ゆめゆめ

タロフ

ゆめゆめ

 僕は、いじめられているらしい。


 小学生の頃は全然友達が出来なかったけれど、中学生に上がってからはかなり頑張った。


 入学前、お母さんに頼んでメガネをコンタクトに変えたし、少し長めだった髪もさっぱり切ってもらった。


 僕の作戦はこうだった。


 入学直後、みんなが関係性を探っている時期に、今後中心人物になりそうな人を見つけてアタックする。それだけ。


 心臓が本当に飛び出るほどに緊張したが、一言声をかけると向こうからすごく話しかけてくれるようになった。


 友達第一号、たけしは少し無愛想なところもあるけれど、とてもいい奴だった。


 実際に、武と一緒にいることで友達がたくさん出来た。初めての体験だったので、毎日学校が楽しくて仕方なかった。


 休み時間、グラウンドでサッカーをするようになった。小学生の頃は誰も誘ってくれなかった。


 もちろんすごく下手だったけれど、武はそんな僕を馬鹿にするわけでもなく、かといって変にフォローするでもなく、普通に接してくれた。





 入学から半年後、武は学校に来なくなった。


 武の家は前に遊びに行ったことがあったからすぐに様子を見に行ったけど、武には会えなかった。


 代わりに偶然家にいた武のお父さんが出てきた。


 僕をみて眉間に皺を寄せた。


「武はいないよ、今日は帰ってこない」


「でも」部屋の明かりは点いていた。


 大人の静かな威圧感を感じ、先生から預かったプリントを手渡して逃げるように立ち去った。


 なんで学校に来なくなったのか、理由はすぐに分かった。


 違うクラスの人が休み時間に教室を覗き込んでいた。制服を着崩して整髪料で髪をベトつかせている彼らは、僕を見ていた。その中の一人は、わざわざ僕に聞こえる音量で喋っているようだった。


「あの片腕くん庇ったせいなんだろ?武もバカだよな」


 何も聞きたくない。僕は無心になって小説を読んだ。やっぱり右手だけだと読みづらい。




 その日の夜はなかなか寝付けなかったが、ずっと目を瞑り続け、ようやく少し微睡んできた。


 武に申し訳ない。謝りたい。


 その感情が体から流れ出そうだった。


 でも、今の僕に何ができるのか、わからなかった。


 武を助けたい。


 夢と現実の境目を揺蕩たゆたっていると、声が聞こえた。


「その願いを叶えましょう」


 思わず目を開いた。そして声を上げて叫んだ。


 その声は反響し、学校中に響き渡った。


 そう、僕はなぜか校舎の廊下にいる。


「こんばんは。あなたラッキーですよ」


「え、え、え」


 真っ白のスーツに身を包んだ細い紳士が立っていた。髪はオカッパで切り揃えてあり、瞳は異様に細い。


「うわあっ」


 一目散に紳士とは反対方向に駆け出したが、足を滑らせて転んでしまった。


「ああ、気をつけてください」


 擦りむいた肘が、ジンジンと痛む。


「何!?何これ!?」


 紳士はコツコツと歩み寄り、口角を少し上げた。


「あなたの夢を叶えましょう」


「え?」


「何ですか。難しいとこ言ってます?私」


 なんだか良く分からないけれど、叶えてもらえるならそうしたい。


「あ、お願いします……」


「いいですね、好きですよ。物分かりがいい子供」


 にっこり笑った紳士はポケットから一枚の紙を取り出して、僕に寄越した。




 ーyumeyumeー


 ここにいる限り、あなたの夢は叶う。


 ルール

 ①活動場所は校舎内のみ

 ②制限時間は72時間

 ③制限時間は厳守ではないが1分超過するごとに、現実世界における残りの寿命10日をペナルティとして支払う




 顔を上げると、紳士は僕を見たままずっと笑っていた。目は細くて良く見えないから本当に笑っているのか良くわからない。


「ここに居ればいいってこと?ここは何?夢?」


「まあ、夢、みたいなものです」


「あと寿命って……」


「あなたの、寿命です。まあただのペナルティですから、あまり気にしなくても良いですよ」


「はあ」


 自分が状況を少しずつ飲み込んでいることに驚いた。なんで都合のいい夢なんだ。


 こんなことがあり得るとは思えないけど、折角の夢を叶えるチャンスに心動いていたのは確かだった。


 武を助けたい。武が居る教室で一緒に授業を受けたい。遊びたい。


 厚かましい願いかもしれない。でも、助けたいものは仕方ないじゃないか。


 自分に言い訳するように心の中で呟いた。


「では、私は帰ります。この校舎は自由にお使いください」


 そう言った紳士はサッと踵を返して歩き始めた。


「え、ひとり?」


 呼びかけに片腕をひらりと上げて応じると、歩いている紳士の体は突然視認できなくなった。まるで落とし穴にでも落ちたかのように。


 唖然としたままの僕だけを残して、学校の夜は更ける。




 翌朝、保健室で目を覚ますと外からざわざわと声が聞こえてくる。壁掛けの時計を見ると、9時5分前。


 慌てて吊るしておいた制服に着替え、教室に走って向かった。


 教室のドアを勢いよく開ける。勢いが良すぎて思いの外大きな音が教室に響いてしまう。教室中の注目を集めながらも、武を探す。


「あ、おはよう」


 武は当たり前のように座っていた。友達と談笑しているのを切り上げて僕の近くまで来てくれた。


「どうした、そんなに息切らして」


 今、僕はもう2度と実現しないかもしれない場所にいる。


 武がいる、教室。武と過ごす学校生活。


「なんでもない」


 精一杯楽しもう。





 62時間24分33秒経過


 僕は、大切なことを忘れていた。


 ここは3日しか居られないんだ。そして今日は最後の日だった。


 今日を最後に僕はここを出なければならない。


 そもそも、一つわからない事があった。


 僕がここに居る間、現実世界の武はいじめられていない、「助かっている」状態なのだろうか。


 深く考えていなかったが、自分の願いがどういう形で叶えられたのか、僕は知らなかった。


 もし、現実世界の武が、僕がここにいる今も学校に行けていないなら。


 それは僕の願いが叶ったと言えるのだろうか。


 体の中が濁るような不快感を覚える。


 そうだ。僕は2日も家に帰っていないことになるのか。


 お母さんは絶対に心配しているはずだ。なんでこんな大事なことに気付けなかったんだろう。今まで記憶からすっぽり抜けていたように、思い出すことはなかった。


「……ーい、おーい!」


 はっと気づくと、周りの生徒は皆休み時間と同時にグラウンドに駆け出し、教室には数名しか残っていなかった。


 横で呼びかけている武も、体を忙しなく揺らして待ちきれない様子だった。


「早くグラウンド行こう!」


「あ、うん」


 武は、僕を良くも悪くも特別扱いしない。

 片腕がない僕にも、健常者と同様の扱いをしてくれる。もちろんできない事もあるけれど、それはサラッとフォローしてくれる。


 階段を二人で降りていると、左側を歩く武が不意に足を止めた。


「どうしたの?」


「あの、さ」


 やけに改まった態度だったので、喉がキュッとしまった。


 俯いた武の耳は真っ赤になっていた。


「俺、お前と友達になれてよかったって、本当に思ってるから。お世話してるなんて、思ってないからな」


 無意識に、目が大きく見開かれた。


 こんなことを言ってくれる友達が、自分にできるなんて思っても見なかった。


 そして同時に気になった。【お世話してるなんて、思ってないから】。


 誰かにそう言われたの?言われたから気にしているの?


 そう訊くことはできず、「なんだよ、恥ずかしいよ」と言って笑った。


 武も、へへっと声を出して小さく笑った。


 僕は、「この武」も守らなきゃ。





 110時間25分12秒経過


 僕は4日目になっても、ここを出ていない。


 それが僕の決断だった。


 ここで、武と一緒に過ごす時間はなににも替えられない。


 そして、向こうの武も僕がここにいる間は救われているんだとすれば、僕がここにずっと居ればいい。それで解決する。


 寿命が減ったって、帰らなければずっとここに居られる。


 僕を助けてくれた武を、今度は僕が助けるよ。


 教室では日本史の授業が行われていた。


 不意に睡魔を感じた。授業がつまらなすぎたのか、寝不足か。


 少し寝てしまおう、と思った。


 バレないように片腕を机について、瞼を閉じた。


 遠くからベル音が聞こえる。


 瞬時にこの音が何なのか分かった。僕の目覚まし時計だ。


 鼓動が急速に早まり、目が開く。


「え、え?」


 今までのは全て、夢?


 そうか。


 今までの全ては夢。ただ夢を見ていただけで、現実は何も変わってない。そう考えるのが当然だった。


「嘘でしょ……」


 全身から力が抜け、起こした上半身を再びベッドに沈めた。身体がやけに重い。


 武を守れなかった。僕のせいで学校に行けなくなった武を。僕のせいなのに。そう考えると、涙が堰を切ったように溢れ、止まらなかった。


 その溢れる涙を右の手の甲で拭うとした時。


 今流した全ての涙の存在は否定された。


 僕はろくな言葉も発することができず、ずり落ちるようにベッドを降り、部屋にある全身鏡に向き合った。


 誰だ、このお爺さんは。


 鏡に映ったのは、髪が抜け落ち、全身にくまなく皺が刻まれ、疲れきった老人だった。直感的に思う。


 これは、僕だ。


「なんで? なんで?」


 そう呟きながら、これもまた夢であることを切に願いながら、ただひたすらに涙を流し続けた。


 突然扉が開いた。目の前にお母さんが立っている。その表情は驚きから恐怖へと色を変えた。


 お母さんの叫び声を聞きながら、想像していたよりも声が小さいな、と思った。





 誘拐犯として警察に逮捕され、拘置所に入れられてから数日が経った。


 想像どおり、ひとしきり無意味な質問をされた。


「いいかげん本当のことを言ったらどうなんだ?え?」


 僕に凄んで見せるおじさんは、面倒なことに巻き込まれたと、辟易しているようだった。僕は何も悪いことしていないのに。


 その時、心臓に激しい痛みを覚え、机に倒れ込んだ。


 息が苦しい。


 途切れ途切れになる意識の中で、武のことを思い浮かべた。


 あれ、どんな顔だったっけ。


 僕はそのまま、意識を手放した。





 隠しルール

 上限まで寿命を支払った場合、現実世界に強制送還される。その際ペナルティとして、寿命72時間が与えられる。

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ゆめゆめ タロフ @oroorowho

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