。
(・・・さよなら。)
首を括る直前、家のドアが勢いよく開く。
俺の家はワンルームな為、ドアを開けると部屋が丸見えになっている。
「ちょっと!!何してんの!浩紀君!」
慌てた谷本さんが俺を強く押す。
体勢を崩した俺はそのまま強い衝撃と共に床へと転がる。
「何考えてるの!この馬鹿!」
怒号が飛ぶ。
「・・・もう無理です。」
静かにぼそりと口から漏れ出た言葉。
「え?」
「これ以上耐えられません。限界です。」
「何言ってるの?ねぇ?」
谷本さんは座ったまま震える手で俺の肩をつかむ。
悲しいような、怒っているような良く分からない感情が伝わってくる。
「絶対駄目!死んだら何もかも終わっちゃうんだよ!今まで頑張ってきたものすべて!そんなことしちゃ駄目だよ!」
「・・・谷本・・さん。」
「君は今までよく頑張った!もう大丈夫だから。私がずっと一緒にいるから。ね?」
俺をやさしく抱きしめてくれる。
「しばらく会社休んでさ、回復したら今度は私と一緒に頑張ろう?だから自殺なんてやめてよ。」
この瞬間俺の中の何かが弾け飛んだ。
「ああああああああ!」
気が付くと、俺は谷本を抱きしめ返していた。
頬を濡らしながら、まるで母にすがる子供のように。
「うんうん、辛かったね。苦しかったね。もう大丈夫だよ。私がいるから。」
「美優!美優!」
久しぶりに馬鹿みたいに泣いた気がする。
その後俺は緊張からの解放による安堵のせいか、泣きつかれたのか眠ってしまった。
「ゆっくりお休み。・・・ゆっくりね。」
その夜、私は自室にいた。
窓から漏れる青白い月明かりがわずかに部屋にこぼれ、幻想的な雰囲気を醸し出している。
ベットには私の愛しい人が穏やかな寝息を立てている。
コンコン。
ドアがノックされる。
「どうぞ。」
「失礼します。」
緻密な細工を施された重々しいドアが静かにゆっくりと開く
「お嬢様。」
「あら、小林どうかした?」
開いたドアの向こうにいたのは小林という私の最も信頼している執事だ。
「今後はどうされる御予定で?」
「そうねぇ。とりあえず彼には今の会社を辞めてもらうよ。」
「それは一体?」
「決まってるでしょ。ここで私と一生を過ごしてもらうの。まぁ簡単に言えば私に依存させるってことかな。」
「もしかして浩紀様へのあのいじめはわざとということでございますか。」
「当たり前だよ。あいつってば、お父様とお母さまの養子なのも知らずにずいぶんな態度とってるらしいじゃない。だから利用させてもらったの。それより小林もう準備は出来てるのよね?」
「はい。既に証拠も整っています。」
小林は脇に抱えた資料に視線を移す。
「もうあいつに用はないしね。まぁ元々無能だったし解雇は遅かれ早かれだったよ。じゃ、後はよろしく。」
手を振って退出するように促す。
「かしこまりました。」
ドアが閉まり小林が出て行った後、私は寝ている彼を起こさないようにベットに腰掛ける。
「やっとここまで来た。」
3か月前、おじいちゃんを助けてくれた青年のことを聞いた。
彼は私とは会っていないし苗字も違うから気が付かなかったらしいけど、初めて彼と話してみて彼の実直さやいじらしいところにすっかり夢中になっている自分がいた。
調べれば、調べるほど惹かれていった。
彼の生年月日、血液型、星座、好きなもの、通っていた小学、中学、高校、実家の住所に今彼が住んでいる住所。
彼に関するありとあらゆることを調べつくした。
こうなってくれるまで思ったより時間が掛かったけどもう心配ない。
「やっと浩紀君が私のものになる。」
月光に照らされた彼の頬をなでる。
「絶 対 に 離 さ な い よ。浩 紀 く ん。」
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