第128話 寒い日には


「今日ね、うちの両親遅くなるんだって」


 放課後。

 帰り支度をしていたところ、俺の方に寄ってきた結が上機嫌にそう言った。


「はあ。それで?」


「女の子が遅い時間まで家に一人なんて危ないと思わない? この物騒な世の中にだよ?」


「カギかけてれば問題ないだろ」


「甘いよこーくん! 甘すぎるよ! そんな感じで油断してると、窓から侵入されたりするんだよ?」


 ぐっと拳を握りながら熱弁する結。身を乗り出すように接近してくる。顔が近い。


「窓閉めたらよくない?」


「甘いよこーくん! 甘すぎるよ! そんな甘いこと考えてるから、あらゆる隙間からの侵入を許してしまうんだよ!」


 侵入者はゴキブリか何かかな?

 ここまで言っても折れないときは、何か別のところに本題があるということだ。


 一度は離れていたといっても、何だかんだと春からずっと一緒にいるので彼女の考えていることは何となく分かる。


「……それで、つまり?」


「今日ね、一緒にご飯食べよ?」


「それくらいなら最初からそう言えばいいのに。随分遠回りな提案だったな」


「乙女心的には、こーくんの方から誘ってほしかったんだよ?」


 それを乙女心と言うのかは分からんが、だとしたら俺はまだまだ乙女心を理解できそうにない。


「どっか食べに行くか?」


「幸子さんは?」


「今週は忙しいとかで出勤が早いから晩飯は適当に済ますと思うぞ」


 そう言うと、結は「そかそか」とふんふん頷く。


「ディナーデートも悪くないけど、冬だしお鍋でも食べようよ」


「あー、寒いもんな。採用」


「やたー!」


 ひゃっふー! と分かりやすく喜んで見せる結。鍋一つでここまで喜べる彼女が羨ましい。


 とはいえ。

 冬と言えば鍋。これに尽きる。

 しかし、寒くなってからというもの、母さんがやけに忙しそうなのでさすがに一人で鍋は味気ないのでまだ食べてないのだ。


 実に悪くない提案だった。


「じゃあ、帰りにお買い物して帰ろう」


「そうだな」


 というわけで俺達は学校を出る。

 外に出るとやはり寒い。吹く風は冷たいし、そもそも外の空気が冷たい。息が白く見えるようになり、それを見るとよりいっそう寒く感じる。


「寒いの?」


「そりゃ寒いよ。お前は寒くないのか?」


 駅までの道を歩きながら、そんなことを話す。


「寒いよ」


 なんだったんだよ、さっきの質問。

 不毛が過ぎるだろ。


「手繋ぐ?」


「なんでそうなる」


「だってほら、寒いし」


「人に見られるだろ。恥ずかしいわ」


「その言い方、逆に言えば人に見られさえしなければオッケーという意味に聞こえるんだけど。おうちに帰ったら繋いでくれる?」


「おうちに帰ったら暖房があるからな。人肌の出る幕はない」


「うう、こーくんがいじわるだよ」


 これを意地悪だと言われるのはどうかと思う。

 女の子と手を繋ぐとか恥ずかしくて出来る気がしない。つまり公共の場で堂々とイチャイチャするカップルは尊敬するに値する。


 電車に乗り、家の近くのスーパーに寄って帰る。駅チカの商店街にあるスーパーで、この辺の住人はだいたいここで買い物を済ませると言われている。


「何のお鍋がいい?」


「普通のでいいんじゃねえの?」


「その普通を聞いてるんだよ」


「ああね。家によって違うとかあるもんな。そういうことなら月島家の鍋を振る舞ってくれ。特に嫌いなものとかないから」


 家族以外と鍋をするときの楽しみの一つでもある。普段とは違うものを食べるというのは、新しい発見にも繋がるので料理のレパートリーが増えるのだ。


「そういうことなら、特製お鍋をご馳走するね。腕によりをかけて作っちゃう」


 鼻歌混じりに材料をカゴに入れていく結をぼーっと眺める。これまであんまりなかったけど、こうして制服着て晩飯の買い物するってなんか悪くないな。

 何がいいのかと言われると言葉にできないけれど。なんかいいなって思う。

 制服にエプロンと同じくらいいいなって思う。


 買い物を済ませると我が家に帰宅する。一度帰るのかと思ったが、結もそのまま一緒にやって来た。


 つまり、制服エプロンのお出ましである。


 どうして結のエプロンがうちにあるのかと言うと、いつの間にか常備されていたのだ。いつ置いたのかは俺も知らない。


 ゆっくりと買い物なり何なりをしていたので、家に帰ったのは夕方六時を回っていた。


 ちょうど仕事に向かおうとしていた母さんとすれ違う。


「あら、結ちゃん。今日はどうしたの?」


「両親がいないので、こーくんとご飯食べようと思って。お鍋です」


 言いながら結は買ってきた買い物袋を見せつける。俺は両手に、結は一つの袋を持っていたのだが、改めて考えると何買ったらこんな量になるんだよ。


「あら、いいわね。そういうことなら仕事遅出にすればよかったわ。私も結ちゃんのご飯食べたーい」


「さっさと行かないと遅れるぞ」


「うるさいわね。言われなくても行くわよ。じゃあね、結ちゃん。今度は私にも作ってね」


 ごゆっくりーと言いながら母さんは家を出て行った。


「それじゃ、準備を始めちゃいますね」


 なんで敬語?


 俺も手伝おうとしたが、座って待ってろと言われたので俺はリビングで落ち着かないままテレビを観る。

 内容は入ってこない。ちらちらとキッチンに立つ結を横目で見ているからだ。


 これまでも何度かあったことだが、結が俺の家のキッチンに立っている姿はやっぱり見慣れない。

 最近はいろいろあって結の見方も変わってきているので、以前に比べてよりドキドキしてしまう。


 結局、落ち着かないまま時間だけが経過し、気づけば鍋は完成していた。

 テーブルに運ばれてきた鍋の中身は肉や白菜、もやしといったオーソドックスなものばかりだった。


「普通だな」


「え、だめだった?」


「いやそんなことないぞ。何なら安心して食えるからありがたい」


 まあ。

 一緒に買い物してたんだからある程度の食材は把握していたのだけれど。ただ、途中で別行動になったのでそのときに何をしていたんだってところだ。


「あんだけ荷物あったのに、意外と少ないのな」


「鍋の具材だけじゃないからね」


「ん?」


 いただきまーす、と手を合わせた結は白菜をひょいぱくと口に運びながら言う。


「デザートと、あとは明日のお昼のお弁当を作ろうと思って」


「弁当?」


 デザートも気になったが、俺はその後の弁当のワードが引っかかった。


「うん。おそろいのお弁当持っていって、明日は教室で一緒にランチしようね?」


「……ああ」


 断っても無駄だろうし、俺は覇気のない返事をした。

 考えていることはだいたい予想がつく。周りにちやほやとされたいのだろう。


 そして、実際にお揃いの弁当を見れば周りは騒ぎ立てるだろうし、俺はそれが嫌なのだけれど。


 材料も買ってあるし、何を言っても無駄なのは明らかだ。俺は諦めるように鍋をつついた。

 

「……うま」

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