わたし

タクマヨコイワ

第0話

「北上先生が来るより、和田先生がいるときのほうがいいよね。若くてイケメンだし。」

同じ陸上部に所属している深川夏美は、汗で濡れた乱れ髪をして更衣室で嘆いていた。

北上先生は、学生時代に箱根駅伝の「花の二区」で新記録を出していた。大学二年生の頃にアキレス腱断裂のために、選手生命は断たれてしまった。故障後から教員採用試験に向けて教員免許を取得して、17年前に教師になったそうだ。

「仕方ないよ。強豪校にいたんだもん。」と佐々木麻衣は濡れているTシャツをたたみながら言った。

「また明日ね」「バイバーイ!」と日が暮れた街に自転車をこいでいた。なんだかんだいっても、夏美は体力あるなぁ。


夏至が終わった夏の道を漕いでいた。この暑いのにどうして制服にわざわざ着替えなきゃいけないのかともやもやしながら予備校についた。

予備校は、東鋼駅にあるのでうちの高校から通う生徒はいなかった。高校の前には塾があるのだが、集団授業なので通わなかった。私は、パソコンで機械と顔を合わせて勉強するほうが好きだ。他の人と一緒にやることが好きなら陸上部に入っていないだろう。


二コマ三時間の授業が終わり、持ってきていたプロテインを飲んだ。これは、運動後にプロテインを飲めという北上の指示だ。いつも運動後は飲める気がしなく、時間があいてから飲んでいる。そんな時、アイフォンを開くと父から不在着信が大量に入っていた。どうしたものかと掛けなおしてみると、聞きなれていない口調の声が聞こえた。「お母さん、交通事故にあった。芝浦病院のICUにいる」。まだ何か喋っていたがここから先は覚えていない。


時刻は九時。ICUには家族は一人までしか入れないそうなので、踊り場で父といったん話し合った。どうやら、トラックが左折するときにお母さんが見えなかったらしい。

「命に別状はないが、足を折っている。しばらく入院するそうだ。」そのしばらくがどの期間のことを言っているか不安だった。父は塗装店の自営業をしている。塗装は、建設会社が行うことが多くなってから仕事は減った。そのため、母がコールセンタースタッフのパートに行っていた。あまり裕福ではない家庭の収入の中から、私の進学費用と予備校のお金を稼いでくれていた。「すまないが、しばらく予備校はお休みしてくれ。」お休みという名の事態宣言を父に後悔宣言されてしまった。難関私大であり、駅伝常連校に入るためにはただ勉強をして、走るしかなかった。そのうちの勉強する機会がはく奪されてしまった。


二か月後の秋、修学旅行から帰ってきた麻衣は、やっぱりあの私立大学がいいと決心して帰ってきた。別に大学に訪れたおわけじゃない。初めて乗った新幹線の中から、横目に見たキャンパスが焼き付いて離れないのだ。

あの事故以来、予備校に入っていない。進路指導室にこもって、ひたすら勉強しているだけだ。放課後には皆、家に帰るか部活に行くので進路指導室には誰も来ない。来るとしても、進路指導室の横にある接待室に企業さんとキャリア部長の先生が来るか、三年生が求人票を見に来るぐらいだ。とはいっても、二年生で篭っているのは私ぐらいだ。

練習後の勉強はやはり体にくる。夏美の言っていた通り、副顧問の和田先生しか来ない日がいい。和田先生は運動とは縁のない先生だ。春に異動してきてから、陸部に配属になったらしい。和田先生は陸上については、駅弁ぐらいしか知らないらしく、ただ突っ立ってみてるだけだ。特に何か言うわけでもなく、練習中に来た時に挨拶をするぐらいしか話さない。

そうこうしているうちに八時になり、帰宅するよう先生が言いに来た。その伝言のおかげでチャートはすんなり閉じられた。


私も三年になり、高体連全道が終わった。大会は、800m4位で終わった。弱小校の高校から始めたばかりの女子にはいい成績だろうと自分に言い聞かせた。陸上部を引退してから、勉強の日々のためふっくらした。日に当たることもなく、肌の色は白に塗り替えられた。弁当を食べるときのメンツには「秋田米」と呼ばれるようになった。米と麻衣をかけているらしいが、お米なら何でもよかったのだろう。


母はというと、すっかり元気になっており、入院前よりぴんぴんしている。パートにも復帰して、今度はスーパーで働くそうだ。時給が20円高いらしい。予備校に戻るように勧められたが、拒否し続けた。進路指導室に篭って勉強しているうちに、ひとりで勉強することにすっかり慣れたのだ。それに、わからないところは職員室の先生を捕まえて聞くことができるという裏技も見つけた。そのおかげで、理科基礎科目を高い点数で模試を通り抜けられているので、進学校はそのままで学部を理系に変更した。麻衣は、人工知能に興味を持っていた。母が入院しているときに見たICUにある機械を見てから、機械にはまった。調べているうちに、スマホは完璧にAI音声にゆだねて操作するようになり、AIを学ぶことに考えが変わっていった。


今春、大学に合格した。志望していた学部には落ちてしまったが、併願した文学部チベット学科には合格した。なんとなく併願した学部学科が合格してしまい、ちゃんと選べばよかったと後悔した。


大学に入ってからも、思惑通り陸上をし続けた。そして、予想できない未来の先には、駅伝出場と「チベット僧侶の脳モジュール」という卒業論文が待っていることをまだしらない。


「やっぱり一番頭にいいのはルッコラだよ!」

「いいや!マインドフルネスによるテロメアが一番の要因だね」

今日も研究室では、ディベートが盛んに行われている。

「じゃあ、証明してよ!今からルッコラ買ってくるから!」

夏美は三キロ先のスーパーまで、夏至終わりの夏の夜に駆け抜けていった。

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