第127話 湊と明日香
「あれ、小樽くんはいないの?」
ある日の放課後。
宮乃湊は映像研究部の部室を訪れていた。彼女は正式な部員ではないが、文化祭辺りからちらちらと顔を出すようになって、今では気兼ねなく部室に入っている。
「残念ね、私一人よ。この時間に来てないってことは今日は多分来ないわよ」
小樽栄達を探していた湊だったが、部室には同じクラスの白河明日香しかいなかった。
「そっか。ゲームで分からないところがあったから聞きたかったんだけど」
「電話とかで聞けばいいじゃない」
「まあ、そうなんだけど。まどろっこしいし、直接聞こうかなって思ってね。八神ならともかく、小樽くんは部室にいると思ったんだけど」
湊の言う八神というのはもちろん八神幸太郎のことだ。彼と湊は中学のときのクラスメイトであり、親友だった。
いろいろなことがあって疎遠になっていたが、湊の転校をきっかけに再び関わることになった。
そんな湊の発言の中の『八神』というワードに明日香はぴくりと反応した。
映研の事情を湊が知る由はない。ただ一つ分かるのは、彼女の纏う雰囲気がピリッとしたことくらいだ。
「ま、いないなら仕方ないか。夜にでも電話で聞くとするよ」
「それが賢明ね」
拗ねた子供のようにブツブツと吐き捨てるように明日香が言う。やや不機嫌なように見えるが、多分これは八つ当たりというやつだろう。
イライラしてるんだなあ、と湊は彼女を見ながら思う。
今では教室で明日香といることは多く、最も仲のいい相手と言ってもいいくらいだ。周りからも美男美女カップルと言われている。その度に「誰が男だ」とツッコミを入れなければならないのは少ししんどい。
彼女の近くにいるからこそ、分かることがある。そして、それが今現在の彼女の不機嫌に繋がることも分かっている。
「……なによ。帰らないの?」
目的の栄達がいないことが分かったにも関わらず、部室から出ていかない湊に明日香が言う。
「うん、まあ、ね。ダメだった?」
明日香はさっきまで漫画を読んでいたようだが、ページを捲る手が止まっている。
ふと、邪魔になっていないかということは気になった。
「そんなんじゃないけど」
邪魔に思っているような口ぶりだが、彼女が自分に対して気を遣うようなことをしないことを湊はもう知っている。
だから、わざわざ彼女の言葉の裏側を探るようなことはしない。言ったことをそのまま鵜呑みにするようにしている。
「白河さんはまだ帰らないの?」
「……そうね。誰も来ないし、帰ろうかしら」
「誰も、ね」
小さく言って、湊はくくっと笑う。そんな湊を見た明日香は不服そうに唇を尖らせる。
「何か言いたげね?」
「んー、まあそうだね。そういうことだし、これからちょっと寄り道でもしない?」
「……なんでよ」
「たまにはぼくともガールズトークしようよ。もうすぐクリスマスなんだし、恋バナとかに花咲かせちゃおうよ」
湊の言わんとすることを理解したのか、明日香はぐぬぬと表情を歪ませる。
湊はその場の空気を読むことに長けている。それは彼女の観察眼の鋭さや人との距離感の取り方の上手さが為せる技なのだと思う。
つまり、宮乃湊は人の思っていることを察するのが得意なのだ。
そして。
白河明日香は湊と関わる中でそのことを嫌というほど思い知らされた。だからこそ、彼女の発言が何を意味しているのか、理解するのに時間はかからなかったのだろう。
「……それはもう脅しじゃないかしらね」
含みのある明日香の言葉を肯定と捉えた湊はにこりと笑う。明日香の帰宅の準備を待ち、二人で部室を出る。そして、学校の近くの喫茶店に入った。
「コーヒーのホット。砂糖は大丈夫です」
「……」
「白河さんは?」
「……オレンジジュース」
何故か悔しそうな顔をしながら明日香はオレンジジュースを頼む。人の思考に敏感な湊だが、気にしないことには鈍感だ。
明日香の表情の意図が分からずに不思議そうな顔をしている。
そんな顔も束の間、湊の顔はいつになく真剣なものになる。いつものようなからかい混じりではなく、本心で話そうという彼女の意思が伺える。
「白河さんはクリスマスに予定とかあるの?」
「あると思う?」
宮乃の質問に明日香はつまらなそうに答える。
「白河さん人気だし、男子からお誘い受けててもおかしくないと思って」
「……見ていたの?」
「この前、たまたまね」
屈託のない笑みを浮かべる湊。
明日香はそれを見てガックリと肩を落とす。
「もちろん断ったわよ」
「文化祭の後くらいの時期は噂のこともあってみんな静かだったのにね。あれから結構経つし、クリスマスも近いってことでみんな再始動って感じだよね」
文化祭の噂というのは、明日香がミスコン優勝を果たし、その特権で後夜祭のフォークダンスの相手に幸太郎を選んだことにより生まれたものだ。
その後しばらくは静かだったが、あまりにも何もないからか所詮は噂だったという結論に至り、最近は再び明日香へのアプローチが増えている。
「迷惑な話だけれどね」
「心に決めた人がいるもんね?」
「……何が言いたいのよ? さっきからやけに遠回りじゃない」
「早々に本題に入るのもどうかと思ってたんだけど、そっちの方がお好み?」
「そうね。なんかばかにされてるような気分になるもの」
「そんなつもりはないんだけど」
言いながら、湊はくくっと笑う。
「なら単刀直入に聞くけど、八神とはこのままでいいのかい?」
好きだという気持ちが自分の中にあって、でも他の懸念事項が邪魔をして気持ちを伝えられない辛さを湊は知っている。
だからこそ、今の白河明日香が陥っている葛藤もよく分かる。
湊は明日香の背中を押そうと考えている。
「でも、コータローには結が」
「それでいいの?」
言い訳を吐く明日香の言葉を遮るように湊が言うと、明日香は口を噤む。
「好きなんだろ?」
「……」
否定はしない。
その沈黙は肯定の意味がある。
以前までの明日香ならば、ここですぐさま否定を入れていただろう。そうしないということは、彼女の気持ちも少しずつ変わっているということだ。
「確かに月島さんは手強いし、このまま何もしなかったら二人は確実に上手くいく」
結が幸太郎を好きなのは明らかだし、幸太郎の方もそれを満更でもないように思っている。彼の心は確実に結の方に向いている。
「そう、ね」
「今ならまだ間に合うんだよ。そしてぼくは、白河さんなら十分に勝機があると思ってる」
「あんたはどういう立ち位置なのよ? 結の敵になりたいの?」
明日香と結は仲がいい。部室でも楽しそうに話しているし、休日に出掛けることもあるらしい。
二人が仲良くなればなるほど、同じ人を好きになることに後ろめたさを感じるようになっている。
そんな後ろめたさとは裏腹に、着々と幸太郎に心を惹かれているのも事実だ。
そんな問題を前にして、明日香は自分がどうするべきか分からなくなっている。
「勘違いしないでね。ぼくは月島さんのことだって好きだし、八神には幸せになって欲しいと心から思っている。でも、同じように白河さんを応援する気持ちだってある」
だからね、と湊は言葉を続ける。
「ぼくは、白河さんの味方になりたいんだ」
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