第116話 見習い料理人の合否


「──お待たせしました」



 ガレイトが四人の前に皿を配膳していく。

 その上に乗っているのは、表面にすこし焦げ目の付いたソーセージ。

 皮はほんのすこし破れてはいるものの、そこからは澄んだ肉汁が溢れ出ていた。



「ふむ。見た限りソーセージ……のようだが?」



 皿を見ながらアルブレヒトが口を開く。



「はい。猪王キングボアのソーセージです」


「なるほど。たしかにヴィルヘルムらしくはあるが……すこしインパクトには欠けるな……。本当に、この儂やアクレイドに『今まで食べたどの飯よりもうまい』と感じさせられるのか?」


「もちろんです。魔物に詳しい方が言うには、肉そのものの旨みが……はい?」



 ガレイトが目を丸くして、アルブレヒトの顔を見る。



「なんだ突然。儂の顔に何かついておるのか?」


「あ……あの、申し訳ありません。聞き間違いかとは思うのですが、その……いま、なんとおっしゃって……」


「……なにがだ?」


「も、申し訳ありません。一瞬だけですが、『今まで食べたどの飯よりもうまいと感じさせられる』……と聞こえたような気が……」


「言ったな」


「え? で、ですが、そのようなことは何も──」


「もし仮にこれが儂の口に合わなければ……『うまい』と儂が言わなければ、もちろんおまえは落第となり、その資産・・をすべて差し押さえさせてもらう」


「それについても聞いておりませんが!?」


「なに? それは本当か?」



 アルブレヒトが眉をひそめて、ガレイトに訊き返す。



「はい。陛下は、ご自身が納得されるもの……と。決して、ひと言も、今まで食べたものと比べてとは──」


「はっはっは!!」



 アルブレヒトが屋根の天井に向かって、豪快な笑い声を飛ばす。



「……ガレイトよ。貴様、なかなか面白い冗談を言うようになったな」


「じょ、冗談……ではないのですが……」


「儂が納得するものと言えば、それくらいの物を出してもらわねば困る。……よもや貴様、団を離れたせいで平和ボケ・・・・してしまったのではなかろうな?」


「へ、平和ボケ……」


「なんだ、その反応は。まさか皇の御前に半端な食事を用意した……というわけではあるまいな?」


「そ、そのようなことは決して……! きちんと、私が今できる範囲で精一杯やらせて頂いたものです!」


「そうであろう? ならば案ずることはない」


「それとこれとは……」


「なに、遠慮することはない。ここに……ほれ」



 アルブレヒトはポケットから錠剤の入った瓶を取り出すと、ガレイトに見せた。



「備えはある。おまえはただまっすぐ、いつもどおり・・・・・・儂にぶつかってくるがよい」


「皇……!」


「大丈夫だよ、ガレイトさん」



 ガレイトの後ろに立っていたブリギットが、彼の顔をじっと見つめる。



「大丈夫。今日のガレイトさん、ミスらしいミスはしてないし、たぶん……ううん。絶対、美味しいはずだよ!」


「ブリギットさん……!」


「……でも、やっぱりこのソーセージ。すこしは試食したほうがよかったかもですね」



 ブリギットが皿の上のソーセージを見て、ぽつりとつぶやく。



「ブリギットさん!?」


「……おい、もしかして、試食しとらんのか? これ?」


「そ、それは……」



 ガレイトがそう言って、アルブレヒトから目を逸らす。



「え? は、はい。『お腹を壊すかもしれないから』ってガレイトさんが……」


「ブリギットさん!」


「え? な、なんですか……?」


「貴様……なんということを……」


「へ、陛下! 誤解なさらないでください! きちんと理由はあるのです!」


「……申してみよ」


「実際に肉を入手して、調理法を確立してから今日まであまり時間がなかったのです。その際、万が一腹を下したりしては、約束を反故にしてしまうかもしれない……と、それで……」


「それで?」


「それで……肉自体の量は多かったのですが、実際に肉屋に切り分けてもらった分は本当に必要最低限の量でしたので、試食するとなくなってしまいますし、後で返せというのも──」



 カチャカチャ。

 金属と金属とがこすれ合うような音。

 アルブレヒトの隣ではすでに、アクレイドが出されたソーセージを黙々と食していた。



「アクレイド……おまえ、何ともないのか?」


「陛下……そんな、人の料理を毒みたいな……」



 遠慮がちにツッコむガレイト。

 やがてアクレイドはそれを綺麗に完食すると、懐から白いナプキンを取り出した。



「アクレイド……おまえ、吐くのか?」


「陛下……おやめください……」



 アクレイドは二人を無視し、口元をサッと拭うと、アルブレヒトの顔を見た。



「……悪くはないかと」


「悪くはない?」


「はい。……少なくとも以前のような、口内になんらかの劇薬を塗られたような感覚はありませんでした」


「ふむ……」



 アクレイドにそう言われ、改めて卓上のソーセージを見るアルブレヒト。

 そして、ナイフとフォークを持つと、ゆっくりとソーセージを端から切り始める。

 ナイフが前後するたび、中からじゅわっと肉汁が皿に広がっていく。

 アルブレヒトは切った肉をフォークで刺し、口元まで持っていった。

 ごくり……。

 生唾を飲み込む音。

 アルブレヒトは口を開けると、一口にそれを頬張った。

 もぐ……もぐ……。

 視線をあちこち動かしながら、おそるおそる、確かめるように咀嚼するアルブレヒト。

 やがて──

 ごくん。

 口の中にあったものを、ゆっくりと嚥下した。



「……陛下?」



 前傾姿勢になりながら、その様子を見ていたガレイトがおそるおそる尋ねる。



「たしかに……悪くはない……か」


「え?」


「いや、違うな……その言葉は適切ではない……」



 アルブレヒトは目を閉じると、ゆっくり目を開いてガレイトを見た。



美味い・・・……」


「え?」


「そうか、美味い・・・のだ、これは」


「ほ、本当ですか……!」



 それを聞いたガレイトとブリギットの顔が、パァッと明るくなる。



「すまん。まずいと覚悟をして食べたものが、じつは美味かったので、すこしばかり頭が混乱したようだ」


「え? あ! ……え……っと……! ……え?」



 ガレイトは笑顔のまま、わたわたと手を動かしている。



「な、なんだ。どうかしたのか、ガレイトよ」


「も、申し訳ありません……その、喜んでいいのかわからなくて……」


「おっと、そうだな。儂としたことが、つい微妙な表現をしてしまった。……喜べガレイト。儂はおまえの料理に満足した。……差し押さえはなしだ」



 おお、口を開けるガレイトとブリギット。

 やがてブリギットは、嬉々としてガレイトの正面まで回り込むと、その手を取った。



「やった! やったよ、ガレイトさん! これでお賃金、払わなくていいんだよね?」


「はい! やりましたね! ブリギットさん! これで賃金は払わなくて大丈夫です!」


「……なんて会話だ」



 手を取り合い、その場で小躍りをする二人。

 そしてそれを見て、小さくつぶやくアクレイド。

 アルブレヒトはその様子を尻目に、もう一口ソーセージを頬張った。



「それにしても、見た目こそ普通のソーセージだが……やはり変えてきたか。美味いのには変わりはないが、なんというか……歯ごたえがある。それに、肉汁も……なぜだ?」


「はい。中の肉は、ひき肉ではあるのですが、肉本来の食感を残すため、すこし大きめにカットしたものと、すり潰したしたものとで混ぜ合わせているのです」


「なるほど、大と小を……だから、このようなゴロゴロとした肉の食感と、やわらかいひき肉の食感とを同時に楽しめるのか。……このアイデアはブリギット殿が?」


「あ、いえ、ガレイトさんが……『どうせ一品しか出せないなら、色々な種類のお肉を楽しんだほうがお得なんじゃないか』って……それで……」


「なるほど。ガレイトの要望を、ブリギット殿が形にしたわけか……」


「は、はい……」



 アルブレヒトはそう言って、また一口頬張る。



「……うむ、それにしても、中にスープが入っているのかと錯覚するほどの肉汁の量だな。これもブリギット殿が?」


「はい。ブリギットさんから、焼き方の工程について教えていただきました」


「工程……?」


「はい。最初に強火で加熱し焼き目をつけてから、あとでじっくりと加熱することによって中に肉汁が留まるのです」


「ほう、ということは──」



 アルブレヒトが残ったソーセージをフォークで刺すと、パリッと豪快にかぶりついた。



「口の中いっぱいに芳醇な肉の香りと、肉汁が広がる……。なるほど、こう食べるのだな?」


「はい。……ああ、もちろん中に肉汁を閉じ込めてあるので、ナイフとフォークでも食べられるのですが、一口にがぶりといっても美味しいと思います」


「そして、味も濃くなく薄くなく、丁度いい……下味はしっかりとつけているようだな。何を使ったのだ?」


「ああ、いえ……じつは、味付けは一切行っていません」


「……なんと。それは本当か?」


「はい。じつは試食をしていなかったので、確信はなかったのですが……猪王はその旨味も凄まじいとサキガケさんから聞いていましたので、あえて手を加えるようなことはしませんでした」


「なるほど……多少運任せではあったが、此度はそれが上手く作用したようだな……あと、この柑橘系にも似た爽やかな香りだが、これはやはり……?」


「オイラん家のミカンの味だ! 皇様!」



 顔じゅう肉汁まみれのオレンジが声をあげる。



「……いや、どうやって食べたのだ」


「あはは……お見苦しいところを見せちまってすまね……んだが、気づいたらこうなってただ」



 アクレイドが無言でナプキンを差し出すと、オレンジはそれで顔をぐしぐしと拭った。



「……この酸味と、口の中に残る甘み……これは間違いなく、オイラん家のミカンの味だ。だろ? ガレイトさん?」


「あ、いえ、申し訳ありません……俺自身、試食はしていないので断定はできませんが、おそらくその可能性は高いと思います」


「ふふん」



 オレンジが得意げに鼻を鳴らし、その横でマンダリンがぐしぐしと顔を拭う。



「……ところで、ガレイトよ」



 アルブレヒトがガレイトを見上げて尋ねる。



「はい」


「さきほどブリギット殿が言っていた、一品しか出せない云々については言っていない気がするのだが──」


「え?」


「とにかく、美味かった。……約束通り、儂がせこせこと溜めたポケットマネーで、貴様への支援を行わせてもらう」


「……あの陛下、それについてですが──」


「なんだ。……よもや、断る気ではなかろうな?」


「それは……」


「これは儂と貴様との約束だ。一方的に反故にすることは叶わんぞ」


「……ありがとうございます」


「よい。……それと、アクレイド」


「は、はい」


「……なにか、ガレイトに言っておきたいことなどはないか?」

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