第165話 【修学旅行編⑩】選択


 雪上オリエンテーションが終わると昨日と同様に順番に風呂の時間が回ってくる。

 俺達三組の順番はまだ少し先なので、それまでは自由時間ということになるのだが、俺は旅館の外に呼び出されていた。


 日も落ち始めているので、風も冷たく外は寒い。吐く息は白く、じっとしていると体が震えてくる。


 けれど。

 そうも言ってはいられない。


 腹を括り、俯いていた顔を上げる。


「おまたせ」


 俺を呼び出したのは結だ。

 一人かとも思ったが、その隣には白河もいる。それだけで、何を意味しているのかは十分伝わる。


「寒いし、さっさと要件だけ伝えるわ」


「お、おう」


 どうやら、ここで答えを催促されるわけではないらしい。


「今日の夜、わたし達は基本的に自由時間になってるでしょ? 昨日のうちにオリエンテーションが終わってるから」


「そうだな」


「それでね、うちの部屋の人達は……佳乃ちゃんも含めてなんだけど、男の子の部屋に遊びに行くんだって」


「はあ」


 修学旅行だし、そういう男女の戯れはどちらとしても欲しているということか。


「偶然だけど、私の班もそんな感じで部屋を開けるのよね。宮乃さんを含めて」


「そうなんだ」


「それでね! こーくんには、わたしか明日香ちゃん、どっちかの部屋に来てほしいの」


 結から提示されたのは、そんなことだった。

 答えを出すとは言ったけれど、どういう形で伝えようかというのはずっと悩んでいた。


「コータローが、恋人として選ぶ方のね。今夜八時、私達はそれぞれの部屋で待ってるから」


 二人は今どんな心境なんだろう。不安なはずなのに、怖いはずなのに、そんな顔は一切せずに俺をまっすぐ見つめている。


 分かっていることだった。

 クリスマスのあの日、白河明日香に告白されたときから、こうなるんだということは。


 分かっていたけれど。

 それでも、この瞬間、その事実の重さが俺にのしかかる。


「……分かった」


 俺が短く答えると、結はいつものようににこりと笑い、白河も微かに口元に笑みを浮かべる。


 そして二人は旅館の中に戻っていく。

 俺はすぐに後を追う気になれず、少しだけ冷たい風に当たることにした。


 とはいえ、さすがに寒いのでいつまでもはいれない。ぐちゃぐちゃになっている頭を冷やしたところで、俺は部屋に戻った。


「どこ行ってたん? もうすぐ風呂の時間だよ」


 部屋に戻ると栄達が風呂の準備をしていた。猿山含めた他のメンバーはいないが、気にしないことにした。

 栄達は俺の雰囲気が変わっていることに気づいてか、いつものように話しかけてはこなかった。


 大浴場に向かっている最中。


「いつものうるささはどうした?」


 と、尋ねてみたところ。


「僕だって四六時中うるさいわけではないよ。誰だってゆっくり考え事したいときくらいあるっしょ」


 と答えてきた。

 それが栄達のことなのか、それとも俺のことを言っているのかは分からないが、多分気を遣ってくれているんだろう。


 風呂の時間になり、湯船に浸かると冷え切っていた体が少しずつ温まる。そうすることで、頭がさっきよりも働くような気がした。


 月島結か。

 白河明日香か。


 これまで散々背を向け続けていた問題と、ついに向き合わなければならないときがやって来たのだ。


 どちらも俺にはもったいないくらいにいい女の子だ。可愛くて、優しくて、楽しくて、彼女達以外の相手とならば迷うこともないくらい。


 月島結は幼馴染みだ。

 小さな頃に出会い、お互い不器用ながらも歩み寄り、仲良くなってたくさんの思い出を作った。


 結の家の事情でお別れすることになって、そのときに将来結婚しようなんて約束をしてしまうくらいには、お互いに好きだったんだと思う。


 とはいえ、小学生の好きなんてお遊びみたいなもんで、俺はいつの間にかそんな日のことは忘れていた。

 もう会うこともなければ、覚えている方が辛い。もしかしたらそんな考えだったのかもしれない。


 けれど、偶然か、あるいは運命か、高校生になって再会した結はあの日の約束のことを覚えていて、俺と再会する日を夢見て苦手なことを克服し、いろんな努力をしていた。


 そして何より、とても可愛くなっていて驚いた。


 同時に、自分とは釣り合わないと思ってしまった。そのときには宮乃の問題もあったけど、そんなのを抜きにしても俺の中に後ろめたい気持ちがあったんだ。


 そのとき、初めて告白された。

 でも、そんな気持ちもあって答えを保留した。結は、俺のことを考えてか嫌な顔一つせずにその選択を受け入れてくれた。

 それから、ずっと俺のことを見ててくれたんだ。


 いつしか、その優しさに甘えるようになっていた。


 宮乃の問題が解決して、結の気持ちと向き合わなければと改めて思ったとき、俺の中にあったのは恐怖に似た何かだった。


 向き合うことを躊躇って、答えを出せずにいた俺に、白河明日香は気持ちを告げてきた。


 白河明日香。

 俺と同じ映像研究部のメンバーで、それ以上でもそれ以下でもない存在だった。


 白河にとっても、俺はそんな感じの存在だったんだと思う。


 先輩達が抜けて、栄達と三人になったとき、もう来ないかと思った。けれど、白河は部室にやってきて、それからはいろんな経験を共にしてきた。


 最初は確か、新入生歓迎会だったかな。新入部員獲得に燃えていた栄達は準備を頑張ったから発表は俺か白河のどっちかがやるってなって、結局じゃんけんで負けたのは白河だったな。


 体育祭では、白河の過去を知ることになった。

 これまでのただの同じ部員って関係性が少しだけ発展したのは、もしかしたらあのときだったのかもしれない。


 それから夏になって、白河のいろんな一面を知ることになった。

 俺に気を許してくれたからか、弱い部分を垣間見る機会もあった。面倒なことなのに、不思議と心の底ではそれを面倒だとは思わなかった。


 夏合宿では大変な目にもあったけど、あれはあれで今ならいい思い出だと思える。

 あのあとは罪悪感からか、白河はロクに話してくれなくて大変だったな。


 文化祭では見事にミスコンに選ばれたんだよな。あろうことか、俺をフォークダンスの相手に選んだんだ。

 あのときには、もう俺のことを特別に思っていたということかな。


 多分、そのときには既に白河を特別に思っていた。けれど、それを自覚してはいなかった。


 俺にそれを気づかせてくれたのは、橘涼凪ちゃんだった。

 彼女が俺に告白をしてきたとき、俺の脳裏に思い浮かんだのが結と白河の姿だった。


 彼女は俺に教えてくれた。

 心の奥底にある本当の気持ちと、そして人を振るということがどういうことなのかを。


 多分、俺がいないところで涙を流したのだろう。俺にはそんな素振りを一切見せることはなかったけれど。


 好きな人に振られる。

 自分の思いが届かない。

 それがどれだけ辛いことなのか、俺はそのときに改めて考えさせられた。


 そして。

 俺はこれから、どちらか一方にその思いをさせることになる。


「……」


 分かってはいる。

 でもやっぱり、そのことを考えると胸が痛む。どうにもならないことだ。考えたって仕方ない。


 考えるな。


 風呂を出て、晩飯を食べているときも俺はずっと考えていた。


 月島結とのことを。

 白河明日香とのことを。


 晩飯が終わって、自由時間になった後も部屋で考える。栄達はどこかへ行ってしまい、他の連中も姿は見えなかった。


 静かな場所で考えたかった俺からすれば好都合だった。


 どうしてこんな俺のことを好きなんだろうか。何度もそんなことを考えた。


 でも分かるはずないんだ。

 俺は月島結でもないし、白河明日香でもないんだから。


 そして、宮乃が言っていた。

 大事なのは俺の気持ちだと。


 彼女達がどうして俺を好きなのか、ではなく、俺がどうして彼女を選ぶのか。


 気づけば、時刻は夜の七時四五分だった。もう時間はない。

 目を瞑り、気持ちと向き合う。


 月島結か。


 白河明日香か。


 ……。


 …………。


 ……………………。


「……よし」


 俺は立ち上がる。

 行かなければならない。彼女の待つ場所へ。


「お、どっか行くん?」


 部屋を出ると栄達と遭遇した。


「おう、ちょっとな」


 ふうん、と言った栄達だったが、

 

「ねえ、幸太郎」


 と、行こうとする俺を呼び止めてきた。

 急いではいるのだが、栄達の真剣な顔にそうは言えなかった。


「僕は常々思うよ。後悔ってさ、どうして起こる前に分からないんだろうって」


「……そりゃ、そういうもんだからだろ」


 真面目な顔して、真面目な声色で、なにを言ってるんだろう。


「そうなんだよね。後悔の伴わない選択なんてきっとない。選ぶということは、すなわち未来を分岐させるということだ。だからさ、後悔のないような選択をしろっていうのは無理なんだよ」


「……ああ」


 よく言われることだ。

 後悔のない選択。けれど、確かに栄達の言うとおりならばそんなものはない。

 選択には、後悔が付きまとうから。


「僕らにできるのは、選んだ道を後悔しないようにすることだけなんだよ。選ばなかった道のことは考えちゃいけない」


「つまり?」


 俺が言うと、栄達はニヤッと笑う。


「後悔するなよってことだよ。後悔するってのは、選んだ道にも選ばなかった道にも失礼なことなんだから」


「……何かのアニメのセリフか?」


 俺が冗談めかして言うと、栄達は「まあね」と笑いながら答えた。


 下手くそだけど、多分あいつなりに背中を押してくれたんだろう。俺は栄達に背中を向ける。

 急がないと間に合わない。


「……ありがとな」


 だけど、一応礼だけは言っておく。


 そして走り出す。


 向かう先はもう決まった。

 スマホで時間を確認するともう五分もない。


 すれ違う生徒には変な目で見られたかもしれない。

 それでも俺は足を止めない。行くべきところがあるのだ。


 そして。

 部屋の前に到着する。

 

 駆け足で来たおかげで、何とかぎりぎり間に合った。

 荒くなった息を整えながら、もう一度時間を確認する。八時一分前。あと数十秒でそのときを迎える。


 息を整え終え、額を伝う汗を拭う。


 最後にもう一度、大きな深呼吸をしてから、俺はドアノブに手を掛ける。





 ガチャリ。

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