第9話 姉、二人目の孫になる

 白く、ふわふわとした雲のようなものが敷き詰められた地面に湊は浮かんでいた。そう、まさしく浮かんでいた。

 手も足も、体も顔もない。ただの発光する球体として、湊はそこにいた。


「どうやら、間に合ったようじゃの」

「ここは……?」


 声帯はないはずなのに出せた声。被さるように聞こえてきた声の方向を見れば、そこに立つのは白髭を蓄えた老齢の男、管理者だった。

 管理人も発光しているのだが、湊も同じように光り輝いているからか眩しいとは感じない。ただ、ぼんやりと管理者と名乗る男を見つめた。


「残された時間はあまりない。まずはわしから話すから、質問はあとでもいいかの?」

「……お願いします」


 真琴と全くタイプの違う湊は、黙って管理者の話を聞いていた。真琴が断ったこの世界の定義にも、一切口を挟むことなく静かに耳を傾ける。

 管理者は、真琴の希望と能力。そして異世界に渡ったあと、二人が再会するために付与される力についても語る。

 全ての話が終わり管理者が口を閉じると、数秒の間を置いて湊が呟いた。


「真琴は、生きてる?」

「うむ。彼女は無事じゃ」

「……よかった」


 それだけ妹を大事に思っていたのかと、管理者は心打たれた。

 体を失った場合、心だけがこの場所に来ることになる。湊の心を表す球体は妹を思う心の強さを表すように、信じられないほど美しく光り輝いていたのだ。

 だがしかし、管理者の感動を知らぬ湊はすでに思考を切り替えていた。


「てことは、本当に真琴はスウェット召喚されたのか」


 洋服や装備に関する要求は一切忘れ旅立ったと言う真琴は、着の身着のままで召喚されている。自分のあのときのツッコミは間違っていなかったのだと理解し、なぜか湊はスンッと無い鼻を鳴らした。


「管理者様、妹を孫にするなら私もですよね? じい様と呼ばせていただいても?」

「う、うむ。構わぬ」


 妹を大切に思っている姉だが、喜びの感情は心の奥底で噛み締める。生きている事実を知り、そして何が起こったかを知り。今大事なことは妹の件ではないと判断したからだ。


「では、じい様。私からいくつか質問を」

「よい」

「まず最初に、あの殺人鬼はじい様が?」

「違う。わしは人の生死に関与することはできぬ。父母への連絡もそうじゃが、お主への確認は夢を介して行うつもりじゃった」


 父母への連絡と異世界勧誘。これは全て、夢を介することで地球やその他生物に影響なく行うことができたのだ。

 今回の件には一切関わっていないと、同情などの姿勢ではなくしっかりはっきり言い切った管理者に、湊は安心したのか淡く発光した。


「次に、私の体は多分あいつにぐっちゃぐちゃにされたと思うのですが、異世界へ行くことは可能ですか?」

「体を作り直すことになるが、可能じゃ」

「わかりました。では、私は妹の元に行こうと思います」


 体があったとしても、両親に連絡をしてもらえるのなら即答で異世界に行くと答えていたと思う。と、湊は少しだけ照れ臭そうにそうに付け加える。


「妹が近接なら、私は弓と回復系の能力をお願いします。で、鑑定とかってつけてもらえます?」

「その程度なら構わん。攻撃魔法はいらんのか?」

「魔力は回復に、攻撃は基本的に妹に任せる予定なので」

「なるほど、あいわかった」


 管理者は頷き、言われた能力を付与できるよう色々操作を始める。操作といっても頭の中でなので、湊には何も見えていない。


「あと、手に職をつけたいので調薬的なスキルがあればお願いできますか?」

「調薬とな?」

「薬学を少し齧っているのと、回復魔法って便利に扱われるイメージがあるので隠れ蓑にしたいなと」

「お主ら、本当にタイプが全く違うの。真琴がお主なら勝手に決めてくれるといった意味がよくわかったわい」


 楽しそうに笑う管理者に、湊は再び照れ臭そうに笑った。笑ったといっても光る球体の状態なのだが、心を見ることができる管理者にはきちんと笑顔に見えている。

 年相応のその姿に、管理者も頬を緩めた。


「お主も丁寧な言葉はいらん。孫じゃからの」

「――ありがとう、じい様」

「よいよい。通常鑑定は人に行うことはできぬのじゃが、お主のは少しだけ変えておいた。ここぞと言うときに使うがよい」

「いいの? でも私としては、あんまり個人情報は見たくないんだけど。申し訳ないし」

「見えるのは一部のみじゃよ。大丈夫、お主ならうまく使えるじゃろ」

「じい様がそう言うなら、ありがたく。向こうは優しい世界じゃないみたいだね」

「お主が最後に会った男には負けるわい」

「勝ってたら困るって。そんな世界は流石に行きたくない……いや、真琴がいるなら行かなきゃか」


 鑑定に関して軽い説明を受けて、重い話題で軽い会話を交わす。ため息を吐き出した湊はそれでも楽しそうで、そして最後まで妹想いで。管理者はわずかに目を細める。


「あ、じい様。真琴と再会するための力について詳しく聞いてもいい?」

「うむ。お主らには、同じアザを体に刻もうと思っておる」

「あざ?」


 思い出したように湊が声を出した。真琴と再会するための力について、管理者が真琴への説明のときと同様に濁していたからだ。

 だが、意外にも管理者は滑らかに説明を続けていく。しかし何の問題もないように思えた次の説明で、何に悩んでいるのか判明した。


「そうじゃ。お主が彼の地に降りた瞬間からそのアザは体に浮かび上がり、お互いが大体どの方向にいるかがわかるようになる。近くにいるときには色々活用できるようにするつもりなんじゃが、のう……」

「どうしたの?」

「アザの模様が決まらんのじゃ」

「……なるほど」


 違う人間に感覚を共有するための能力を付与するためには、何かしら同じものをつける必要がある。そして、壊されたり忘れる心配をなくすためには体に刻むしか無い。

 女の体に浮かび上がらせる、そしてそれは一生消えないものになる。だからこそ、管理者は本気で悩んでいたのだ。


「なら、はすの花はどうかな?」

「蓮、とな?」

「そう。日本では蓮って神聖な花で、仏様とかの慈悲の象徴なんだよね。じい様は私達にとって神様みたいなものだし、繋がりのある花がいいなと思ったんだけど」


 どうかな。と球体からだを傾げる湊に、管理者は震えを必死に押し隠した。


 一人で宇宙全体を管理するこの役目を退屈だと感じたことはない。人々の生き様を眺めているのも楽しい。だが、こうやって誰かと関わるのはまた別物なのだ。

 あふれた暖かい感情を噛み締めれば、自然と唇は弧を描く。


「よいの、よい。ならば、お主の緋色の瞳と同じ色の蓮を真琴に、真琴の黒い瞳と同じ色の蓮をお主に送ろう」

「私の目、緋色になるの?」

「髪も緋色じゃ。真琴も髪は同じ色じゃよ」


 好きな色だからそうしたと胸を張る管理者に、湊は苦笑しつつわかったと頷く。そして、「最後に」と口を開いた。


「じい様、お願いばかりで申し訳ないんだけど……私のことも両親に伝えてもらえないかな」

「ほう?」

「せっかく真琴が元気にやってるのに、もう一人の娘があんな最期じゃ二人とも辛いだろうし。真琴のお願いのおかげで、残りの人生を真琴と同じ世界で生きられるようになったよって伝えて欲しい」

「……しかと、承った」


 管理者は目を閉じ、そして深く頷いた。その姿に、湊は安心したように息を吐き出す。

 球体なので傍目にはよくわからないが。管理者には複雑なその心境は全て伝わっている。


「そろそろ時間じゃが、準備はよいか?」

「……大丈夫。色々ありがとう」


 瞼はないが、湊はゆっくりと目を閉じて開いた。伝え漏れがないか確認し、そして頷く。


「それじゃあじい様、行ってきます」

「……ああ、ああ。行ってらっしゃい」


 球体は、笑った。

 より一層美しく発光した。

 そして、妹と同じ言葉を残して消えていく。


「そなた達の人生に、幸多からんことを」


 若干色褪せて見えるいつもの空間で、管理者は少しだけ寂しそうに笑った。

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