唐揚げの匂いがする台所と人形のある部屋

矮凹七五

第1話 唐揚げの匂いがする台所と人形のある部屋

 一人の若い女性が道を歩いている。

 ここは郊外の住宅街。似たような家が、いくつも立ち並んでいる。三角屋根の二階建てばかり。瓦の色が異なるだけで、どの家も個性が無い。それに加えて道は十字路ばかり。そのせいで、少しでも油断すると迷ってしまいそうだ。

 彼女はスマホの地図アプリを見ながら、注意深く歩く。

 一陣の風が吹いた。彼女の茶色く染めた長い髪が風になびいた。


 注意深く歩いて行った結果、彼女は白い外壁のマンションの前に辿り着いた。そこそこ背の高いマンションで、見たところ十階まである。

 彼女は敷地内を通り、マンションの中に入っていった。


 彼女は402号室の前にいる。

 ――ここか。例の場所は。

 ドアのそばにあるインターホンのボタンを押した。「ピンポーン」という音が鳴る。

「どちらさまでしょうか」

 インターホンから男性の声が聞こえた。

 彼女は名乗った後、SNS上でやり取りしたのは自分である事と、約束通り、ここに来た事を伝えた。

「少々、お待ちください」

 ドアが開くと、そこから一人の男が出てきた。男は三十代前半くらいで、口のまわりには髭が生えている。

「どうぞ、あがってください」

「それでは、お邪魔します」

 彼女は中に入り、玄関で靴を脱いだ。


 玄関に面した台所には、クーラーボックスがいくつも積まれている。

 彼女はクーラーボックスから漂う匂いを、くんくんと嗅いでいる。

 ――醤油、みりん、酒、にんにく、生姜が混じったような匂い。鳥の唐揚げでも作るのかしら?

 台所を通過し、彼女は男に促されて部屋に入る。


 部屋は八畳程の広さだ。部屋の壁には白い壁紙が貼られており、床にはグレーの絨毯が敷かれている。南方にあるガラス戸には黒いカーテンが掛かっている。

 部屋の中には液晶テレビやテーブル等があり、テーブルの上にはノートパソコンが置いてある。

 普通の部屋のように思えたが、部屋の中には明らかに普通ではないものがある。

 普通ではないもの――それは壁に立てかけてある四体の人形である。

 人形の大きさは、それぞれ少しずつ異なるものの、人間の大人と同じくらい。それぞれ、スーツ姿のOL、セーラー服の女子高生、メイド、女性看護師の姿をしている。

 人形は驚くほど精密に出来ているらしく、とてもリアルだが、一つだけ通常の人間と異なる点がある。

 それは肌が驚くほど白く、赤みが無い事である。

 人形を見た彼女の顔が引きつり、青くなった。

 ――何この人形!? 怖い!

「どうしましたか?」

「……あの四つの人形、やたらとリアルで怖いな、と思いまして」

「あの人形ですか。通販で買ったんですよ。よく出来ているでしょう」

「はあ……」

「さあ、どうぞお座りになってください」

 彼女は男に促されてその場に正座した。

「例の件ですよね」

「はい、楽に死なせてもらえるんですよね」

「もちろんです」

 例の件――SNSでの約束の事である。彼女はSNS上で「楽に死ぬ方法、あります。詳しい事を知りたければ俺に相談を」という投稿を見つけた。

 彼女には悩み事がある。それは仕事の事である。一月あたり三桁に達する程の残業をさせられる上、毎日のように上司に叱られる。それなのに、会社を辞めようとしても、辞めさせてもらえない。

 最近、その悩み事をより辛く感じさせるような出来事が起きた。

 失恋である。彼女の恋人が浮気したのだ。それが原因で喧嘩して二人は別れた。

 彼女のストレスは倍増した。

 ――死にたい。

 そんな時に見つけたのが、例のSNSの投稿。彼女は男とSNSでやり取りして、今日の約束に漕ぎ着けた。


 男は彼女をじろじろと見ている。その視線は上下を往復している。

「あの……楽に死ぬ方法って、どういう方法でしょうか?」

「ああ、その事ですか。今、見せてやるよ!」

 男は、頭の鉢に巻いていたタオルを外すと、口を塞ぐように彼女の頭にタオルを巻きつけて結んだ。

「――!!」

 男は彼女を押し倒し、彼女の腹の上に馬乗りになった。

「ん~! ん~ん~!」

 彼女は口を塞がれているので、思うように声を出す事が出来ない。

 男は彼女のブラウスの襟を掴み、思い切り引っ張った。ブラウスのボタンが、いくつも弾け飛んだ。



 ここは郊外の住宅街にある一戸建ての家。この家に住む中年女性が、浮かない顔をしながら部屋を掃除している。

 部屋は彼女の部屋ではなく、娘の部屋である。

 ――娘は今日も帰ってこない。

 娘が会社に行ったきり帰ってこない。いなくなってから、かなりの日数が経過している。行方不明者届はすでに提出済み。

 娘の机を掃除していると、そこの本棚にあるクリアファイルに目が留まった。

 彼女は何気なくクリアファイルを手に取った。クリアファイルの中には紙が入っている。彼女はその中にある紙のうち、一枚を取り出した。

 紙にはSNSのアカウント名やパスワード等が書かれていた。

 このアカウントは彼女が知らないものである。

 彼女はスマホを取り出して、SNSにアクセスした。娘のアカウントから投稿を辿っていく。ある投稿が目に入ると、彼女は目を大きく開いて愕然とした表情になった。

「楽に死ぬ方法、あります。詳しい事を知りたければ俺に相談を」

「詳しく教えていただけないでしょうか」

 ――娘のSNS上でのやり取りだ。彼女はすぐさま警察に連絡した。



 一人のスラックス姿の若い女性が道を歩いている。髪は黒々としたショートカットで、目つきは鋭い。凛とした雰囲気を漂わせている。

 彼女は白い外壁のマンションに辿り着くと、そのまま敷地内を通過してマンションの中に入っていった。

「ここね」

 402号室に着いた彼女は、扉のそばにあるインターホンを押した。

「どちらさまでしょうか」

 インターホンから声が聞こえると、彼女はSNSでのやり取りの事を話し、約束通り、ここに来た事を伝えた。

 ドアが開き、そこから一人の男が出てきた。

「どうぞ、あがってください」

「お邪魔します」

 彼女は中に入り、玄関で靴を脱いだ。


 二人は唐揚げのような匂いがする台所を通過した。

 男に促された彼女は、八畳程の広さの部屋に入った。

 彼女の視界に五体の人形が入ってきた。

 彼女は驚いたような表情になったが、すぐさま腑に落ちたかのように元の表情に戻った。

「さあ、どうぞお座りになってください」

「立ち話で結構です」

「はあ……。ところで、あなたも例の件でここに来たんですよね」

「ええ」

 彼女はブレザーの裏側にあるポケットに手を伸ばし、そこから黒くて四角いものを取り出した。

「げ!?」

 男の顔が青ざめた。

「警察よ。貴方を殺人容疑で逮捕します」

「さ、殺人容疑って何を根拠に……」

「見ればわかるじゃない。あそこの人形、全部死体でしょ?」

 彼女は部屋の壁に立てかけてある五体の人形を顎で指した。

「あれは通販で買った人形ですよ」

「とぼけても無駄よ。調べればすぐにわかるわ」

「くっ!」

 男はズボンのポケットからバタフライナイフを取り出し、開いて刃を露出させた。そのままナイフを彼女目掛けて突き出す。

 彼女は男の攻撃をひらりと躱すと、ナイフを持っている方の男の腕を掴み、ひねりながら肩に背負い込む。

「ぐっ!」

 男の手からナイフがこぼれ落ちたが、彼女はその勢いのまま、男の背中を床に叩きつけた。一本背負いが見事に決まった。

 彼女はポケットから手錠を取り出し、男の手首にかけた。


 警察は被害者の母親からの通報を受け、被害者と男のSNSでのやり取りを知った。

「私に任せてください」

 その時に動いたのが、先程の女性刑事である。彼女はSNSで自殺志願者のふりをして、男とやり取りして、居場所を突き止めた。所謂おとり捜査である。

 SNSの運営とプロバイダに情報開示請求をしても、居場所がわかるかもしれないが、月単位の時間を要するので、現実的とは言えない。

 警察は男の家宅捜査を行った。その結果、被害者の死体がで別々に保管されている事がわかった。

 この事を男に伝えると、男は「自分が犯して殺害した」と自白した。

 男は死体の内部の殆ど――肉、内臓、骨の大部分――を取り出し、その代わりに詰め物を入れた。すなわち、剥製にしたのである。

 取り出した肉、内臓、骨の大部分は、クーラーボックスの中に保管されていた。臭いをごまかすためか、みりんと酒、生姜、にんにく混じりの醤油に漬けられていた。

 被害者の剥製を作る――何故、男がそのような手の込んだ事をしたのか、警察内外で議論が巻き起こったが、その疑問が解決するまで時間はかからなかった。

 被害者はいずれも、並以上の美貌を持っていた。

 鑑識が剥製を調べたところ、下半身から男の精液が検出された。

 男は被害者を剥製にし、ラブドールとして扱っていた。この事は男の供述からも裏付けられた。

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