燕のお宿
空助
第1話
うちの祖父はろくなことをしないことで有名だ。
そこの柿の木は野生の柿の木だから勝手に食べていいと言ったのに、実際は毎年干し柿を作っている家の所有物だったり、夜中に肝試しをすると言って私たちを連れて街灯のない路地裏を歩いたり。
突拍子もなく、危険なのだ。
故に、祖父は家族から煙たがられていた。
「祖父ちゃん、どこ行くの」
その日も、夜更けに出て行こうとする祖父に、喉が渇いて目の覚めた私は声をかけた。
祖父はいたずらっ子のような笑みを浮かべ、「面白いところに行くんだ。一緒に行くか?」と誘ってきたが、ろくなことにならないことは目に見えていたので「行かない」と答えて台所に行った。
そこから三日、祖父の消息が途絶えた。
家族や近隣住民は、心配よりも先に「ついにか」という呆れがきていたそうだ。
かく言う私も、あまり心配はしていなかった。
祖父ちゃんは死にそうになっても誰かを突き落としてでも生き残るような図太い人だから、そのうちひょっこり現れるだろう思っていたからだ。
実際、四日目でひょっこり帰ってきたので、家族も町の人も顔をしかめていた。
どこに行っていたのかと皆に聞かれるも、祖父はもごもごと「雀のお宿に……ちょっとな……」とわけのわからないことを言う。
とうとうボケたかと皆が思う中、祖父は「鳴深(なるみ)、ちょっと来てくれんか」と嫌にしおらしく言ってくるものだから、嫌な予感がした。
「なに?」
「鳴深は、親戚の中で一番若かったな?いま、いくつだい?」
「十三だけど……。どうして?」
いぶかしむ私に、祖父は「話はあとでするから、燕鳴(えんめい)神社に行ってくれないか?」と言った。
燕鳴神社とは、山中にあるとても小さな神社だ。
昔は、そこでよく友だちと遊んだものだ。最近では、みんな勉強についていくので手いっぱいだったり、ケータイゲームに夢中になっていて行かなくなったが。
そこには、絶対に入ってはならないと言われた洞窟があった。
普通、入ってはならないと言われると一層、入りたくなるものだが、誰もが「その先に行ってはいけない」と感じ取っていて、誰も入ろうとは言わなかった。
その神社になんの用が、と思うが、弱り切った祖父を見て、お人好しの私は「わかった」と言ってしまった。
参道を上り神社まで来たが、特にこれと言って変わりはなかった。
境内でひといきついていると、不意に「北風寛治様の血縁者様でしょうか?」と鈴を転がすような綺麗な声が響く。
驚いてあたりを見回すと、いつの間にいたのか黒髪の美しい黒目がちの、着物を着た少女が立っていた。
「こんにちは」
「こ、こんにちは……」
微笑まれ、同じ女なのに思わず赤くなってしまった。
少女は微笑み、「こちらへ」といって洞窟の方へと向かおうとするので、思わずその華奢な腕を掴んで「そっちは行ったらダメだよ!」と引き留めたが、振りほどかれ逆に腕を掴まれ奥に進まされた。
ぞわぞわと、嫌な空気に肺を犯される感覚に吐き気がしそうになっていると、真っ暗な洞窟に段々と光が差してきた。
ようやく外に出るのかと安心すると、そこは、まるで京都の祇園を思わせるような和建築が並び立っていた。
呆気に取られていると、少女は「さあ、さあ。早く行きますよ。お仕事が待っています」と言って腕を引っ張るが、ぐらり、と目が回り、その場に膝をついてしまった。
「おや、おや。どうされましたか?」
「気持ち悪い……」
車酔いと同じ感覚にみまわれ吐きそうになるのを必死に耐えていると、少女は「あら、あら。妖気よいですねえ、困りましたねえ」と困った様子のない声色で呟く。
「こんなところで戻されても、困りますねえ」
段々と面白そうな声色になってきた少女に薄ら寒い物を感じていると、「花墨、なにをしている!」と中性的な声が響いた。
「ああ、兄様。いえ、彼女が妖気酔いにあってしまいましてね」
「お前、酔い止めをわたしたはずだが?」
兄と呼ばれた男の声に、花墨と呼ばれた少女はころころと笑いながら「忘れていました」と言った。
「いまから飲ませて効きますでしょうか?」
「効果は薄いだろうが、ないよりかはましだろう。おい、飲めるか?」
目の前に差し出された丸薬を水なしで無理矢理飲み下すも、すぐに効果が表れるわけもなく、ぐらぐらとしためまいは続く。
「ここでこうしていても仕方がない。宿で休ませよう」
「初出勤がこれでは、先が思いやられますねえ」
「花墨、運べるか?」
「ええ、お任せを。兄様は、お部屋のご用意をお願いします」
そんな会話を聞いていると、不意に体が地面から浮いた。
何事かと思えば、私より小さく華奢な花墨が私を抱き上げているではないか。
横抱きにした私に、花墨は綺麗だが作り物臭い笑みを向け「ゆっくり、ゆっくり、お宿へ向かいますからねえ」と言って、言葉通りゆっくりとした足取りで歩きだす。
しかし、小さな振動でも戻しそうになっている私に、花墨は笑みを崩さず「私の着物を汚したら、請求書に加算いたしますからね」と言われた。
「請求書……?」
「おや、おや?寛治様から、なにもお聞きになっておりませんかあ?」
「なにも聞いてないし、聞きたくない。おろして、帰して」
嫌な予感がし、花墨の腕から降りようともがくが、花墨は一切バランスを崩すことなく私を支え、「逃がしませんよお」と歩調を速めて、一際大きな「燕」と書かれた建物へと歩を進めた。
揺れは少ないが、高速で流れていく景色に目が回った。
は、吐く……!
燕のお宿 空助 @puppysorasuke
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