第4話 高綱、貞操の危機?
四郎は少し頰を引攣らせたが、そこはぐっと堪え、堤の盃にトクトクと酒を注いだ。
「さぁさぁ、もっといかれませ。はい、一気、一気、一気、一気!」
何やら威勢の良い掛け声をかけて手を叩く。
「いやいや、これは強い酒。チビチビとゆっくり楽しまねばもったいない」
「まぁ、そんな男気のないことを!では見ていて下さいませ」
そう言って、四郎は持参したお銚子に自らの口をつけて飲もうとする。慌てたのは太郎だった。
「こ、これ、お高殿!はしたのうございますぞ!」
お前が酔い潰れてどうするんだ、この間抜け!
そんな厳しい目を送るが、四郎はニヤッと、いや、ニコッと笑ってお銚子の酒をグビグビと呑むと堤の肩にしなだれかかりながら、お銚子の口を堤に押し付け、残りを全て飲み干させた。
カランとお銚子が倒れる。
「ふあぁ、こりゃ、いかん。まことお高は強いのぅ。愛いヤツだ。さて、では早速」
言って堤信遠は四郎の肩に手をかけ、着ていた単を剥がしにかかった。四郎は顔を青ざめて後ろに飛び退さる。
「まぁ、嫌ですわ。殿ったらそう急かずとも夜はまだまだ長うございますのに。ほれ、誰かもっと酒をお持ちして!」
だが、堤信遠は真っ赤な顔で四郎に摑みかかると、バッと勢いよく単を剥ぎ取った。息を呑む太郎。四郎は帯の内に隠しておいた鎧通しがずり落ちるのを隠し押さえるだけで精一杯だった。
今か!
太郎と四郎が目を合わせた瞬間、堤信遠が歓声を上げた。
「おお!そなたやはり男であったか。うむ、さすがは山木殿!我が好みを熟知しておられる」
「はぁ?」
「ええっ?」
太郎と四郎は揃って素っ頓狂な声を上げる。
「うむうむ、この骨付き、肉付き。素晴らしい。よく鍛えておるな。だがまだ若い。肌がピチピチとして張りがあってスベスベ。触り心地がまことに良いのぅ」
そう言って四郎の身体を撫で回す堤信遠。
ひぃぃぃぃ!!」
四郎の悲鳴が邸中に響き渡った。でも警護の者どころか下女すら出てこない。
もしかしたら普段からこんな愚行が為されているので、屋敷の者達は、見ぬ、聞かぬを徹底しているのかもしれない。それを幸いとみるか不幸とみるかは立場によるが、何にしても四郎にとっては鳥肌ものの体験だったろうことは容易に想像がつく。堤信遠はうっとりとした目で四郎に微笑みかけると、その大柄な体躯を四郎の上へとのしかけた。
「よしよし、怖がることはないぞ。私はこう見えて優しい男なのだ」
万事休す。四郎が目をギュッと瞑って覚悟を決めた時、グゴーと音がした。
堤信遠の動きが止まる。
——今だ。
四郎はズリズリと這いずって堤信遠の魔の手から逃げ仰せる。
振り返って見れば、堤信遠はグーガーと高鼾をかいて眠っていた。
「あの、殿?」
声色を使って堤信遠の顔を見下ろすも、堤が起きる気配はない。
「うーん、どうする?」
太郎に声をかける。
「どうするも何もなぁ」
太郎はため息をついて四郎を見返した。
うーん。二人は胡座をかいて腕を組み、堤信遠の寝顔を眺めながら僅か逡巡する。
「でも、仕方ねぇよな」
二人揃ってそう呟くと立ち上がる。四郎は単を綺麗に着直した。
こういう倒し方って、ひどく申し訳ない気はするんだが、この場合仕方ない。その代わり、堤信遠が実は男色だったってことは俺ら二人だけの内緒にしておくから安心してくれ。あと、噂通りの猛者で、ひどく手こずったって大袈裟に吹聴しとくから、それで許してくれよな」
太郎定綱はそう言って、そっと両の掌を合わせて黙祷した。四郎に堤の首を取るよう命じる。
「え、俺?」
戸惑う四郎に太郎は頷き、
「お前の初陣での手柄だ。早く首を取って布にくるめ。そこの籠に入れてもいい。それから裏庭に戻って甲冑を被ったらすぐに表に出てこい。俺は先に経高の加勢に行ってるからな!」
そう言って、太郎は部屋の中にあった太い長刀を手にり去った。
置いて行かれた四郎は一瞬躊躇したが、兄のやった通りに両の掌を合わせて黙祷し、自分の鎧通しを握り直した。穏やかな堤の寝顔を見ながら、狩りでの作法を思い出す。
うん、喉を突いて一気に仕留めよう。そのままぐるりと刃をめぐらせれば、猪と同じように、いやそれより遥かに容易く首が落ちる筈だ。
よし、いざ!
「南無三!」
言って、鎧通しを握った右手を振り上げた瞬間、
「良い、良いぞ。許す。誠、お高は愛いヤツぞ」
堤がガバッと起き上がる。
「ん?」
「んん?」
堤の目の中には、鎧通しを振りかぶって殺気満々の俺の姿。
「お、おのれ!たばかったか!」
——いや、うん、そうなんだけど。ああ、起きちゃった。
そう思いつつ、何処かホッとする。この堤のおっさんは如何にも強そうだ。豪の者って噂通りなんだろう。それが寝首をかかれたとあっては、きっと死んでも死にきれずに化けて出てくるんじゃないかと、実はそっちの方が四郎は怖かった。
「おまえ、何者!」
大音声に戸がビリビリと震える。
寝起きなのにスゲー迫力。
四郎はスウと軽く息を吸ってからハアアと長く吐き切り、鎧通しをグッと握り直した。足を大きく横に開いて構えて腰を落とす。
「宇多源氏 佐々木流佐々木四郎高綱。清和源氏頼信流源頼朝殿の命により、堤権守信遠殿の首、貰い受ける!」
叫んで堤の脇をするっと走り抜ける。
——え、正面から戦うんじゃないのかって?フザケんなよ。堤のおっさんの身体は縦横とも俺の2倍近くあるんだぜ。それに体重も筋肉量もまるで違う。まともにぶつかって勝てるわきゃねえだろ。それにこっちには短い鎧通ししかない。とにかくあの長くてぶっとい腕に掴まらねぇように逃げて逃げて、隙を見つけて斬りつけて足腰立たねえようにしないと。
すると、
「おい、敵襲だ。捉えろ!」
堤のおっさんが呼ばわった。さっきは出て来なかった男衆がわらわらと出て来る。ヤベッ。こりゃ、とても逃げきれねえ。
その時、館の表の方から声がした。
「堤権守信遠殿の首は、この佐々木兄弟が討ち取ったり!」
太郎だ。
「ほぉ、私の首を。いつの間に私は首を取られたんだろうな?」
野太い声。堤のおっさんがニヤニヤと笑っていやがった。
「いや、それは、これから」
「ほぉ、これから?よし、じゃあ早速やって貰おうじゃないか」
バキバキと指を鳴らして四郎に迫る堤信遠。四郎は覚悟を決めた。
「よし勝負だ、おっさん。俺が勝てばその首貰う。負けたらこの首持ってけ!」
堤信遠はフンと嗤った。
「首だけでなく、その顔も肌も魂も全ていただこう」
オゾゾと鳥肌が立つが仕方ない。どうせ死ぬんだ。あとは知らん。
「ああ、好きなようにしろ。さあ、来い!」
言って四股を踏む。
「気合いだ、気合いだ、気合いだーっ!」
「おお、いい気声だな。相撲か。よし、相手になろう」
堤も腰を落とすと、両膝に両掌を乗せ、ぐわぁっと左脚を大きく横に掲げ、ドォンと地に落とし、次に右脚を四郎の頭より高く掲げてまた地にドォンと落とし、踵を踏み締め、ずりずりと床這いさせて、その両足の太い指をワキワキと芋虫のように動かして、ギッと床の板目を掴むように吸い付かせると、大猪のような勢いで地を蹴って飛んできた。咄嗟に右脇に避ける。堤は勢いのまま部屋の向こうの壁にぶつかって、その壁をぶち壊した。まさに猪突猛進。
四郎は部屋の中を見回した。何かないか。武器か石か。何でもいい。だが、四郎の腿くらいある太い腕が四郎の肩を掴みに来る。腕を取られて、四郎は宙吊りにされた。
「おい、相撲だろう?肌と肌を合わせてぶつかり合わねば相撲と言えまい」
ニヤッと笑って言いやがる。これはいたぶりだ。大人が子供の頭を押さえながら腕を大きく上に掲げて、子供の好きな物をお預けするようなもんだ。くそっ、負けるもんか。
「わかった。肌だな」
言って、四郎はバッと単衣の襟元を大きく開いた。
「やってやろうじゃん、肌と肌を合わせて勝負だ」
「おお、やっとその気になったか」
どの気だよ。突っ込みたいのは抑えて低く低く構えると、四郎は堤の懐に飛び込んで、右腕を堤の首に引っ掛けた。
「殿ぉ、まぁ、素敵な肩に首筋」
女声になったのは無意識だったが成り行きだ。
それから右足をそっと堤の内股に擦り寄らせて巻き付けた。
「それに立派な御御足。お高、押し倒したくなっちゃう」
絡ませた右足の爪先で堤の膝裏を掬い上げ、堤もろとも背中から落ちる。
「うおっ!?」
堤の呻き声がした瞬間、四郎は立ち上がって寝転がる堤の左胸を鎧通しで突いた。
「河津三郎直伝の相撲技だ。体格差で俺を侮ったのが運の尽きだったな」
鎧通しを引き抜くと、今度こそそれで首をぐるっと廻らせる。ゴトンと重い音を立て堤の大きな首が転がり落ちた。
その首を手近にあった籠に入れ、裏庭へと回る。庭の目立たぬ所に置かれていた自分の鎧を見つけると頭から被り、紐を結ぶ間もなく外へと飛び出し、大声をあげた。
「堤権守信遠は討ち取った。間も無く火が付くぞ。死にたくない者はすぐに立ち去れ!」
外では藤太が物陰で馬を引いて待っていた。四郎は天の月を見上げるとそっと礼を言った。
「河津三郎、お蔭で助かったぜ」
河津三郎は北条三郎の供で参加した伊豆近隣の土豪達が催した狩で出逢った男。相撲の名手だった。狩の後の余興の相撲合戦でなかなか勝てない四郎を気の毒に思ったのか、先の足掛け技を伝えてくれたのだ。後に河津掛けと言われる相撲の技だった。だが、その河津三郎は狩の帰り道、逆恨みから殺されてしまった。
それは後に曽我物語に繋がる因縁の話。
四郎は月の中の河津三郎に手を合わせてから籠の中の堤のおっさんの首にも黙祷した。
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