第35話 【体育祭編⑤】最終局面の裏側で
体育祭も残すところ、あとは目玉競技である紅白対抗リレーのみとなった。
クラスから一人選出された代表の生徒が紅白に分かれてバトンを繋ぐ。いわば各クラスからトップの成績を持つ生徒が集まるのでオールスターゲームといっても過言ではない。
当然、そんな選ばれし者のみが参加できる競技に俺が選ばれるはずもなく、実行委員の仕事も片付けた俺の体育祭は実質終わったようなものだった。
最後くらいはクラスのところに戻ろうかと思い、盛り上がる生徒の後ろをほそぼそと歩いていると見覚えのある生徒の顔を見かける。
白河明日香だ。
同じ実行委員ということを差し引いても、今日はよく彼女を目にした。そういう日なのかもしれない。
どんな日だよ。
「……」
声をかけようかと思ったが、知らない人と一緒にいたから声をかけるのを躊躇った。
体操着を着ていないのでうちの学校の生徒ではない。体育祭の間は自由開放されているらしいから、彼女らも他校の女子と見て間違いない。
黒髪のショートと、長い茶髪のギャルっぽい人。見た目は白河や俺と変わらないくらいだ。
連れて行かれるように影の方へ向かっているので、友達か何かと推測するが。
白河の横顔が少し気になった。
あいつは普段俺達の前ではあまりプラスの感情を表に出そうとしない。というのは、別に無愛想というわけではなく、愛想を振り撒いていないだけという意味だが。
もちろん笑うときは笑うし喜ぶ顔を見ることもある。でもそういう顔よりはネガティブな顔の方が見る機会は多い。
例えば面倒くさそうな顔とか嫌そうな顔とか。わがまま故に、そっち側の表情を表に出すことの方が目立つのだろう。
そんな中でも、滅多に見ない、いやもしかすると見たことがないくらいの顔をしていた。
何だろう、苦いものを口にした時のような顔というか。つまり嫌がっていることは表情から伺えた。
本来ならあまりよくないんだろうけど、ちょっと見に行ってみるか。
グラウンドがリレーの最終局面で盛り上がる中、俺は静かな校舎裏へと足を運ぶ。
校舎裏ってところがもうベタだよな。
俺は影に隠れて白河達の様子を伺う。
「あんた、随分男共にちやほやされてるみたいじゃない」
「いいわよねえ、何もしなくても男が構ってくれるお姫様は」
うわあ、分かりやすい妬みだ。
漫画でしか見たことないような女子同士のいざこざに俺は言葉を失う。
「それに何さ、さっきの媚びたような猫被り。高校デビューってやつ?」
「……別にそんなんじゃ、ないわよ」
白河は眉をしかめる。
その表情だけで彼女が迷惑がっていることは明らかだった。
二人は白河のことを知っている口ぶりだ。この学校のではない制服を着ていること、それから高校デビューというワードから中学時代のお知り合いということが何となく分かる。
「にこにこへらへら、男子に笑いかけてたじゃない。あれ彼氏?」
「違うわ」
「好きとか?」
白河はかぶりを振る。
それを見た茶髪の女が分かりやすく溜め息をつく。
「つまり媚びてたってわけじゃない。あんたみたいな容姿の子がにこにこ話しかけてきたら、そりゃ嬉しいでしょうね」
「……」
「中学の時みたいに、もっと目立たないように過ごせばいいのに。それにさっきのチアリーダーとか、ウケたわ」
これは、よく分からんけどよくない展開だな。ここで話す以前に何があったのかは知らないが、ただの八つ当たり的なことしか繰り広げられていない。
それに白河は何故か言い返していない。いつもの感じならあの程度の発言は一瞬で切り捨てるだろうに。
言い返せない理由があるのか?
だから、いいようにサンドバッグにされている。あれはさぞかしキツいだろうな。終わりが見えないし。
多分そろそろリレーが終わるし、そうなれば閉会式があって実行委員は後片付けがある。
さっき俺も助けてもらったし、ここは一つ助け舟でも出してやるか。
余計なことしなくてよかったのに! とか言われそうなものだが。
「何してんだ?」
俺は物陰から顔を出して、三人に声をかける。二人の女子は俺をウザったそうに睨みつけ、白河は意外にも表情を明るくした。
よほど困っていたようだ。
「なにあんた」
「関係ない奴は帰ってよ」
「いや、そう言われましても。そいつ、一応俺の連れだし」
言いながら、俺は白河を指差す。これくらいしたら普通引き下がるだろ。なんだよ、女子怖えな。
こんな展開想定してなかったぞ。
「この子の彼氏?」
「チガイマス」
「じゃあ関係ないね」
なんでこいつら彼氏彼女みたいなことでしか関係語れないの? 女子は恋愛脳とか言うけど、それどころじゃねえぞ。
「白河も嫌がってるみたいだし」
俺が言うと、茶髪の女は威圧的な視線を白河に向ける。なにあれ怖い。
「嫌がってんの?」
「……」
それに対して白河は答えない。答えられない。いつものように言い返してくれれば楽なのに。
「私ら普通に話してるだけだし」
「校舎裏に呼び出して?」
ああもう。
あんまり事を荒立てたくはなかったけど、このままじゃ埒が明かない。ちょっとだけ噛み付いてみるか。
「あんまり人に聞かれたくない話だからね」
「ああ、そっか。そりゃ妬み嫉みをぶつけるところは見られたくないか。醜いったらないもんな」
「はあ?」
「だって格好悪くない? 自分よりも容姿なり実力なりが優れている相手に理不尽な理由で難癖つけて。ただ自分の鬱憤晴らすためだけに人に迷惑かける行為が、醜い以外にどう見えるんだよ?」
「なにお前、ちょっとキモくない?」
「ほんと。地味でキモいくせに可愛い女の子の前だからって調子乗ってる」
「お前みたいな奴はどんだけ頑張ってもモブ止まりだよ。ヒーローにはなれないから勘違いしないでね」
ぷふふー、と二人して笑う。
程度の低い悪態しかつけない人達だな。別に間違っていないことを言われても何も思わないしな。
「……」
俺が冷めた目で見ていると二人はまた不機嫌そうに俺を睨む。十分に二人のヘイトはこちらに向いた。
もう白河のことなど視界に入ってすらいないだろう。
「なに? 言い返せなくて悔しいの?」
「あ、いや。人が容姿の悪口言うときって図星つかれて何も言い返せない時だって聞いたことあるけど本当なんだなって、ちょっと感心してて」
あはは、と俺は笑いながら言う。この感じの言い方は多分腹立つだろうな。
だからやってるんだけど。
「はあ、キモ!」
「ほんと、マジキモい」
「キモい以外に言うことないのかよ。相手を傷つけたいならもうちょい言葉選んだ方がいいよ。その程度の言葉だと子供の悪口程度にしか思わないし」
俺の言葉に二人は完全に怒ってらっしゃる。さすがに殴りかかってきたりはしないよな?
二人がかりで来られたら俺何もできないよ? いやそもそも女の子に手を上げるつもりはないんだけど。
「言われて傷つくなら、悪口なんか言わない方がいいよ。どうせ数的優位に立てなきゃ何もできないんだから、なら最初からやらなきゃいいんだ」
もう面倒くさいだろ?
ここまで屁理屈並べるような相手には何言っても無駄なんだから呆れて帰れよ。俺もそろそろ面倒なんだよ。
「……もういいわ。キモい男は話も通じないみたいだし、帰ろ」
「うん。マジでキモい」
さっきからキモいキモい言い過ぎじゃないですかね? いや、別にそれくらいなら言われても何とも思わないのは事実だけど。
二人は俺を睨みつけながら校舎裏から立ち去っていった。ああ、ようやく終わった。
疲れた。
「……随分達者な口だったわね」
「助けてやったのに、開口一番それかよ。お前こそ、今日は随分静かだったな」
俺が言い返すと、白河はむうっと険しい顔をして黙り込む。本当に何かあったのか。
「あの人達は苦手なの。中学の頃から何かとつっかかってきて」
「そんな恨まれるようなことしたの? あれ結構な恨み方だったように見えるけど」
「何もしてないわよ。ただ、男の人を振っただけ」
何もしてなくはないですね。女の人のいざこざって結局恋愛関係から始まるんだね。
「つまり?」
「あの茶髪の子が好きだった男子が私に告白してきたの。別に興味もなかったから振るのは当然でしょ? そしたら、それから何かにかこつけてつっかかってくるようになったわ」
本当に最初から最後まで悪役のテンプレみたいなキャラクターだったな。あそこまでテンプレに忠実なのも珍しい。
「おモテになる人は悩みも多いんですね」
「からかわないで」
本当にウンザリした調子で白河は言う。
言いながら、白河は俺の方に歩いてくる。そしてそのまま横切ってグラウンドの方へ向かう。
気づけば大盛りあがりの声援も落ち着いていた。
「戻るわよ。そろそろ閉会式でしょ」
「ああ、そうだな」
女子っていろいろ大変なんだな。その点男ってああいうネチネチしたのないから助かった。
しかし。
この後まだ後片付けが残っていると思うと憂鬱は晴れないな。ここまできたし最後まで仕事は全うさせてもらいますけど。
そんなことを思いながら肩を落として歩く俺の数歩前にいる白河がふと足を止める。
それに気づいた俺も、ぶつかるわけにはいかずに一度止まった。
少しの間、俯いて止まったままの白河だったが、意を決したようにこちらを振り返った。
「な、なに?」
俺何か怒られるようなことしたかな? いや、今回に限って言えば感謝されるようなことはあっても怒られるような展開はないはず。
「……助けてくれて、ありがとね」
ぼそっと、盛り上がる声援があればそれにかき消されているくらいの小さな声で、白河はその白い頬を紅くして言う。
予想外の素直なお礼に俺は思わず拍子抜けな顔をしてしまった。
そして。
すぐに前を向いて早足に歩き始めた。その姿を見て、俺の口角は自然と上がってしまう。
「もっと早めに言ってくれてもよかったのに」
「うっさい!」
そして。
そんなことがあって、体育祭は間もなく終わりを迎える。
残された後片付けを憂鬱に思いながらも、不思議と嫌な気持ちはなかった。
こういう日も、たまにはいいか。
そう思えた。
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