第36話 【体育祭編⑥】二人きりの体育倉庫


 体育祭は幕を閉じた。

 祭りの終わりはどこか寂しく、賑やかだったグラウンド、徐々に祭りの形を失っていくその光景に、少しばかりでも名残惜しさを感じるのは何だかんだ言いながら、俺も祭りの空気にあてられていたからだろう。


「この後片付けさえなければ良い思い出で終わったってのに」


 体育祭実行委員は後片付けの役目が残されていた。一日中騒いでいたというのに、どこにそんな元気が残っているのか疑問に思えるくらいに皆は元気だ。

 見習って片付けに勤しんでいるが、俺の体力も残すところあと僅か。誰か「ここは俺に任せて先に行け!」とか言ってくれねえかなら。

 迷わず先に行く自信がある。


「ん?」


 なんてことを考えていると白河の姿を見かける。当然俺と同じように働かされているわけだが、本当に今日はよく見かけるな。


「大丈夫か?」


 重たそうな荷物をえっちらおっちら運んでいたので俺は声をかける。こちらに気づいた白河はハッとしてから慌てて表情を取り繕う。


「な、なに?」


「いや何か大変そうだから手伝おうかなと思ったんだけど」


「そんなこと言って、サボろうって魂胆でしょ。私にはお見通しよ」


「お前を手伝うんだからサボりにはならんだろ」


 何かいつもと様子がおかしい。言葉にしようとすると難しいが、何というか余所余所しいみたいな。


「とにかく必要ないわ。どうしても手伝いたいなら他の人を呼んできて」


 疲れているのか、白河の頬は少し赤かった。どんだけ力入れてたんだよ、とツッコみたくなる。


「二度手間じゃねえか」


 やれやれ、と溜め息をつきながら俺は白河が持ってた荷物を半分持つ。抵抗されかけたが、持ってしまえばそれまでだ。

 そうなると白河は何も言ってこない。


「これどこに持ってくの? 体育倉庫?」


 箱の中には体育祭で使用された様々な小物が入っていた。


「旧倉庫よ」


「どこよそれ」


 旧倉庫なんて聞いたことない。ていうか、そんなもんうちの学校にあったのか。

 なんか魔法の道具とか封印されてそうだな。


「この辺のものは年に一度この時期にしか使わないから体育倉庫には直さないらしいわ。ちょっと遠いから覚悟なさい」


「マジかよ」


「何なら今からでも手伝うのを止めてもいいのよ?」


「お前どんだけ俺に手伝ってほしくないんだよ。なに、俺なんかした? 今のうちに謝っといた方がいいの?」


「別に、そんなんじゃないわよ」


 しかし。

 そう言う白河にいつもの迫力はなく、どこかバツが悪そうに呟いている。

 怒ってる感じじゃないな。それだけで安心だけど、じゃあ何で余所余所しいのか謎のままだ。


「まあいいや。さっさと運んで終わらそうぜ。その旧倉庫ってのはどこにあるんだ?」


「こっちよ」


 白河に案内されて旧倉庫へと向かう。体育倉庫に比べて少し距離がある。その間、特に会話をするわけでもなく、ただ俺は少し前を歩く白河に黙ってついて行くだけだった。


 なんか、話しかけんなオーラのようなものを感じる気がする。


 そして暫く歩くと旧倉庫とやらが見えてきた。校舎裏の人の気配を感じない場所にある。

 こんなところにこんなものがあったとは驚いた。

 俺はまだまだこの学校を知り尽くしてはいないようだ。


「さっさと置いて戻りましょ」


「ああ」


 倉庫の中に入ると中は暗かった。入口付近の電気をつけても薄暗い。電球一つだけではこの中を完全に照らせていない。

 けれど、こういう場所特有の埃臭さとかはない。汚れとかも目立たないし定期的に掃除してるのだろう。


「この辺に置いときゃいいか」


 適当に空いてるスペースに箱を置いて、さっさと戻ろうと扉に手をかける。

 が。


 ガタガタ。


「ん?」


 ガタガタガタガタ。


「どうしたのよ?」


 俺の後に荷物を置いた白河が後ろまでやって来て不思議そうに覗き込んでくる。


「開かない」


「はあ?」


 そりゃそういう反応になるよな。俺だってそう言いたいもの。でもどれだけ力を入れても扉は開かない。


「……嘘でしょ」


「いやマジだよ。疑うなら自分でやってみろよ」


 俺は扉の前を譲る。

 白河は複雑な表情のまま扉を開けようと手を掛けて力を込める。が、やはりガタガタと音が鳴るだけで扉は開かない。


「ほんとだ」


「古いから立て付けが悪くなってんのかな。それか外から何かが引っ掛かったか」


「……なんでそんな冷静でいられるのよ? 私達ここに閉じ込められたのよ?」


 不安そうな顔をする白河。まあ確かに暗いし怖いし不安になるのは分かるけど。


「少ししたらおかしいと思った誰かが見に来てくれるだろ」


「そうかしら?」


「幸いなのは白河が一緒なことだな。俺一人だと誰も気づいてくれないだろうから」


「……悲しくなる理由で私を励まさないでよ。反論する気失せるじゃない」


 言いながら、白河は大きな溜め息をつく。


「まあ、コータローがそこまで言うなら少し待ってみましょうか」


「そうそう。それに片付けサボれるしな。これは正当な理由だから怒られることもない」


「……ちゃっかりしてるわね」


 呆れながら、白河は積まれたマットに座る。俺がその横に座ると、白河はハッとして俺との距離を開けようと少しズレる。


「え、なに?」


「別に何でもないわ」


 澄ました顔をしているが、何もなければ避けられたりしないと思うんだけど。


「何かあるなら言えよ」


「何もないって言ってるでしょ」


 そう言って、白河は体をよじる。何かを気にしているようだが、深く追求して変な空気になっても困るし、もういいか。


 暫く沈黙が続いたが、少し気まずい。何か話した方がいいよな。何か話せよという視線をさっきから向けられているし。


「さっきの中学の友達が言ってたけど、その猫被りは高校デビューなの?」


「話題を振ってきたことに関しては言うことないけど内容がデリカシーなさすぎないかしら。あと彼女達は友達じゃないわ」


「さいですか」


「まあ、別にいいわ。時間潰しに話してあげる」


 白河は呆れるように溜め息をつく。


「どうも」


 どこか遠いところを見ながら、白河はゆっくりと話し始めた。まるで、そこに当時の景色でも広がっているように、複雑な表情で。

 

「中学の頃は今みたいに愛想振りまくようなことはせず、自由に過ごしていた。だからもちろん、それを良く思わない生徒もいたの」


「それが、その友達……クラスメイト?」


「まあ、その中の一人よ。女子からは比較的嫌われてたわね。けれど男子はそうじゃない。冷たくあしらっても話しかけてきた。それはもう、好意的にね」


 白河は容姿が良い。

 中学生のときなんて可愛い女の子は正義だし、お近づきになりたいと思うのは至極当然のことだ。


 冷たい態度を取られても、いつかその氷のような壁が溶けてなくなると、それを溶かすのは自分なんだと信じてしつこく話しかける。だから、相手がどう思っているかなんて考えない。

 自己陶酔というのかは分からないけど、あれもある種の中二病みたいなものだ。


「話しかけられる程度ならまだよかったの。中には告白してくる男子もいたわけ。さっき言った、彼女の問題もそこに繋がるんだけど」


「ちょっと優しくしたりするだけで勘違いとかしちゃうからなー」


「別に優しくなんてしてないわよ。せいぜい挨拶を返したり、お礼を言ったり、その程度」


 甘いですよ白河さん。

 男子というのは消しゴムを貸してと言われるだけでも気になるし、笑顔で挨拶されれば好きになる。あろうことか話しかけられれば勘違いしちゃう愚かな生き物なのです。


「当然興味はないからお断りする。そうすると、私のことをよく思わない女子はより一層、そうでなかった子も段々と、私のことを避けるようになった」


「中学生の時って些細なきっかけでイジメに発展したりするしな」


「別にイジメとかではなかったけどね。ただ、それはそれで面倒だと思ったのよね。別に周りにどうこう思われるのは構わないけど、敵を作って悪いことはあっても良いことは決してない」


 実体験だからこそ言えることか。

 いや、実体験をしていなくても容易に想像できるその結論に、信憑性を付け足した。


「だから、高校では笑顔でいることにした。誰に対しても優しく笑顔で、皆の理想の姿を演じることにしたの。確かに疲れるけど、中学の時に比べると幾分と過ごしやすくなった」


「じゃあこの学校に中学の同級生っていないの?」


「いないわ。わざわざ誰も通ってない学校にしたからね」


「大幕って結構人気のある学校だと思ったけど、そうでもないのか」


「それは知らないわ。ただ、遠い学校に通おうなんて、よほどの理由がない限り思わないでしょ」


「それは一理ある」


 俺なら絶対に無理だ。そもそも俺が大幕を選んだ理由は家から程よく近くそれなりの偏差値だったから。

 結果、この学校を選んでよかったと今は思っている。


「まあ、そんな感じよ。そんなことがあったから、私は学校では猫を被っているの。幻滅した?」


「いや、納得した」


 俺が即答すると、予想外の返事だったのか白河は驚いた顔をした。


「なんだよ」


 どんな返事を想像していたのか知らないけど、そんな顔をされるのは心外だった。


「いや、別に」


「幻滅って、そもそも俺はお前に幻想抱いたりしてないからがっかりもないだろ」


 俺の前では笑顔の仮面は被らない。

 これは先代の映研部長であった薫子先輩が残してくれたものだ。彼女が白河の本心に気づき、触れ、そして心を開かせた。


「ま、確かにね。いや、でもコータローならそんなことを言ってくれると思っていたわよ」


「その割には、驚いたリアクションだったように見えたが?」


「予想通りの返事過ぎて驚いたのよ」


 そう言いながら、白河は笑った。

 作られた、仮面のものではない彼女の心の底からの笑顔。

 そうである確信はないけれど、何となくそんな気がした。それはあるいは、俺の無意識の願望だったのかもしれないが。


 そんな話をして時間を潰してみたが助けは一向に来なかった。どうやら俺の予想は外れたらしい。


「全然誰も来ないじゃない!」


「そう言われましても。怒るなら自分のカリスマ性を怒れよ」


「理不尽な言い訳してんじゃないわよ! ああ、もう! こうなったら無理やりにでも開けてやる!」


 月を見た狼男のような豹変っぷりに俺は少し驚く。怖いとしてもここまで本気で出ようとしなくても。

 もうすぐ助けが来ると思うんだけどなあ。


「落ち着けよ。もうちょい待ったら助けにきてくれるって」


「もうちょい待ってられないのよ」


 扉に手を掛けてガタガタと動かす白河の横顔は何だか焦っているように見えた。

 何かに追われているというか、何かを我慢しているというか……。


 あ。


「トイレか?」


「あんたもうちょっとデリカシーって言葉勉強した方がいいんじゃないかしら!?」


 顔を赤くして俺に噛み付いてくる。どうやら当たりらしい。

 しかしそこまで言われるとは、俺って本当にデリカシーないのかな?


「あんまり激しくすると危な――」


 力づくで扉を開けようと激しくガタガタと動かしていると、横にあった木の棒が揺れ、そしてバランスを崩して倒れかかってくる。


 その先には白河がいる。

 まだ気づいていない白河に声をかけても間に合わないかもしれない。あれを上から浴びれば軽症じゃ済まないかもしれない。


 仕方ない。

 俺は立ち上がり、白河の背中の服を掴む。とやかく言ってられない状況だ、手段を選んでいる場合じゃない。


「や、きゃっ」


 突然後ろに引っ張られたことで驚きの声を漏らした白河は、何とか木の棒の直撃を避ける。


 が。

 勢いよく後ろに倒れてきた白河を庇おうとした俺とぶつかり、そのままマットに倒れ込んでしまう。

 ここにマットがあったのは幸いか。


「……」


「……」


 俺は目を疑った。

 気づけば、俺は白河に覆いかぶさるように倒れ込んでいた。彼女の驚いた顔がすぐ近くにある。

 あと少し、顔を動かせば唇と唇が触れてしまうくらいに。


 服は無理やり引っ張ったせいかはだけていて、わずかに肌色が露出している。

 改めて見ると、本当に綺麗な容姿をしていると思う。

 きっと誰もが彼女に視線を奪われる。そう思えるほどに美しい。


「ちょ、ちょっと、コータロー……」


 白河は頬を紅く染めながら身を捩る。もぞもぞと動いた結果、俺の足とか手に彼女の肌が触れ、その柔らかさを直に感じる。


「ご、ごめん」


 ハッとして、俺は我に返る。

 薄暗い部屋で二人きり。目の前には可愛い女の子。そんな非現実的な雰囲気が俺の思考を止めていた。

 雰囲気に流されるって、こういうことを言うのかもしれない。


 俺は謝りながら白河の上から退こうとした。

 その時だ。


 ガタガタ。ガタン。


 倉庫の扉が外から開かれた。どうやら最悪のタイミングで助けが来たようだ。


「大丈夫!? こーくん! 明日香ちゃん!?」


 しかも一番来ちゃいけない人物が助けに来た。なんでお前がいるんだよ。


 扉が開いた瞬間、白河は俺を押し退けて立ち上がり、そのままこの場から逃げ出すように去って行った。


 いろいろと思うところがあるのは分かるけど、すごい誤解を生むような形で出ていくの止めてもらえませんかね?


 ほら。

 俺の幼馴染みがめちゃくちゃ怖い顔で俺を睨んでるじゃないか。


「いや、これはいろいろと事情があってだな……」


 どうやら中々部室に来ない俺と白河を心配した結と栄達が探しに来てくれたようだ。

 俺達が旧倉庫に向かったという情報を得た二人はここまで来て、そして最悪のタイミングで扉を開いた。


 その後、誤解を解くのに苦労した。

 そんな終わり方をした、高校二年の体育祭。

 まあ、確かに。


 終わってみれば、ほどよい思い出として俺の記憶に刻まれていた。

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