第139話 【Xmas編⑦】葛藤と回答


 月島結は俺のことをずっと好きでいてくれた。


 幼い頃にずっと一緒にいて、お互いに好きな気持ちがあったから将来結婚しようという約束まで交わした。


 けれど、結は親の都合で引っ越し、それからは疎遠となって関わることがなくなった。


 忘れることはなかった。

 でも、会わないことでその中にある気持ちは冷静さを持って冷めていく。

 もう二度と会うこともないだろうし、覚えておく方がおかしい。そう思うことにした。


 高校生になって、二年に進級したときに彼女と再会した。

 驚いた。


 子供の頃よりもずっと可愛くなっていたのに、それでもそいつが月島結だと分かるくらいに変わらないものがあったから。


 結は、俺と交わした約束を忘れることなく、そのためにあらゆる努力をしていた。

 確実に、今の俺とは釣り合わないくらいの女の子だ。それでも、結の気持ちは変わっていなくて、その気持ちを言葉にして伝えてくれた。


 そのときの俺は宮乃湊との間に起こった問題を引きずっていたこともあり、今の自分では結の隣には立てないと思った。


 だから、その告白の答えを保留した。


 俺が彼女の好意を受け入れるだけで、全ては丸く収まる。それは分かっていた。


 宮乃湊と再会し、引きずっていた問題を解決したとき、俺は結との関係に答えが出せると思った。


 だけど。

 素直に結の好意を受け入れることができなかった。自分の中にあった問題はなくなったはずなのに。


 どうしてだろうと思った。

 でも、そんなの答えは明らかだ。俺の中にまた別の問題が生まれていたのだ。


 その問題が形となったのは、多分つい最近のことだと思う。分かっていたかもしれない。でもそれと向き合おうとしていなかったのだから、それは同じことだ。


 きっかけは橘涼凪ちゃんが俺に告白してくれたときだ。

 彼女の告白に対して、俺の中に浮かんだもの。そこに彼女の姿はなくて、だからその告白を断った。


 胸を痛めながら、俺は彼女を振ったのだ。


 そのとき、俺の中に浮かんだのは結の顔。そしてもう一人。


 白河明日香の顔だった。


 好きなのかどうかは分からなかった。

 けれど、少なくとも他の人とは違う特別な存在であることは確かだ。


 結との関係に答えを出せなかったのは、俺の中に白河に対するもやもやがあったから。


 そのもやもやを心の中に置いたまま付き合うわけにはいかなかった。でも、その問題と向き合うのを恐れて、先延ばしにした。


 その結果が、今、この瞬間だ。


「……え、と」


 どうしてこう、俺は言葉を詰まらせてしまうのだ。咄嗟であろうと、何か一言でも発するべきなのに。


 白河が俺のことを好き?

 その好きは友達としてではなく?

 さすがに、この状況で紛らわしいことは言わないだろう。

 俺が答えた瞬間に冗談でしたと笑うような様子もない。白河もそこまで空気の読めないやつじゃない。


 だったら、それはつまり本気ということだ。


 白河明日香は、八神幸太郎のことが好き。


「なにか言いなさいよ」


 俺が黙り込んでいると、白河がバツが悪そうに唇を尖らせる。そりゃそうだ。告白した相手が黙ってるんだから言葉の催促くらいしたくなる。


「あ、いや、その、驚いて」


「……そんなに驚いた?」


「ああ。だって、そんな素振り見せなかったろ」


「そうかしらね……私としてはそこそこ頑張っていたんだけど。コータローは鈍ちんだから気づかなかったのね」


 そうなのか?

 思い返してみるが、いつもの白河の姿しか思い浮かばない。強いて挙げるのであれば、文化祭のミスコン優勝時の指名を俺にしたことか?


「でも、いつから?」


「……そんなこと聞かないでよ」


 恥ずかしいのか、白河はふいっと顔を背ける。しかし、考えている様子は伺えるところ答えてはくれるようだ。


「最初はただの同級生だった。同じ部活の、男子生徒。三年生が引退してから、ちょっとずつ関わるようになって、恋愛としてではなかったけれど、そのときにはもう特別ではあったのかも」


 くすりと笑いながら白河は言った。


「二年生になって、いろんなことを一緒に経験して……そうね、いつの間にか好きになってた」


「……」


 面と向かって、目を見て好きと言われると何だかこっ恥ずかしい。しかし、その反面なにかが心の奥底から湧き上がるような感覚がある。


 多分、喜びなんだと思う。


「白河が俺のことをそう言ってくれるのは素直に嬉しいよ。俺も、多分白河のことを特別に思ってたから」


 その言葉に嘘はない。

 けれど、と俺は言葉を続ける。言わなければならないことがあるから。


「……」


 なのに、言葉が出ない。

 頭の中にはあるのに、それが言葉にならない。そんな俺を見て、白河はおかしそうに笑う。


「結でしょ?」


 考えていることが透けて見えたように、白河は俺の思考を言い当てる。


 結が俺に好意を持ってくれているのは当然白河だって知っている。俺と結を見ていれば、俺の中に結を思う気持ちがあることも分かってしまうということだろうか。


「ああ」


「結と付き合ってるの?」


 単刀直入な質問に俺は一瞬だけたじろいだ。しかし、その後にかぶりを振って否定する。


「なら、まだ私にもチャンスはあるってことね」


「チャンス?」


 俺がオウム返しをすると、白河は不敵な笑みを浮かべる。そこにあるのは自信というか、覚悟のようなものだった。


「そうよ。コータローはまだ誰とも付き合っていない。だったら、そこに私が入ることだってまだできるってことでしょ?」


「そりゃ、そう……なのか?」


 なんか自分でも分からなくなってきた。突然のことで、頭が既にパンクして上手く回らない。


「言っておくけど、私諦めるつもりないから。今、コータローの中に私という選択肢がなくても、振り向かせてみせる」


 白河は数歩歩いて距離を詰める。俺の襟を持って、力づくで顔を寄せられた。

 目の前に白河の顔があって、俺はつい顔を背けようとしてしまう。が、白河がそれを許さない。


「答えは今すぐには聞かないわ。ちゃんと考えて、聞かせて。結と私、どっちを選ぶのか」


 にんまりと笑う白河。

 これまで彼女が見せたどの笑顔よりも素直で、嬉しそうで、楽しそうで、そして、可愛い笑顔だった。



 * * *



「……てことがあってさ」


 クリスマスの翌日。

 俺は小樽栄達と宮乃湊を呼び出した。頭の中を整理するという意味でも、相談に乗ってもらおうと思ったのだ。


 栄達はおまけだが。


「そっかそっか」


「驚かないんだな?」


 宮乃がどこか満足げに頷いているのが気になった。


「んー、まあ今だから言うけど、ぼくは白河さんの相談に乗ったりしてたからね。無事告白できたようで何よりだよって安心が勝つ」


「今回のクリスマスデートも、一枚噛んでたのか?」


「一枚どころじゃないかもね」


 言いながら、宮乃はくくっと笑う。


「お前も驚かないな」


 黙々とドーナツを頬張る栄達にも聞く。


「まあ、僕も知ってたからね」


「お前もサポーターだったのか!?」


「いや、さすがにそれはないでしょ。あの白河が僕に助言を求めてくると思う?」


「思わねえな」


 自分で言って凹むなよ。

 栄達は仕切り直すようにゲフンゲフンと咳払いをする。


「僕は二人と付き合いも長いからね。二人の雰囲気が変わってることには気づくよ。白河の様子的にそろそろなのかとも思っていたし」


 意外とそういうところ見てるんだな、こいつ。それに関しては素直に感心だ。


「それで、どうするつもりなんだい? 女の子をいつまでも待たせるのはどうかと思うけれど」


 宮乃の言うことはもっともだ。

 結だけでなく白河も関わってきた以上は今までのようにゆっくりと考えている時間はない。


 ちゃんと考えて、答えを出さないと。できるだけ早く。


 でも。

 出せるのだろうか。これまでグダグダと悩み続けていた俺に。


「とはいえね」


 俺が悩んでいることを察してか、宮乃が言葉を続ける。


「今すぐに答えを出せって言ってるわけじゃないんだよ。ちゃんと悩んで、しっかり考えて、後悔のないように選んでほしい」


「……宮乃」


 彼女の顔はいつになく真剣だ。いつもはふざけたことしか言わないが、いざってときには頼りになるんだ。


「答えを出す、という意味では、そういうのにうってつけの、ちょうどいいイベントがあるんじゃないか?」


「なんだよ?」


 宮乃の考えを察してか、栄達も納得したような顔をしているので、どうやらピンときてないのは俺だけらしい。


「三学期には一大イベントが待ってるだろ?」


 そこまで言われて、俺はようやく宮乃が言いたいことを理解する。

 三学期にある学校行事の中でも一大イベントと称されるのは『修学旅行』だろう。


「昔から、恋愛沙汰は校舎裏か修学旅行でって言葉があるくらいだからね」


「聞いたことねえよ、そんなの」


「ナナプリ界隈では有名なセリフぞ」


 漫画のセリフだった。

 そりゃ知らないわけだよ。


「ナナプリの主人公、爽太郎は修学旅行で五人からのアプローチに決着をつけたんだ」


「爽太郎モテモテだな」


 五人て。

 俺ならもう悩むのもバカバカしくなって投げ出しそうだ。二人でさえ、逃げ出したくなるのだから。


 でも。

 そうだな。


 いつまでも待たせるわけにはいかない。

 しかし、一朝一夕で答えを出せる問題でもない。


 否、出してはいけない気がする。


 ならば修学旅行を決着の期限とするのは悪くない提案なのかもしれない。待たせるにも、考えるにも、そしてなにより答えを出す場所としても相応しい。


「……決めたよ。俺は、修学旅行でこの問題に決着をつける」


「お、いいねカッコいい」


「いいぞー主人公ー」


「うるせえ」


 二人が楽しそうに茶化してくる。

 クリスマスを経て、再び形を変えた俺達の関係。その関係にさらなる発展が起こるのはもう少しだけ先のことになりそうだ。


「とりあえず、二人にはそう伝えないとね」


「え゛」


「そりゃそうだよ。逃げ場無くしとかないと八神は逃げるかもしれないじゃないか。ヘタレだし」


 言い返せない。

 でも、何様なんだよみたいな感じにならないかな。


「これは見物だね。期限を前にして、ヒロイン二人の八神争奪戦が幕を開けるわけだ」


「白河の出方に注目ってところかな。月島嬢は月島嬢でこれまで以上のアプローチになるのか否か」


 他人事だと思って楽しみやがって。

 けど。

 まあなんだ。相談してよかったとは思った。考えと方向性が纏まったから。


 しかしあれだな。

 月島結と白河明日香。校内でも屈指の人気女子二人のうちから一人を選べという問題だが、ほんと何様なんだよって感じだ。


 とりあえず、刺されないようにだけは気をつけよう。

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