第117話 見習い料理人の在り方


 アルブレヒトの言葉を受け、その場にいる全員が一斉にアクレイドを見る。



「ぼ、僕……ですか?」


「ああ、そうだ。たしか、『悪くはない』としか言っておらんかっただろう。……味の感想とか、そういうのはないのか? 他には何も感じなかったのか?」


「僕は……」



 アクレイドはアルブレヒトを見て、ガレイトを見て──

 マンダリンとオレンジから返ってきた、肉汁まみれのナプキンを見た。



「陛下、あまりそういうのは強要しないほうが……アクレイドも、まんざらではなさそうでしたし、俺もそれがわかっただけで──」



 ガレイトが止めようとしたが、アクレイドは構わず続けた。



「……たしかに、陛下がおっしゃったとおり……美味しかったです」


「え?」


「グロース・アルティヒにも負けないくらい……」


「アクレイド……」


「ガレ……ヴィントナーズ元団長も、この数年、なにもしていなかったわけではない……ということがわかりました。でも……すみません──」



 そう言ってアクレイドは、テーブルに手をついて立ち上がった。



「この料理とは関係ないのですが……僕はまだ、あなたが騎士を辞めたことに納得がいっていません」



 アクレイドがそう切り出すと、ガレイトも姿勢を正して彼と向き合った。



「僕が騎士の道を再び歩み始めたのは、歩むことが出来たのは、皆を……あなたを見返して、認められるためだったのです。なのに、急に料理人なんかになって……挙句の果てに国外へと消えて……」



 いままで抑えていたものが溢れるように、アクレイドの口から言葉がこぼれでる。



「料理人なんか・・・とは……どういうことだ、アクレイド」



 ガレイトは怒るでもなく、責めるでもなく、アクレイドに尋ねる。



「料理人というのは、そもそもが家事使用人だと思っています。……いま僕は寮で暮らしていますが、お爺様の家で暮らしていた時は、料理を作る仕事はすべて使用人がやっていたことです。ブリギットさんには悪いですが、騎士が……ましてや、あなたほどの人が、誉ある騎士団を退団してまでやる事ではありません」


「……なるほど、それがおまえの主張というわけか、アクレイド」


「この席で言うべきではないということも、いま僕が失礼なことを言っているのも重々承知しております。でも……それでも、僕は、あなたに団を辞めてほしくなかった。尊敬する人間として、超えるべき目標として、団に君臨し、団員を導き、民の希望であり続けていてほしかった」



 小刻みに動くアクレイドの瞳。

 それに対してガレイトは、落ち着き払ったように、彼の言葉に耳を傾けている。



「皆が言うのです。『ガレイトは重責から逃げだした臆病者だ』と。……だけど、僕はあなたがそんな人間ではないと知っている」



 アクレイドは微かに震える右手をグッと握り、テーブルの下へ持っていった。



「なぜ──なぜ、団を去ったのですか、ガレイトさん」


「……すまない」


「僕が欲しいのは謝罪じゃない。納得できる理由です」


「アクレイド、おまえは俺の……俺とブリギットさんとで作ったソーセージを食べて何を思った」


「何をって……ただのソーセージで……たしかに、美味しかったですけど……」


「いや、そうじゃない」


「え? ですが──」


「それは、マンダリンさんと、オレンジさんのミカン畑を荒らした、イノシシたちの肉だ」


「……なんですか。もしかして、僕たちは生き物を食べなければ生きていけない、とでも説教するつもりですか?」


「ちがう。料理人とはつまり、他を殺し、他を生かす職業なのだ」


「生かす……?」


「そうだ。おまえが漫然と、日々、口にしている肉や野菜……それらはすべて誰が殺したものであることは……おまえもわかっているだろう?」


「はい……」


「食べられたモノは、食べた者の血肉となり、その者を生かす。この循環が、今日まで、この世界で長く……永く……続けられてきた。だが、その一方で俺たち……いや、おまえたち騎士はどうだ?」


「僕たち……ですか?」


「ああ、騎士は戦争に赴き、敵を殺す。殺したあとは……その者を食うのか?」


「い、いえ……」


「……まぁ、その必要に駆られた場・・・・・・・・・・以外では、基本的には同種の肉などは食わないだろう」



 その言葉を聞いたアクレイドが、口の端を強く噛んだ。



「なら……! ガレイトさんは、騎士が悪戯に、他者の命を奪うだけの存在であると考えているから……そのことに嫌気がさしたから、騎士を辞めたのですか!? そのような理由で──」


「落ち着け、アクレイド。俺が言いたいのはそういうことじゃない」


「じゃあ、どういう……!」


「……騎士も料理人と同じ、他者を殺し、そして他者を生かす者なのだ」


「生かす……?」


「そうだ。騎士は戦地に赴き、敵を討ち、他国の脅威から自国民を守る」


「あ……」


「騎士もまた、料理人と同じように他者を殺し……そして、他者を生かしている。そこにある差など、微々たるものだと思わないか?」


「で、ですが……僕はあくまでヴィルヘルムの騎士として……」


「……そうだな、おまえには打ち明けるか」


「な、何を……?」


「殿下が玉座に着かれてから、この国の在り方が変わっているのは知っているだろう?」


「は、はい。極力、この国は他国との小競り合いなどはしなくなって……」


「そう。国が変われば人も変わる。これからの時代、騎士というものは次第に武力ではなく、象徴のような存在になっていく。そうなってしまえば、俺という武力は……いわば切れすぎる剣なのだ。武力を必要としない時代に、そのような剣は不要……むしろ、国家間に軋みを生みかねん」


「しかし、抑止力という意味での武力は……!」


「いいか、アクレイド。他者の喉元に刃を突き立てることは抑止力とは呼ばない。……それは脅しというのだ」



 ガレイトにそう言われ、アクレイドが口をつぐむ。



「……数年前のあの日、ダグザさんと初めて会ったあの日まで、俺は迷っていたんだ。騎士の在り方について、俺の在り方について。……そして、ダグザさんと出会い、新たな道を見つけた」


「それが料理人だと……」


「そうだ。……何度も言うが、俺は騎士と料理人に違いはないと思っている。そして、未だ料理人と呼ぶには烏滸おこがましいほどに未熟だが、俺は──俺が料理人であることについて誇りに思っている」


「ガレイトさん……」


「そしてアクレイド、おまえは俺に訊いたな。なぜ騎士を辞めたのか、と」



 ガレイトの問いに、アクレイドはまっすぐ彼の目を見返す。



「俺は辞めていない。俺は未だに、自分自身が騎士であると思っている。これまでも、これからも。……たしかに肩書こそ違うかもしれない。しかし、ここは──」



 ドン。

 ガレイトは自身の鳩尾みぞおちよりすこし上、そこを力強く、こぶしで叩いた。



「いつまでも騎士の精神で在り続けている。誰にも恥じることなどはしていないと、俺は胸を張って言えるのだ」

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