私には厳しい時代
於田縫紀
私には厳しい時代
血のように赤い夕暮れも間もなく闇に飲まれていく。
黄昏時、逢魔が時とも言うこの時間帯。私は今日もおしゃれをして街に繰り出す。
街と言っても賑やかな場所ではなく、人通りの少ない寂しい場所がお約束だ。神社とか墓地、廃墟なんてあるともう最高。
でもあまり寂しすぎる場所は人が通らない。そこは吟味する必要がある。
その点本日の
ただこんないい場所なのに同業者の先客がいないのが少しだけ気になるかな。でも此処を逃すことは無い。まずは挑戦してみるべきだろう。
長い影が見えるか見えないか、そんな時にちょうど通行人が歩いてきた。見ると私好みの若い男性だ。私の嫌いなポマードの匂いも無い。よしよし。
早速ちょうどいい場所で出会えるように歩き出す。
「こんばんわ」
男性に向かって私は声をかける。
「こんばんわ」
男性は立ち止まった。よしよし。
「済みませんがひとつお伺いしていいでしょうか。私、綺麗だと思いますか?」
男はいぶかしげな表情を浮かべた。確かに出会い頭にする質問としては変かもしれない。でもこれが私の生き様なのだ。だから仕方ない。
「綺麗だと思いますけれど」
よしよし、それでは次の段階だ。
「これでもそう言ってくれるかしら……」
私はゆっくりマスクに手をかけた。その時だ。
「何故君は人前でマスクを取ろうとするんだね。まさかコロナをうつす気か!」
いつの間にか呼んでもいない爺が来てそんな事を言ってくる。
「いえ、あのう……」
「よく見るとそのマスク、ウレタンマスクじゃないか。そんなんじゃほとんど効果は無い。今すぐ付け替えろ! マスクは出来ればN95、最低でも不織布の使い捨てマスクでないと認めん。本当にけしからん。今の非常事態を何だと思っているんだ」
爺はマスク越しにも唾を飛ばす勢いでそう怒鳴る。
獲物予定だった若い男は既に去ってしまった。追いかけたいが、追いかけるのはマスクを外して見ていただいてからというのが私のルールだ。
「こら! 私の話をちゃんと聞かんかい! だいたい近頃の若い女ときたら……」
この爺は捕食したくない。はっきり言って不味そうだ。しかも私の嫌いなポマードの香りまでしていやがる。こんなのべっこう飴を貰っても相手にしたくない。
私が去ろうとすると爺の声が一段と上昇する。
「こら、年長者の言う事は聞かんかい。本当に最近の者は年寄りを敬うという事を知らん。うちの孫の嫁も本当に言う事を聞かない……」
ああウザい。面倒くさくなったのでさっさと逃走する。これでも私、足は速いのだ。百メートルを6秒フラットで走れる。
爺の声がドップラー効果を起こして低くなり、そして小さくなって消えた。
私は立ち止まる。辺りは暗くなってしまった。顔が見える程度の明るさがないと私は狩りが出来ない。つまり今日は失敗。私はため息をついて帰路につく。
業界の噂によるとあれは新手の妖怪『マスク警察』。無知蒙昧な馬鹿がコロナに怯えデマと下級霊に取り憑かれた結果、妖怪化した存在だそうだ。
人のマスクにいちゃもんをつけて来るばかりではない。暴行したり地元ナンバー以外の車を壊したりなんて事もするらしいのだ。
最近は狩りをしようとしてもだいたいこうやって邪魔される。おかげで商売あがったり。
厳しい時代になったものだ。私はもう一度ため息をついた。はあっ。
私には厳しい時代 於田縫紀 @otanuki
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