第163話 【修学旅行編⑧】カレー


「せっかくの自由時間だというのに、部屋で引きこもりとか寂しくね?」


 朝食を終えた後、午後までは自由時間だ。この時間に好む生徒はスキーに勤しむ。


 しかし、俺は昨日のスキーによる筋肉痛が酷く、部屋からロクに動けないでいた。


「お前に言われたくねえよ。筋肉痛でもないんなら遊びに行けよ」


「それも悪くないけど、キリのいいところまで進めたい」


「……修学旅行でゲームしてる奴が一番寂しいだろ」


 そんなことより。

 一応、白河には事情を説明しておいた。こればかりはもう俺にもどうしようもないことなので、その辺は納得してくれた……はずだ。返事がないが。


 部屋でゴロゴロしてるのも何だし、スキーはしないまでも散歩くらいは行った方が有意義だろうか。


 天井を見つめながらそんなことを考える。すると、栄達のスマホが軽快なアニソンを流す。


「なんか主張してんぞ」


「どうせスパムメールとかでしょ」


「いや、でもずっと鳴ってるし」


「んー? スパム電話?」


「そんなの聞いたことないぞ」


 やれやれ、と面倒くさそうに栄達はスマホを手に取る。俺は首だけを動かしてその様子を見る。何か知らんが、うげって感じの顔してる。


「なに?」


「んー、まあ、スパム電話かな。ちょっと出てくる」


 立ち上がって部屋を出ていく栄達。俺は部屋に一人残された。李依とかかな? そういや最近話聞かないけどあいつらどうなったんだろ。

 その話題振ると結とか白河の件で返されるから、こっちからは触れられないんだよなあ。


 中々帰ってこないな。

 別にいいんだけど、急に話し相手がいなくなるとちょっとだけ、ほんの僅かだけど寂しいじゃねえか。

 やっぱり散歩にでも行くかね。

 せっかくの修学旅行だしな。


 そう決断し、痛む体を無理やり起こす。ちょうどそのタイミングで部屋のドアがガチャリと開く音がした。

 どうやら栄達が帰ってきたようだ。


「俺ちょっと散歩に行ってくるわ」


「そう。じゃあ私も行くわ」


「ん?」


 痛みに耐えるために俯いて歯を食いしばっていたが、俺は予想だにしていなかった声に思わず顔を上げる。


 そこにいたのは小樽栄達ではなく白河明日香だった。


 外に行ってたのかは分からないが、黄緑色のスキーウェアを着ている。それは全生徒に渡されているレンタルウェアだ。


「なんで、白河が? 栄達は?」


 間の抜けた声が出てしまうが、それも無理はないだろ。栄達が白河になって帰ってきたのだから、そりゃ驚く。


「小樽はどこかへ行ってしまったわ。どうして私がここにいるのかというと、それはどこかの軟弱者が約束を守らなかったからよ」


 あ、これ怒ってはるわ。

 なんとなく雰囲気がそれを告げてきている。


「い、いやあ、まさか俺もここまで筋肉痛が酷くなるとは思わなかったよ。あはは……」


「ははは」


 全然笑ってくれない。

 笑ってくれてるけど、それほとんど笑えてないようなもんだよ。


「散歩、行くんじゃないの?」


「あ、はい。行きます」


 ドアの方を向きながら、白河に言われる。俺が頷くと彼女は先に部屋を出て行った。

 俺も後を追う。


 しかし、歩く度にズキズキと体中が痛む。特に下半身だ。もう普通に歩くことは困難でさえある。


「……それにしても酷いわね」


 そんな俺の様子を見ながら、白河は至極呆れたように言う。彼女の半眼が俺を襲う。


「白河は筋肉痛じゃないのか?」


 こいつも昨日はスキーを堪能したと言っていた。途中退場の結や栄達以上に体を酷使したはずだ。


「私はちゃんと日頃から体を動かしているもの。そうでなくても、スキーをすることは分かっていたんだから、ちょっとくらいは備えておくでしょ。普通は」


「意外と入念なのな」


 ものぐさな性格してるから、その辺は適当なんだと思ってた。スキーが楽しみだっただけかもしれないが。


「それで、どこへ向かってるの?」


「今日の昼は好きに食えってやつだろ」


「そうね」


 既に昼時。

 そろそろ腹も減ってきた頃だ。

 昼過ぎまで自由時間ということもあり、昼食は各自で好きに食べるのが今日の予定だ。


「なんか、スキー場のカレーが美味いらしいんだよ。栄達が言ってた」


「それを食べに行くの?」


「ああ。なんか他にある?」


 あるなら全然それでいいんだけど。

 しかし、白河はそんな俺の問いかけにかぶりを振るだけだった。


「ま、いいわ。そうしましょ」


 言って、白河は歩くスピードを緩めて俺の隣に並んだ。その瞬間に、いいにおいが俺の鼻孔をくすぐる。

 女子ってどこからいいにおいを発してんだろうなあ。同じシャンプー使ってても俺はこうはならない。


「なによ?」


 そんなことを思いながら白河を見ていると、怪訝な目を向けられた。無理もないことである。


 スキー場の食堂に行くと、そこそこ混んでいた。それでも溢れ返っていないところ、みんなスキーに夢中なのだろう。滅多にできることでもないからな。


 注文のシステムはうちの学食と同じで食券を先に買うタイプらしい。購入すると自動的に厨房に届くらしく、俺達はそのまま席を探す。


「やあ」


 たまたま見かけた宮乃と合流する。

 何故か一人でカレーを食っていた。


「一人で何してんだよ?」


「見て分からないかい? カレーを食べているんだよ」


「なんで食ってんのかを聞いてんだけど?」


「昨日、小樽くんが絶賛してたからさ。食べてみよっかなと思って。でもぼくの周りにカレーの気分の人はいなかったから、仕方なく一人だったってわけ」


 あいつめちゃくちゃカレーを布教してやがる。そうなるとここまで食べに来た自分が少し恥ずかしい。


「見たところ、八神も同じ感じのようだね」


「……まあな」


「白河さんはその付き添いってとこかな。とすると、ぼくはお邪魔虫ということになるな」


 ふむふむ、とわざとらしく頷きながら宮乃がそんなことを言う。


「そんなことないわよ。変な気を遣わないで」


「はーい」


 宮乃と白河もだいぶ仲良くなったもんだな。白河がなんて言うのかもだいたい予想ついてやがったな。


 そんな話をしていると、俺と白河の番号が呼び出される。


「あ、俺達か」


「コータローは座ってていいわよ。私が取ってくるから」


 言いながら、テーブルに置いていた俺の食券を手に取る白河。


「え、なんで。俺も行くよ」


「そんな体じゃカレーひっくり返すでしょ。いいから待ってなさい」


「……さすがにひっくり返しはしないよ」


 とは言うが、白河は聞く耳持ってないようで行ってしまう。


「あれはもう看病の域だね」


 宮乃が笑いながら言う。


「優しいね、白河さん」


「まあ、そだな」


「気を許した相手には容赦ない態度を取るけれど、気を許してない相手には決して見せない優しさも見せてくれる。その中でも特別な扱いを受けている感想はある?」


 笑いながら、けれどもどこか真剣な声色で宮乃が尋ねてきた。その質問の深い意味まではあえて考えないようにして答える。


「俺には勿体ないって思うよ。なんであんな可愛くて優しい子が俺のこと好きなのかなって、今でも思う」


「それは八神に、それだけの魅力があるってことだろ。今更何を言ってるのさ」


「でも、俺は別にイケメンってわけじゃないし頭も良くない。運動も特別得意じゃないぞ? 金だってないし、いいところなんて何も……」


 自分で言ってて悲しくなるが、それが事実だ。謙遜とかではなく、それが全てなのだ。

 だから、結の気持ちに対しても白河の気持ちに対しても、どうしてなんだろうって疑問は拭えない。


「人間スペックだけが全てじゃないよ。イケメンじゃなくて、秀才でもなくて、運動が得意じゃなくても人に好かれる人はいる。それは、それ以外にちゃんと理由があるからさ。もちろん、八神にもね」


「……そう、かね」


「ぼくは、何となくわかるけどね。月島さんと白河さんが八神を好きになった理由」


「そうなの?」


「もちろん言わないけどね。ただ一つ言うなら、理由なんてどうでもいいことなんだよ。君と彼女達が過ごしてきた時間が、この結果を招いたのさ。それに、大事なのは君の気持ちだろ?」


 相変わらず難しいことを言いやがる。

 もう少し聞こうとしたが、白河が帰ってくるのが見えたので止めておいた。宮乃もそれが賢明だと言わんばかりに笑みを浮かべる。


「なにを笑ってるの?」


 そんな宮乃の笑みを見て、白河は怪訝な顔をした。


「いや、白河さんがどれだけ可愛いかを八神に説いてたんだよ」


「気持ち悪いことしないで」


「はーい」


 宮乃のやつ、気持ち悪いとか普通に言われてやがる。それでも一切気にしている様子はない。


「はい」


「あ、さんきゅ」


 俺の前にカレーのトレイを置いてくれる。親切に水も汲んできてくれている。


「どういたしまして」


 言って、白河は優しく微笑みかけてくる。

 ほんと、なんでこんな可愛い女の子が俺のことを好きでいてくれるんだろう。


 そう思ったが、宮乃の言葉を思い出す。


 大事なのは、俺の気持ちだ。

 今回の問題に対して答えを出す為に必要なのはそれだけなのだ。

 あいつの言っていることは難しいし面倒なときもあるけれど、間違ってはいない。


 きちんと向き合わなければ。


 その時は、刻一刻と近づいているのだから。

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