子供

虫十無

黄色い傘

 傘が落ちている。いや、置いてあるのかもしれない。落とすにしたってあんなところは通らない。

 黄色い傘だ。子供用かもしれない。折りたたみ傘だが少し小さく見える。子供のものなら余計にあそこは見えないだろう。大きな植木鉢がいくつか並んでいて、その中の右手側、手前から二つ目の後ろ。入り込んで手に取る。大人だと少し入りにくいが子供ならもっとすんなり入れるのかもしれない。そうやって落としたのかもしれない。

 どこに置けばいいだろうか。植木鉢の縁くらいの高さが一番見えやすいだろう。けれど植木鉢の縁は丸くなっていてそこに置いたら落ちてしまうだろう。外側に落ちればまだいいが内側に落ちれば見えにくいうえに土で汚れてしまうだろう。

「拾って」

 声が聞こえる。辺りを見回す。子供の声だ。

「拾って」

 もう一度聞こえる。どこから聞こえるのかはわからない。けれどなんとなく手の中の傘を見る。これが言っているのだとしたら? 拾って、とは。子犬が道端で段ボールに入っているのを思い浮かべる。そこには拾ってくださいと書かれている。この場合の拾って、もそれだろうか。けれど子供用で、きっと誰かの落としものだろう。

「持っていって」

 同じ声。どうして。


 そこからはぼんやりしている。ただ、家に帰ってきて手元を見るとまだあの傘があった。持ってきてしまったのだろう。玄関に置こうとする。手がずっと同じ状態だったのだろう。開くのに苦労する。ようやく置ける。リビングに行く。ぺたぺたぺた。足音がする。裸足の足音。私はまだ靴下をはいているからそんな音がするはずがない。止まる。後ろを振り向く。何もいない。いるわけがない。鍵を差し込むところから鍵を閉めるところまで、視界に誰も入ってこなかった。

 じゃあ、なんの音だ。考えてもわからない。後ろから音がした。玄関までまだ見通せる。何もいない。何かいなければおかしいところに何もいない。それなら。想像を打ち消す。ホラーは苦手だ。幽霊なんていないと思い込まなければ生きていけない。幽霊なんていない。おばけなんてない。リビングの方向に向き直る。歩き出す。ぺたぺた。私の動き方を見ているように足音も動く。足音の歩数が多い。歩幅が小さい、子供だろう。浮かぶのか黄色い傘。持ってきてしまったのが良くなかったのか。


 いつでも足音がする。私について来るように足音がする。外では足音がしないがアスファルトの上を裸足で歩いても足音はしないだろうからどこにでもついてくるのかもしれない。いや、ついてくるのだろう。出先で寄ったトイレ、昼食を取ろうと寄ったファミレス、どこであっても床がすべすべしているところでは足音が聞こえるから。

 家ではいつでも聞こえる。どうしても聞こえる。怖くて眠れなくなった。寝不足で気絶するくらいしかしていない。風呂も怖い。鏡も怖い。けれど水にも鏡にも映ることはない。足音だけで姿はどうやっても見えない。見えなくてよかったのか、それとも見えた方がよかったのか。どちらの方が怖くないだろうか。わからない。今わかるのは現状が怖いということだけ。

 玄関に置いたはずの傘は見当たらなくなっていた。足音はついて来るだけだから必ず後ろにいることに気付いてから玄関を確認したらもう見当たらなかった。もしかして靴箱の中にしまったかとか他の場所に置いたかと思っていろいろなところを探したがどうしても見つからなかった。


 足音はなぜか少し変わった。ぺたぺたと少しだけ湿ったような感じだったのにひたひたと乾いた足音になった。それに前より歩数が少ない。成長したのだろうか。想像してしまう。

 また寝不足だ。なんとなく気絶するタイミングがわかってきた。目が開かなくなっていく。

 ひたり、ひた、ひた、ひたひたひた。

 足音がする。近づいてくる。こんなに近づいてくることはなかった。けれど目は開けられない。隣にくる。どこも動かせない。

 首に何かを感じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

子供 虫十無 @musitomu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説

M

★0 現代ファンタジー 完結済 1話