第162話 【修学旅行編⑦】二日目の朝


「ねえ、起きて」


 朦朧とする記憶の中、優しく声をかけられる。微かに体を揺らされているような気がして、それがまた何故か心地良い。


「起きてよ、こーくん」


「んあ? 結?」


 目の前に結がいた。

 というか、布団の中に潜っている。俺の上に乗っているような状態だ。


 なんだこれ、どういう状況?

 なんで結が俺の家に?


 あ、違う。

 修学旅行に来ているんだ。つまり、ここは俺の家ではなく旅館における俺の部屋。


 なら、納得か。


「いや納得じゃないよ!」


 なんで俺の部屋に、ましてや俺の布団の中に結がいるんだよ!?


「結だけじゃないわよ。私もいるわ、コータロー」


 白河もいた。

 二人ともパジャマを着ているがボタンはやや外されているせいで胸の谷間的なものがチラリズムしている。

 さっき勢いよくツッコんだせいで布団が動き、二人の姿がよく見えるが何故か下は穿いてない。否、パンツは穿いている。

 いずれにしても、どうやってここまで来たのか謎である。


「何やってんだよ、二人して。そんな格好で……他の奴にバレたらどうすんだ?」


「大丈夫だよ、こーくん」


「周りには誰もいないわ」


「へ?」


 言われて、周りを見る。

 確かに六人で布団を並べて眠りについたはずだ。何ならそこそこの下賤トークで盛り上がりもした。

 なのに。

 布団はそのままに、誰もいなかった。栄達もいない。


「なんで?」


 ふと時計を見ると夜中の二時だ。こんな時間に俺以外の人間が全員姿を消すとかありえないだろ。まして栄達なんて尚ありえない。


「そんなことどうでもいいじゃないの」


「そうだよ。誰もいない方が好都合だと思わないかな?」


「……それは、どういうことです?」


 結と白河が体を起こす。俺の表面に当たっていた柔らかい感触が離れていくのを少し残念に思ってしまう。


 しかし。


 結と白河はパジャマのボタンに手を掛ける。そして、ゆっくりと焦らすようにそれを外していく。


「な、なにを! なにをしてんだ!?」


「なにって」


「そんなことも分からないの?」


 二人は目を合わせながらおかしそうに笑う。これは俺がおかしいの? こっちの感覚が狂ってるの? 修学旅行ってこんなもんなの!?


「こーくんがいつまで経っても選んでくれないから」


「二人で話し合ったのよ」


「……なにを?」


 ごくり、と自分の生唾を飲み込む音がやけに大きく感じた。


「そんなの」


「言わせないで」


 頬を朱色に染めながら、二人はついに最後のボタンを外し終える。へそが露出し、ついに二人がパジャマから腕を抜こうとしたその時のことである。


「……んん?」


「目が覚めたかい、幸太郎。グッモーニン」


 目が覚めた。

 まあ、やっぱりというか何というか、当然のように夢オチである。夢なら夢でさっさと覚めろよ。なんで良いところまでは見させるんだよ。


「随分楽しそうにしていたけど、いい夢でも見てたのかな?」


「……ああ、まあな。目覚めて一発目の景色がお前の顔のドアップだったからプラマイで言えばマイナスだよ」


「失敬だな。お寝坊さんの幸太郎をわざわざ起こしてあげたというのに」


 ふん、と栄達は気持ち悪い感じで言ってくる。部屋の時計を見ると確かに起床時間だ。何なら過ぎている。


「さっさと起きて準備しなよ。朝食なくなっちゃうよ」


「……バイキングだろ。なくなるかよ」


 とはいえ、せっかくの豪華な朝食だしゆっくり食べたい。そのためにもここは一つ、起きるとしますか。

 そう思い、体を起こそうとしたそのとき、全身に痛みが走った。


「う、ぎゃああああああああああああああああああああああ!!!!」



 * * *



「だらしないね、筋肉痛とは」


 全身に痛みが走る中、何とか着替えて食堂に向かう。朝食は時間内であれば好きに食べていいとのことで、そこまで生徒で溢れかえってはいない。

 朝食メニューは洋食と和食が用意されているが、どれも美味しそうだ。


「……昨日のスキーか」


 とはいえ、これほどとは。

 自分の運動不足を実感してしまう。


「スキーは普段使わない筋肉も使うからね。よほど運動慣れしてないと筋肉痛は避けれないかも。ま、僕は大丈夫なのだが」


「お前はほぼしてないからだろ」


 なに自慢げな顔してんだよ。


 言いながら、俺は焼き上がったトーストを皿に乗せる。さらにオムレツやらソーセージやら、適当におかずも拝借する。


 席に戻って少しすると栄達も戻ってくる。白米を始め、唐揚げやら焼きそばやらいろいろと取ってきていた。これ朝ご飯だよね?


「よくそんな食えるな」


「せっかくだし」


 とてもじゃないけど食える気がしねえよ。それをひょいひょいと食べ始める栄達を横目に、俺はトーストをかじる。


「おはよ、こーくん」


「おっはー」


 たまたま同じ時間だったらしい、結と倉瀬がトレイに朝食を乗せてやって来た。

 四人がけのテーブルだったので二人も座ることに。俺と栄達が向かい合って座っていたので、結が俺の隣、倉瀬が栄達の隣に座る。


「小樽、それ全部食べんの?」


「なんならおかわりを視野に入れてるよ」


「すご。これは負けられん」


 無理だよ。どう頑張っても勝てないよ。


「昨日はよく眠れた?」


 倉瀬もそれなりに食べる方なのか、トレイには結構な量が乗っている。それに比べて、結はサラダを中心にそこまでの量ではない。


「あ、ああ、まあな。ただ、筋肉痛が酷くて……」


 結の顔を見たとき、ふと夢の光景を思い出してしまう。どうにもリアルな感じの夢だったからか、記憶に鮮明に残ってやがる。


「どうしたの? どうして目を逸らすのかな?」


 恥ずかしさのあまり、結を直視できずに視線を逸らすと結がそのことに突っかかってきた。

 都合悪いときには敏感なんだから。


「別に、なんでもないよ」


 言いながら、誤魔化すようにジュースを飲む。


「いや、さっきの感じは何か後ろめたいことがあるときのこーくんだった」


 鋭い。

 しかし、昨晩に結のちょっと……というかそこそこえっちな夢を見てしまったので恥ずかしくて直視できないんです。とは言えないし。


 適当に誤魔化すか。


「いや、ジャージ似合ってるなと思って」


 面倒なときはとりあえず褒めておけば流されるのが結だ。新調したジャージを褒めるときが来たようだ。


「いや、昨日も着てたじゃん。そんな今更のタイミングで褒められましても。こーくんは何かを誤魔化そうとするとき、いつもわたしを褒めるからなあ」


「……そんなこと、ないと思うけど」


 ご存知だったのか。

 恐ろしいなあ、幼馴染みって。


「ま、言いたくないならいいんだけど」


「うす」


「さっきわたしを見てるときに鼻の下が伸びてたから、多分えっちな理由だろうし」


「ははは、ご冗談を」


「……」


「……本当に?」


「ほんとだよ」


 人間ってそんな分かりやすく鼻の下伸びる? あれは漫画とかアニメでの過剰表現みたいなもんでしょ?

 そう思っていたけど、まさか実際に鼻の下伸びるなんて。気をつけなければ。


「月島嬢は筋肉痛大丈夫なのかい?」


 栄達にしてはナイスなタイミングで話を振ってきた。


「んー、実はちょっと痛いんだよね」


「私には聞かないのかしらん?」


「倉瀬の辞書に筋肉痛という言葉は載ってないでしょ」


「それは私がバカだと言いたいのかね?」


「ほ、褒めたのだよ」


 倉瀬が指をポキポキと鳴らし始めると、栄達が慌ててフォローを入れる。確かに今のは褒めてた。


「こーくんも筋肉痛なんだね?」


「ああ、もうバキバキだよ。ここまで来るのも一苦労だったぜ」


「あはは、お互い普段の運動不足が祟ったね」


「これじゃ今日はスキー出来そうにないな」


「だね。わたしはクラスの筋肉痛女子と集まって女子会開くんだ」


「……へえ。ちゃんとスキー出来なくてもエンジョイするんだな」


「昨日と違って、今日はこういう人多いだろうから。旅館内も含めて自由時間なんだよ」


 そうなのか。

 ていうか、こうなること予想してるならそもそもスキーというプログラムは間違いだろ。

 まあ、したい奴はしたらいいのスタンスな分、まだマシなんだけど。


「こーくんはどうするの?」


「俺は……」


 あ。

 思い出した。


 今日は白河とスキーをしようという約束をしていたんだ。しかし、とてもじゃないがスキーができるコンディションではない。

 連絡しとかないと。


「俺は……なにかな?」


「……どうしようかね」


 本当に、どうしたものか。

 考えると、自然と唸り声が出てしまった。

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