第19話 【幸せ結び編③】新鮮な朝
トントントン、と規則的な音が聞こえてくる。これはきっとあれだ、まな板と包丁がぶつかり合う音だ。
我が家でこの音が発生する場合十中八九俺が出している。ましてや朝に聞こえてくるなんてことはここ数年記憶にない。
なんてことを考えながら、俺はゆっくりと目を開く。
「……」
アラームが鳴っていないということは、まだ起きる時間ではないということだ。
しかし。
何となく起きなければいけないような気がしてしまうのは何故だろうか。
俺は体を起こして小さく息を吐く。
「起きるか」
昨日は風呂に入ったあと割とすぐに寝た。
結も体温が下がっていたこともあったのか疲れていたようですぐに眠りについた。もう少し警戒とかした方がいいと思うが。
結はリビングに布団を敷いて寝かせた。さすがに同じ部屋で寝るのはいろいろと良くないので、布団は一応お客様用のものが一つだけあったのでそれを使ったのだ。
「あ、こーくん。おはよう」
寝室というか自室というか、その扉を開いてリビングに出るとキッチンに立っていた結がこちらを振り向く。
昨日は結がいる手前扉を閉めていたが普段はこうして開けている。開けていることに特に理由はないが閉める必要性もないので開けている。強いて理由を上げるなら空気を通している。
「おはよ」
くわ、とこみ上げてくるあくびを見せると結がくすくすと笑う。
「顔洗ってしゃきっとしたら?」
「ああ、そうする」
結の後ろを通り洗面所へと向かう。洗面所はバスルームとトイレのある場所にある。
しゃこしゃこと歯を磨きながらキッチンの結をぼーっと眺めていると、視線に気づいた結が居心地悪そうにこちらを振り返る。
「なんだかすごく見られてる気がするんだけど気のせいかな? 気のせいじゃないね」
「いや、別に深い意味はないんだけど。キッチンに人が立ってる光景が新鮮だなと思って」
「あ、ごめん。勝手に使わない方がよかった? お世話になってるから、せめてご飯くらいは作ろうかと思ったんだけど」
「いや、それは全然大丈夫。むしろありがたいくらいだ」
結は既に制服に着替えていた。
カッターシャツを七部辺りまで捲り、手際よく料理を進める。制服姿でキッチンに立ってるってなんか不思議だけどいいな。何がいいのかは説明できんけど。
「というか、こーくんって意外と早起きさんなんだね」
「いつもはもうちょいゆっくりだぞ。今日は目が覚めたんだ」
「うるさかったかな?」
「うるさいとは思わなかったけど、その音で目が覚めたのは確かだな。悪い意味ではないけどさ」
「悪い意味以外に捉えようあるかな?」
「あるよ。なんか新鮮な生活音に眠気が飛んだんだ」
歯磨きを終えて、自室へと戻る。いつもより二〇分は早いな。ずいぶん余裕のある朝だけど、たまにはこういうのもいいだろう。
制服に着替えて、リビングに戻ると朝食の準備がおおよそ終わっていた。
「こーくんは朝はパンだったよね?」
「ああ」
テーブルにはこんがり焼けた食パン、レタスやプチトマトで彩りをつけた野菜達、そしてケチャップのかかったオムレツ。
真ん中の辺りに切れ目を入れてパックリ割るふわふわのオムレツ。俺にはこれを作る技術はない。
見ただけで分かる。このオムレツが形だけを模したまがい物ではないことは。
「お前、料理できるんだな」
「んー? そうかな。こーくんがそう思ってくれるなら、今まで頑張ってきてよかったよ」
結に言いながら俺は座る。結はにへら、と笑いながら俺の向かいに腰を下ろした。
「どういう意味?」
いただきますと手を合わせてからオムレツに箸を伸ばす。小さく一口サイズに切って、それをそのまま口に運んだ。
「こーくんが言ったんじゃん。料理できる女の子が好きって」
「え、なにそれ。最近? 俺そこまで記憶力落ちたかな」
「違うよ。子供の頃だよ」
「そんな前のことなら覚えてないな」
「ええー自分の言葉には責任持とうよ。まさかとは思うけど、料理できない女の子の方がいいだなんて言わないよね?」
「料理はできるに越したことはない。そういうタイプの男は珍しいと思うよ」
俺が言うと、結はホッと胸を撫で下ろすように息を吐く。そして小さな口でオムレツを咀嚼する。
「子供の頃にこーくんがそう言うから、わたし必死に練習したんだから。手先とか器用じゃなかったから大変だったんだよ」
「でしょうね」
昔の結は細かいことを気にせず細かい作業とかが苦手だった。折り紙とかは上手く折れなかった。
なので、ここまで料理の腕を上げるのにどれだけ努力をしたのかは想像し切れないが、すごく大変だったことだけは分かる。
俺のたった一言、それも覚えていないような何気ない言葉一つに、ここまで真摯に向き合うなんて……なんて素直な女の子なんだ。
「そういうわけだから、こーくんに褒めてもらえてわたしは至極満足なのです」
そんな感じで朝食を済まし、俺と結はいつもより少し早めに家を出た。
いつもは結が俺の家に迎えに来て一緒に登校していた。なのでそこまで変わりはないが、一緒に家を出るという行動一つが追加されるだけで発生する違和感は大きかった。
ちらと横を見ると、いつにも増して上機嫌な結がいた。楽しそうだから良しとしよう。昨日みたいな、凹んだ顔は見たくないからな。
一緒に登校することに、俺達はもちろん周りも慣れてきたのでそこは誰かにツッコまれることはなかった。
さすがに一緒に家を出るところを目撃されていたら俺に明日はなかっただろう。どれだけ否定しても、疑われるに違いない。
一日は何事もなく、何も変わりなく進んでいった。
授業を受け、飯を食い、眠い午後を過ごし、部活に顔を出して帰宅する。
俺と結を見て、白河が一瞬渋い顔をしたけど特に何も言ってはこなかった。彼女は一体何に気づいたのだろうか?
恐ろしい。
そして学校を出て、電車でうちに帰る。駅を出たところで結が思い出したように声を漏らした。
「どうした?」
「思い出した」
「何を?」
「……」
じとーっと目を細めて俺を見てくる結。え、今の流れおかしいところあった? 俺の行動何か変だった?
「何だよ?」
「んーん。こーくんはデリカシーない星人だったのかと思って」
「人のことを変な名前の星人認定するんじゃねえよ。んで、何なんだよ?」
「下着を買おうと思って」
「は?」
思わず聞き返してしまった。
「服はこーくんのを借りればいいんだけど、さすがに下着はどうしようもないしね。せめて一着くらいは買っておこうかと思ったの」
「あー、そういうこと」
それでデリカシーない星人とか言ってたのか。いや分かるか! 会話の流れでそれ読み解ける奴がいたらもうエスパーだよ。
「晩ご飯のお買い物もしたいし、商店街に寄ってもいいかな?」
「俺は帰った方がいいのでは?」
「お荷物持ってくれないと困るよ」
「さいで」
まあ下着買うときは外で待ってればいいだけか。
駅から少し歩いたところに商店街がある。都市部に出来た大型ショッピングモールには負けるが、この辺では一番の品揃えを誇る買い物スポットだ。
主に地元の主婦さんに支えられている。
「商店街で下着なんか買えんのか?」
「買えるよ。ランジェリーショップはないけど、女性用の服屋さんで売ってるの。最近は若者にも見てもらえるように可愛いデザインのものも増えたんだ」
へえ、それは知らなんだ。
当然だけど。俺が女性の下着購入事情知ってたら普通にキモいな。うん、これは知らなくて正常だ。
「ということで先に下着を買いに行くね。荷物になる買い物は後回しにします」
そう提案してきた結に逆らう理由もないのでついて行く。少し歩くとちょっとファンシーな感じの外観の店の前に到着した。
「じゃあ、俺ここで待ってるからさっさと買ってこい」
「ええー! 選んでくれないのー?」
「選ぶわけないだろ! 残念そうな声を出すな!」
「こーくんの趣味嗜好を把握しようと思ったのに。このままだと、こーくんはちょっとエッチな下着が好きだってことになるよ?」
「それとこれとは話が別だろ。こんな店の中に入ってお前の下着を選ぶなんて死んでもごめんだ」
俺はテコでも動かないと言わんばかりに腕を組みその場から動かない。その様子を見てさすがに諦めた結はぶーぶー言いながら店内に消えていく。
スケスケアダルトランジェリーでも選んでやろうか。
…………想像するのは止めておこう。
「……暇だ」
女の子の買い物は長いと聞くが、その辺は俺に気を遣ったのか割と早いうちに結は店から出てきた。
「早かったな。女の買い物はもっと長いもんだと思ってた」
「服を買うならいろいろ悩むけど、下着だけなら可愛いのを選ぶだけだから時間はかからないよ」
「そういうもんか」
そして必要な材料を購入しにスーパーへと向かう。
何が食べたいかとかどういうのが好きかとか、そういうのを相談しながらの買い物はどこか懐かしく、どこか新鮮で、何だか楽しかった。
たまにはこういうのも悪くないなと、そんなことを思った。
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