僕はミステリーに飢えている

常盤木雀

僕はミステリーに飢えている


 春は解放感に溢れている。

 ひとつの学年が終わり新学年が始まるまでの春休みは、学校に縛られない。寒い冬を越えて、身をこわばらせなくても過ごせる。固く閉じていた蕾がほころぶ。

 そんな解放感の中で、僕はミステリーに飢えていた。


「先輩、何か面白い話、ないですか」


 街中のファミレスで、久々に顔を合わせた先輩は相変わらず落ち着いていた。


「再開して早々、君は何を言い出すんだ」

「『再開して早々』なんて言うなら、もうちょっと嬉しそうにしてくださいよ」


 先輩は呆れたようにため息を吐く。

 僕が先輩と知り合ったのは、僕が高校高校一年の時の生徒会活動だった。先輩は二年生で役員をしており、僕は文化祭のためのヘルプ要員として参加していた。

 飄々としながらも指示は的確、優秀なのだろう先輩は、時々変なことを言い出した。それは学校の七不思議のような謎だったり、先生に関するエピソードだったり、様々だった。僕が詳しく聞きたがると、先輩は謎の解決まで話してくれた。そんなことが続くうちに、ミステリーに登場する探偵みたいだと感じ、先輩に惹きつけられたのだ。

 帰宅部だった僕は、先輩と同じ部活に入った。先輩は手芸部だったので初め男子は僕一人だったが、それでも先輩と過ごす時間は代えがたかった。『助手くん』『わんこ』と呼ばれるようになったり、手芸が趣味の男子が入部しやすくなったり、僕は受け入れられて役に立っていたと思う。そう、僕は『探偵の助手』の立ち位置を手に入れたのだ!

 しかし、先輩はつい先日卒業してしまった。先輩は県外の大学へ進学してしまう。

 この一年、先輩は引退らしい引退もせず、勉強の息抜きといって部活に顔を出してくれていた。手芸部は毎年そういう人が多いらしい。先輩が他の先輩に、謎解きのように勉強の解説をしているのも見たことがある。何だかんだで身近だったはずが、もう少しで遠くへ行ってしまうのである。


「喜んでいるつもりなんだけどなあ。慕ってくれている後輩に誘われて、嬉しくないわけがないだろう?」


 にっこりと笑って言う先輩は、どこまで本心で、どこまでふざけているのか分からない。


「ふふっ。もちろん心から言っているよ。君は本当にすぐ顔に出るね」

「い、今のはわざと出したんです、先輩に伝わるように」

「そうか。まあ、そういうことにしておこう」

「先輩!」


 からかわれている。

 気持ちを落ち着かせようと、僕は冷水を口に含む。コップの結露が滴り落ちる。


「あはははは。分かっているよ。君は私にミステリーを求めているんだよね。でもね、ミステリーなんてものは、その辺にいくらでも転がっているんだよ」

「小説とか、ドラマとかですか」

「そういう作られたものも良いけどね。そうだな、それじゃ、こんなのはどうかな。君が注文したふわふわオムライスがなかなか出てこないのは何故か」

「それは店が混雑してるからでは?」

「まあ、この状況なら十中八九そうだろうね。でもミステリーを愛好するなら、あらゆる可能性を捨ててはならないんじゃないかな。それではミステリーたる出来事も見逃してしまうよ。首吊り遺体が見つかった、遺書がある、自殺だ、で終わりで良いのかい? 他の可能性を考えてこそ、君の楽しみがあるんじゃないか?」

「……確かに」

「別にミステリー好きでも何でもない私ができるんだ、君にできないわけがない」


 先輩は手元のおしぼりを角を揃えて畳みながら言う。


「きっと、私がいなくても、君は退屈しないよ」



 □ ■ □ ■ □ ■ □



 まずは、状況を確認してみよう。

 君が頼んだふわふわオムライスがまだ届かない。注文を受けたのは、店員の『鈴木』さんだ。名札を付けていただろう?

 ふわふわオムライスは、その名の通り、ふわふわの卵を乗せたオムライスだね。こういうお店だから、きっと温めて出すだけだろうね。ご飯、卵、ソースで別々になっているくらいかな。


 ああ、そうだね。君の言う通り、『材料が足りなくなった』可能性はある。

 混雑以外の理由では、かなり可能性が高いだろうね。本当に不足していたら謝罪に来るだろうから、表にある材料が切れて、奥の冷凍室で段ボールの在庫を探し回っているくらいだと思う。


 これだけで終わったらつまらないと思わないかい。もっと、常識的な考えから外れてみるんだ。


 例えば、あのドリンクバーの前のテーブル。大学生くらいのグループがいるだろう。彼らは、私たちの注文を受けてくれた鈴木さんと知り合いみたいだよ。

 あはは、そんなにじっと見ていたら不審がられてしまうよ。もっとさりげなく見るんだ。

 ほら、手を振り合っていたのを見たかい

 ここから推察できることは、単純に、鈴木さんが友達に気を取られて、君の注文を厨房に伝えるのを忘れてしまったということ。

 もうひとつ。鈴木さんとその知り合いがいるということは、他にも店員に大学生のアルバイトがいるかもしれない。そうしたら、厨房で仲間にサービスをしてあげようと、時間のかかることをしている可能性もある。

 もちろんこういうファミレスだから、そんなたいしたサービスはないだろうね。でも、例えば付け合わせは揚げたてを用意するとか、温め・焦げ目を過剰にするだとか、こっそりできることもありそうだ。

 他には、まあ仲が良さそうだから可能性は低いが、バイト中の仲間をからかう目的で、彼らが大量注文をして困らせていることも考えられる。


 どうかな、それらしいだろう。

 でも、真実はこれじゃないんだよ。


 あんまり見たらいけないよ。向こうの喫煙席の方に、サングラスにマスクの二人組がいる。非常口の前だ。

 おかしいと思わないか?

 分からないかな。君は花粉症で、今日もマスクをしてきていたね。でも今は外している。何故か? 食事をするつもりだからだろう。食べる直前まで着けていても良いけど、水を飲むために外したね。

 ああ、君の言う通り、彼らは食事の直前までマスクを外したくないのかもしれない。でも考えてごらん。彼らは喫煙席に座ったんだ。煙草を吸うつもりだと考えるのが普通だ。

 今、店員と話しているね。彼らが店員と話すのは、二度目だ。テーブルの上を指で差しながら話している。これは何だと思う?

 ねえ、君はおかしいと思わないかい。混雑する昼の時間帯、接客をしているのはほとんど鈴木さん一人。あの店員が近くを通ったのを見た記憶は? ないだろう?

 それから、料理が来ないのは、君のオムライスだけじゃない。私のパスタもだ。もしオムライスの材料が不足したなら、私の料理は来ていてもおかしくない。パスタなんて、それこそ温めるだけのはずだ。こういうファミレスで、テーブル分の料理を揃えて提供なんてしない。できたものから持ってくることが多い。

 私たちの料理なんて後回しになってしまうほどのことが起きているんだ。

 あの二人組は、強盗だ。しっ、大きな声を出しちゃダメだ。

 うん、もっともだ。強盗をするのに席に座れば逃げ損なう。でも、よく見るんだ。見すぎないように気を付けて。

 箸立ての前あたり、小さな黒い箱が見えるだろう。あれは、そう、そうだ。通報したら起動させる、と脅しているんだろう。だから非常口の前に座り、逃げ道を確保しつつ一般客を装う。しかし顔は覚えられないように隠したまま。注文を取りに来た店員に現金を要求する。声は出さず、指差しで。

 今、裏では店員は大騒ぎだろう。他の客に不安を与えないよう、鈴木さんだけを接客に残して、どうするか話し合っているんだ。私たちの料理どころじゃないだろう。



 □ ■ □ ■ □ ■ □



 先輩の話は、とんでもない事件を明らかにしていた。

 あの怪しい二人組が強盗犯で、爆弾か何かを持っていて、同じ店内に僕たちがいる。どうすれば良いのだろう。危険だ。すぐにでも逃げるべきではないか。


「先輩、あの、逃げなきゃ」

「お待たせしました! ふわふわオムライスです! 混雑のため大変お待たせしました。パスタももうすぐお持ちしますね!」

「ありがとうございます」


 タイミング悪く、オムライスが届いた。

 先輩は平静なまま、オムライスを僕の前に移動させた。


「先に食べていて良いよ。冷めたら残念だし」

「そんな、それどころじゃないですよね!」

「君は本当に面白いね。大丈夫、料理が遅かったのはただの混雑だよ」

「え?」


 先輩は嬉しそうに唇を吊り上げる。


「日常へ戻っておいで。ファミレスで接客担当が一人か二人なのはよくあること。もう一人の店員は、向こう半分の担当だから私たちの近くに来なくて、君の記憶に残らなかっただけ。第一、いくら非常口の近くに陣取っても、非常口の外で待ち伏せされたら簡単に捕まってしまうだろう。強盗するなら、やっぱりレジの近くで、通報する隙をつくらず行うと思うよ」

「でも、あの箱は!」

「このくらいの、タバコサイズだろう? シガレットケースだ。ああ、指差しもただの注文だね、メニューを差して。追加注文かな」


 先輩は指でサイズを作りながら言う。

 僕は、へなへなと体の力が抜けるような気がした。


「信じちゃいましたよ……」

「君は熱心に聞いてくれるから、話し甲斐があるよ」

「先輩の話、どこまで作り話なのか分かりにくいんですよ……」


 責任転嫁して先輩を見れば、先輩はすっと目を逸らした。

 促されて、食事を始める。普通においしい。当然、強盗なんて関係ない味だ。


「君に宿題を出そうかな。今、君が解決できる事象がある。今日だけでも、手掛かりは揃っているよ。あとは君が気付いて、結論を出すだけ。……次回があれば、だけど」

「次回、あります!」


 慌てて返事をする。

 正直なところ、僕が解決できる問題に心当たりはない。しかし、先輩が言うのだから、あるのだろう。それに、何より、先輩が僕と会う『次回』を考えてくれたことが嬉しい。

 必ず結論を出して、探偵の助手にふさわしいところを見せるのだ。


「そうか。じゃあ、待ってるね」


 先輩は柔らかく笑った。

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