魔術師と聖職者と科学者と聖体パン

砂塔ろうか

六角形の部屋にて


 聖体とは、神の子の肉体である。

 神の子はゴルゴダの丘で磔刑に処されて3日ののちに復活された。

 救世主たる神の子の聖躯は、肉がパンで血はワインであったとされる。

 これをもって、聖別されしパンとワインは彼の実体と化すと考えられた。

 しかし、もしも。本物の聖躯というものがあるならば……それを食すということは、神の子と同等のモノになれる特級の聖遺物なのだろう。


 ◆


「これが、その本物ってワケか?」


 魔術師は胡乱げな視線でまじまじとテーブルの上のパンを見た。見た目は、ホスチアに近い。ホスチアはカトリックのミサなどに用いられるパンで、円形をしており、煎餅のように薄い。


「どー見てもそんな特別な感じはしないが……」

「その手を引っ込めろ。サルが」


 無遠慮にそのパンに触れようとした魔術師を咎めたのはカソック姿の厳つい男だ。


「本物ならば特級の聖遺物だ。手を触れるどころか、下賎な者の前に晒すことすら罷りならぬ」

「まあまあ。そんなに怒ることないじゃないのキミ」


 カソック姿に馴々しく絡んだのは白衣の少年だ。ぶかぶかの白衣を着た彼は、メガネをクイっと上げてテーブルの上に視線を向ける。


「さて、それでこれが本物の聖体パンって奴か……食べたりしちゃ、まずいよね?」

「本物ならば、神罰が下ることであろう」

「おお、そいつは恐ろしい。オレの場合、神様より先にご先祖様からお叱りを受けることになりそうだが」


 スーツ姿の魔術師は諸手を上げて肩を竦めた。


「たしか、キミはアマクサの血筋なんだったかな? 彼も複数人いたとかなんとか、色々言われてるけど、実際のとこどうなんだい?」

「おや、聖遺物専門のサマと聞いていたが、なんだ歴史にも興味があるのか」

「歴史を知らずして聖遺物の専門家は成立しないよ……そういえば、機材が搬入されるまであとどのくらいかかるのかな?」


 白衣の少年がカソック姿に視線を向ける。カソック姿の男は懐から懐中時計を取り出して、


「現在、聖別の儀式の真っ最中だ。3日はかかる」

「やれやれ。こんなことならもっと早くにバチカン入りするんだったね」

「——で、だ。確認させてくれや白猿」


 魔術師の意趣返しにカトリック姿は眉をひくつかせたが、反応らしい反応はそれ切りだった。


「オレらはこれから一週間、この本物の聖体パンを調査し、護り抜くってぇことでいいんだよな?」

「ああ。全ては極秘に進んでいる。だが、どこで情報が漏れているか分からぬ。ゆえ、魔術師、貴様には教皇猊下直々の、護衛の依頼が来たはずだ」

「護衛対象がこんな薄っぺらいパンだとはね」

「……残りはこの部屋の奥の冷蔵庫にある。これは調査用だ」

「ほう。つーことは、奥の冷蔵庫の死守も仕事のうちってワケね」

「で、科学者。貴様は調べていろ。こちらで用意した機材ならばすぐに利用可能だ」

「機材って言ってもねえ……いつの時代のモンなんだか……まあ、ありがたく使わせていただくよ」

「そして私は監視だ。貴様らが妙なことをせぬよう、貴様らが仕事を遂行するよう、監視として共にここに残る」


 言って、カソック姿は部屋の中を見回した。六角形の部屋。扉は三つ、等間隔に配されている。

 部屋の中心には聖体パンが置かれたテーブルがあり、三つの扉は各人の個室に繋がっている。各人の個室には1週間分の食糧とシャワー室、トイレがある。

 この部屋はそれ自体が一つのエレベーターになっており、パネルのスイッチを押すことで地上に出ることができる。

 また、壁際には科学機材、魔術道具、聖体パンの収められた冷蔵庫がある。


 ここが、これから先一週間、彼らの過ごす場となる。


「そんじゃ、せっかくだし自己紹介でもしときますか」


 そう提案したのは科学者だ。


「僕はルイと云う。これから、よろしくねお二方」

「オレぁアマクサ・ゼンジだ。仕事の邪魔はしてくれるなよ?」

「ノアだ。為すべきを確と果たせ」


 そんな風にして、彼ら三人の一週間は始まった。


 ◆


 ——3日目。


 ルイが死んだ。


「お、おいおいおい……こりゃあ、どういうことだ……?」


 ルイは自室のベッドの上で死亡していた。胸にはナイフが突き立てられており、彼の両手はしっかりとナイフの柄を握っていた。

 明らかな自殺だった。


「……彼の死は、隠しておこう。今日は彼の機材が到着する日。部屋が地上部分に出る日だ。ルイの死が発覚すれば、大きな騒ぎとなり隙となる」

「おいおい、そりゃねえだろうが!」

「魔術師、貴様は貴様の仕事を果たせ」

「ちっ」


 ノアの絶対零度の視線に、ゼンジは舌打ちするしかなかった。

(貴様は貴様の仕事を果たせだ? そんなにルイの死は軽いってのかよ……!)


 結局、ゼンジはノアとともにルイを放置したまま、部屋の方に戻った。

 それから部屋は地上部へと昇り、ルイの機材が搬入された。


(……今日、ちゃんと予定通りに機材が来たってのに、ルイの野郎……そんなにバチカンの用意した道具が不満だったのか?)


 聞けば、バチカンの用意した道具の中に聖体パンのまともな調査ができるようなものはなかったらしい。


(だからって、自殺するこたねえだろ……)


 ゼンジは、ルイを哀悼するかのように搬入された機材を撫でた。


(……ん?)


 そうして、表面に微妙な傷がついてることに気付いた。自然についた傷……にしてはやけに間隔が一定だ。


(まさか、これは……)


 ◆


 ゼンジはルイの部屋に入って、その机の上を指で撫でた。やはりここにも、うっすらとだが傷が、溝がある。

 ——おそらくはルイがそうしたように——鉛筆で紙の上に溝を浮き上がらせてみて、ゼンジは確信した。


(ああ、そういうことかよ。畜生)


 ◆


 その日の深夜、ゼンジは個室には戻らず、聖体パンの入った冷蔵庫の前に座り込んでいた。


「……よお。来ると思ったぜ」


 見上げる視線の先、そこには黒ずんだ赤があった。それは血の色。それは白衣の上に鮮烈なまでに広がっていた、真っ赤な——


「驚いた。こんなにもすぐに、キミにバレてしまうとはね」


 カチャ、とメガネを上げてルイは言った。


「どうして分かったんだい? 僕がここに来るって」

「機材さ。あの機材は、バチカン側とアンタとの間で交わされるメッセージカードだったんだな」

「…………」

「機材上部に付けられた傷はモールス信号。アルファベットに変換したらラテン語の文章が現れたよ。曰く、『私は吸血鬼です』『私ならば、一口食べるだけで真贋の判別ができる』『本物ならば、ただちに浄化されるでしょう』——つまり、はじめから機材なんて必要なかったんだ」

「へえ。意外とやるもんだね、キミ」


 ゼンジはルイに銃口を向けた。


「……殺す気かい、僕を」

「銀の弾丸が入ってる。今度こそ本当にお前は死ぬんだ」

「最期に、一つ聞いていいかな。……どうして、キミはそんなものをここに?」

「それが、オレの仕事だからさ」


 引き金を引く。狙い誤たず、ルイの胸を銃弾が貫いた。

 ゼンジは銃を懐に仕舞うと、昼に搬入された機材の方へと歩いていった。キーボードがあるのを確認して、ルイの部屋の机に刻まれていたモールス信号から得られるパスワードを入力する。

 果たして、開けた扉の中は——空だった。

 同時、背後からナイフが飛んでくる。ゼンジは身を翻して銃で応戦する。


「やっぱお前か! ノア!」

「妙に聡い奴と思ったが、そうか! 貴様、バチカンの者だったのだな!」


 ノアは銃弾を何発も喰らっていながら、平然として歩き、距離を詰めに来る。


「無茶言うよなぁ、あのジジイも! 仕事内容もロクに教えねえでよォ!」


 叫びつつ、内心ノアは舌打ちする。


(——ちっ。この分だともう食ってんな、本物を……。並の不死殺しじゃあ足りない。殺すにはロンギヌスか磔かが必要……か)


「ゼンジ。取引をしないか?」

「ああ?」

「貴様にも聖体を食わせてやろう。今、我が血はワインに、我が肉体はパンになった。我が身体を食えば、貴様も同じようになれるはずだ」

「くだんねえ。オレはご先祖様に顔向けできねえようなことはしねえ主義だ。てか、ルイの思いはどうなんだよ、それ。ルイは、お前のために自殺してまで作戦に協力してくれたんじゃねえのか?」

「敬虔なる信徒として——吸血鬼ごときへの恩義は恥と考えている」

「へえ。そうかよ。聞いたか? ルイ」

「な——っ!?」


 ゼンジとノアの間、死んでいたはずのルイはむくりと起き上がった。


「ぎ、銀の弾丸で撃たれたのではなかったのか……?」

「お生憎さま。普通の弾丸だよ。……ルイを殺すのは、手前の真意を確かめてからでも遅くねえって判断してな」

「……やれやれ。ノア。信徒ならば信仰の対象と同じになろうなんて考えちゃダメだよ。神の子と同等の存在を研究させてくれるって言うから協力してたんだが……残念だ」


 ルイが胸の中に手を突っこむ。そこから出てくるのは、長々とした槍である。


「まさか、それはっ」

「聖遺物専門の科学者ってのは、あながちウソでもなくてね。科学の力で、僕は聖なるものへの耐性をこの吸血鬼の身に宿したのさ。ゆえに、聖槍をこの身に収めることもできる」


 ルイはゼンジに槍を投げて渡した。

 ゼンジはうなずいて、ノアに突貫する。


「き、貴様……そんな、まさか…………がはっ」


 ノアの胸が槍で貫かれる。その横にルイが立ち、ノアの首筋に牙を突き立てた。


「……キミの聖体性は、僕が吸収させてもらうよ」

「な、バ、バカなことを……万一消えなかったとして、上にどう報告するつもりだ…………」

「安心しろ。オレがフリークス部隊の設立でも進言しといてやる。どの道、この部屋の全ては上に筒抜けなんだ。お上も、理解してくれるだろうぜ」


 言って、ゼンジは天井に埋め込まれた監視カメラを指差す。


「く、クソクソクソクソクソぉぉぉぉ…………!! こんなっ、こんなハズではぁぁ……っ!」


 神の子と同じモノになろうとした男の断末魔が虚しく響く。


「……あんたは、救世主の器じゃねえよ」


 ゼンジはひとりごちた。


(了)

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魔術師と聖職者と科学者と聖体パン 砂塔ろうか @musmusbi

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