第115話 見習い料理人とあらびき
翌朝。
ガレイトとブリギットは、サキガケを王城へ送り届けた後──
ここ、ヴィルヘルム・ナイツ野外訓練場横にある炊事場へとやって来ていた。
周囲を木に囲まれた森の中。
三十人ほど座れる巨大な木製のテーブルに、それがすっぽりと収まるほど大きな屋根。
そこからすこし離れた場所には、レンガ、鉄板、そして鉄網で組まれたコンロがある。
「──来たか、ガレイトよ」
そうガレイトに声をかけたのは、アルブレヒト・フォン・ヴィルヘルム。
ガレイトはすこし驚いたような表情をすると、そのズボンのポケット。
そこにねじ込まれている、白い錠剤の入った瓶を一瞥し、目頭を指で押さえた。
「お、おはよう……ございます……! 陛下……!」
「む? おい、どうかしたのか?」
「いえ、申し訳ありません。ここへ来る前に鼻を打ってしまって……それと、このような朝早くから、お手間を取らせてしまい──」
「よいよい。その辺りの事は気にするな。場所も時間も伝えていなかった儂が悪い。それに最近は、朝起きるのも苦痛ではなくなってきたからな」
そう答えたアルブレヒトの後ろ。
木製のテーブルには、マンダリンとオレンジが椅子に座り、机に突っ伏していた。
「あれ……お二人も……?」
「ああ、儂よりも早く来ておったな。儂が付いた頃には、もうすでにこのような感じだったな」
「もしかして、ここで一晩明かしたのでしょうか……」
「それはわからんが……つまり、それほど、おまえの料理を楽しみにしていたということだろう」
「ぐっ、プレッシャーが……」
「はっはっは! 意図せずおまえを追い込んでしまったようだな!」
「……それで、アクレイドの姿はまだ──」
「ここですよ」
「ぴぎゃあああああああああああああああああああああああ!?」
ブリギットの叫び声が、森中にこだまする。
ガレイトとブリギットの背後。
そこには、すこし汗をかいた薄着のアクレイドが立っていた。
「す、すまない。驚かせてしまったか?」
アクレイドは、ブリギットを気遣うように声をかけた。
「い、いえ……驚いた私のほうが悪いので……」
「そ、そうか……よくわからんが、すまない……」
アクレイドはそう言うと、ブリギットに頭を下げた。
「……おまえは今来たのか?」
「いえ、そこのお二人よりも前に来ていました」
「……陛下はいつから……」
「ふむ、まだ夜が明けきらぬ……空が白み始めたくらいか」
「……本当に一夜、ここですごしたのか? あの二人?」
「はい。前日からいましたね」
ガレイトはそれを聞くと、肩を落として、手で顔を覆った。
「……それを知っているということは、おまえも?」
「はい」
「グロース・アルティヒで飯を食ってから、すぐここへ?」
「ああ、いえ、一旦寮へ戻り、風呂に入って着替えてから、精神統一をしてきました」
「ば、万全だな……」
「ええ、これから
「戦っておまえ……」
「さすがに体調を整えておかないと最悪の場合……と思い、ここで個人訓練を」
「な、なるほど。だからすこし汗ばんでいるのだな。……最悪の場合?」
「……おはようございます、陛下。挨拶が遅れてしまい、申し訳ありません」
アクレイドはすこし横にずれると、アルブレヒトの前で跪いた。
「よい。アクレイド、そこまで畏まるな。……今日は儂と貴様、そしてそこの二人は謂わば運命共同体だ。健やかなときも、腹を下す時も。共に今日という日を乗り越えようではないか」
「は。ありがたきお言葉。このアクレイド、光栄の極みでございます」
ガレイトは二人のやり取りを微妙そうな顔で見送っていた。
「……して、それが……?」
アルブレヒトは、ガレイトが手に持っていたものを指さす。
長方形のシルバートレイが二枚。
箱のように重なっており、その中身を守っていた。
ガレイトはその蓋になっているほうをずらすと、中にあった肉をアルブレヒトに見せた。
「それが先日、貴様が狩った
「はい」
「話に聞く限りだと、大層巨大なイノシシだったそうだな」
「左様でございます。……小屋一軒ほどの大きさはありました」
「そんなに……ならもう、試食はしたのか?」
「いえ、それがまだ……」
「ほう?」
「他の肉はすべて、城下町の肉屋に売りました」
「ああ、そうだったのか……」
「陛下……?」
「まあよい。とはいえ、あそこでおまえが儂の依頼を肩代わりしてくれなかったら、どうなっていたことか。ひとまずは礼を言わせてくれ」
「いえいえ、そんな……! 王であればあのようなイノシシに遅れなど……」
「ガッハッハ! そう買いかぶるな、ガレイト! 全盛期の儂ならまだしも、今の儂では、あの魔物に太刀打ちできぬさ!」
「そ、そこまでご存じでしたか……」
「ああ、言ったであろう。ギルドの頭……ホアンのやつとは友人だと」
「……なら、ここで私と会ったのは偶然ではなかったのですね……?」
「ふむ、そのような昔の事は忘れたな」
「そ、そうですか……」
「それよりも。今日はガレイトをよろしく頼むぞ、ブリギット殿」
「陛下……」
「え? あ! はい! おはようございます!」
「ぶ、ブリギットさん……陛下は俺の事を……」
「あ、すみません! 今日はきちんと、ガレイトさんを制御したいと思います!」
「ブリギットさん……」
「ガッハッハ! どうやらブリギット殿も苦労していると見えるな!」
◇
「──じ、じゃあ、まずは下ごしらえに取り掛かりましょう……か?」
ガレイトとブリギットは場所をすこし移動し、コンロのある場所までやって来ていた。
ブリギットが早速、調理を開始しようとして、後ろを振り返る。
そこにはマンダリンとオレンジが、興味深そうにその作業風景を覗いていた。
「あ、あのぅ……」
ブリギットが二人に、遠慮がちに声をかける。
しかし二人からは返事がない。
「あの……!」
ブリギットが、さきほどよりも大きめの声をあげた。
「んあ? オイラたちのことか……?」
「あの、なにか……?」
「あー……いやあ、なんつーか、興味があってだな」
「興味……ですか?」
「んだ。オイラたち、今日が楽しみ過ぎて昨日から一睡もしてなくてな。あの騎士様がどんな風に料理が作るのか、楽しみで仕方ねんだ」
「なるほ……あれ、でも、さっきまで寝てたような……?」
「そだか?」
「はい。あっちの机に突っ伏して……」
「ま、細かいことは言いっこなしだ」
「は、はぁ……」
「それよりも、何を作るんだ? イノシシ料理ってのはわかんだが……もしかして、ステーキか? そのまま焼くだか?」
「えっと……? ……どうしましょう、ガレイトさん?」
ブリギットが小声で、ガレイトに話しかける。
「そ、そうですね……できれば作る前にあまり内容は言いたくはなかったのですが……」
ちらり。
ガレイトとブリギットが二人の顔を見る。
二人はボサボサの髪で、口の端に涎の跡をつけながら、爛々とした目でガレイトたちを見ていた。
「このまま大人しく席についてくれる感じは……ないですよね」
「ですね……」
こほん。
ガレイトがわざとらしく咳ばらいをすると、ふたりは改めて、ガレイトに注目した。
「俺たちが作る料理……それは、ソーセージです」
「はー……ソーセージ。なるほどなぁ。たしかにヴィルヘルムぽい選択だ」
「てことは、今から腸詰め作業だか?」
「ええ」
ガレイトがうなずくと、オレンジはコンロ横の木製の調理台。
シルバートレイの上に置かれている材料を見た。
「てことは、その透明なのが……腸だな。んだけど……」
オレンジがそこまで言って、首を傾げる。
「……の割に、ひき肉は見えないだな。あるのは全部かたまり肉だけど……もしかして、ここでひき肉にするだか?」
「オレンジさん、詳しいですね……」
「うん? ああ、まあな。父ちゃんが飯作れねから、普段はオイラが料理当番やってんだ。これくらいならわかるだよ」
「ああ、なるほど。……ちなみに、店売りしているようなミンチ肉にはしないつもりです」
「あれそうだか? でも、ソーセージにするって……」
「はい。ですので、今回俺たちが作るのは、あらびきのソーセージです」
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