第112話 見習い料理人と英雄の孫
夕暮れ時。
レストラン、グロース・アルティヒの入り口前。
そこに黒いコートを着た、赤髪の少年がいた。
年の頃は十六から十八歳ほど。
身長は一七〇センチほどで、すこし痩せ気味。
髪はくせ毛のようなウェーブがかかっている。
少年はしきりに胸ポケットから懐中時計を取り出しては、辺りを見回していた。
そこへ──
「……待たせたな」
コフー……コフー……。
息苦しそうに息をする、麻袋をかぶったガレイトが現れた。
ざわざわ。
広場の人間の視線が、一斉にその二人に集まる。
「いえ、こちらもさきほど着いたところですよ……お爺さ……ま……?」
少年はガレイトを見上げるなり、その場で固まってしまった。
「久しぶりだな。アクレイド」
ガレイトは自身がアクレイドと呼ぶ、赤髪の少年に声をかける。
アクレイドはそれには答えず、ただじっとガレイトの顔を見ていたかと思うと──
「だ……誰だ!? 貴様は……!!」
即座に後方へ飛び退いて、ガレイトから距離を取った。
そしてすぐさま腰に手を持っていくが──
「くそ……! 剣が……!」
「……ふむ、なにやらわからんが、その跳躍力……日々、鍛錬は怠っておるんようだな、アクレイド」
「……き、貴様、卑怯だぞ、このような町中でボクを狙うとは……!」
アクレイドはそう言うと、ガレイトを睨みつけた。
「おい、落ち着けアクレイド。……エルロンド殿から、なにも聞かされていないのか?」
「貴様のような変態が来訪するなど知らされていない!」
「変態って……」
「そ、それに、お爺様がなんだと言うんだ! 関係ないだろう!」
「いや、関係はあるんだが……」
「と、とにかく、名を名乗れ! 貴様を見逃すのも捕縛するのも、その後だ!」
「ガレイトだ。ガレイト・ヴィントナーズ」
「う、嘘をつくな! あのような方が、貴様のような変態なわけがなかろう!」
「……そんなにダメなのか? この変装……?」
ガレイトは麻袋をわしゃわしゃと撫でて呟く。
「よかろう……ガレイト殿の名を騙る卑怯者には、剣などは不要。我が徒手空拳にて葬り去ってくれる……!」
アクレイドはコートを脱ぎ捨てると、シャツ一枚になり、こぶしを固めた。
「おいおい、やめろ、アクレイド……これ以上、騒ぎを大きくするんじゃない」
「どの口で言っているんだ! それに、ボクの名を気安く呼ぶんじゃない……! 覚悟──」
「ガレイトさん、何をやっているんですか。こんなところで」
「い、イルザード……隊長殿?」
どこからともなく、突然ひょっこりと現れるイルザード。
その登場に脱力し、目を丸くして驚くアクレイド。
「い、いつ、ニーベルンブルクへお戻りに……?」
「うん? ……ああ、アクレイド……殿か。一昨日ですよ」
「そ、そうなのですね。……しかし、訓練所でも先日の会合でも、お見掛けしていなかったような……」
「まぁ、便所掃除をしていましたから」
「べ……お手洗い清掃!?」
「わざわざ言い直すのだな」
話を聞いていたガレイトが冷静にツッコミを入れる。
「ええ、それも勅令での便所掃除でしたので」
「王直々に命じられたお手洗い清掃!?」
アクレイドは広場に響き渡るほどの大声を発すると、ひとり俯き、顎に手をあてた。
「そんなバカな……いやいや、よく考えろアクレイド。相手はあのイルザード隊長殿だ。騎士たるもの、物事の裏の裏、その真意まで読まなければ……この場合、勅令であるのは本当の事だとして、問題は〝便所〟という言葉を使った事の意図……隠語である可能性は十分高いが、それが何を示しているのかは──」
「……相変わらずのようだな、アクレイドは」
ひとりブツブツと呟くアクレイドを尻目に、ガレイトが口を開く。
「バカ真面目なボンボンぷりは相変わらずですけどね」
「……それで、今日のぶんの便所掃除は終えたのか?」
「ええ、そりゃあもう。今頃、必要以上にピッカピカですよ、王城の便所は」
「は? どういうことだ?」
「……明日、また怒られると思います。王に」
「何をやったんだ、おまえは……」
ガレイトが腰に手をあて、ため息を吐く。
「それよりも、いきなりアクレイドと打ち解けられているじゃないですか。……よかったですね、ガレイトさん」
「おまえには、これが打ち解けているように見えるのか?」
「見えませんが?」
ゴツン。
ガレイトのこぶしがイルザードの脳天に直撃する。
イルザードは涙目になりながら、ガレイトを睨みつけた。
「……ていうか、その麻袋はやめたほうがいいんじゃないですか?」
「ああ、じつは俺もやめようと思っていたところ……なんだが……」
「どうかしたんですか?」
「他に代案がなくてな」
「いや、たとえば顔を隠すだけでしたら……まぁ、いいです」
「なんなんだ」
「ところでブリギット殿が見当たりませんが……ここにはおられないのですか?」
「ああ、ブリギットさんなら──」
ガレイトはそう言うと、建物の陰になっている部分を指さした。
「あそこだ」
「ああ、あんなところに……」
ブリギットはそこで隠れるようにして、ガレイトたちの様子を窺っていた。
「なぜか、あまり連れだって歩きたくないと言われてな。少し困っているんだ」
「……反抗期なのでしょう」
「反ッ!? ……抗期って、俺に反抗しているのか?」
「まぁ……そうでしょうね。おそらく。十中八九」
「お、俺に……反抗? 嬉しいような、寂しいような……しかし、それはそれでブリギットさんが成長したという見方も……だが、俺を……なんで俺?」
ブツブツと呟くガレイトと、まだ考え込んでいるアクレイド。
イルザードは二人を見ると、つまらなさそうに眉をひそめた。
「ちょ、ちょっとイルザード殿、歩くのはやいでござ……」
イルザードの登場からすこし遅れて、サキガケとカミールが姿を現す。
サキガケはガレイトとアクレイド、そしてブリギットを見て、口を開いた。
「……なんでござる? この状況?」
「さあ?」
◇
レストラン、グロース・アルティヒ。
その店内は昨日と同じく盛況で、空席がひとつもない。
ガレイトたちは六人がけのテーブル席に座り、料理の登場を待っていた。
じぃ……。
そんな中、アクレイドがガレイトの顔を無言のまま見つめる。
ガレイトは視線を逸らしたり、水を飲んだりしていたが──
「……ひ、久しぶりだな、アクレイド」
やがて、おもむろにアクレイドに声をかけた。
「はい。お久しぶりです、ガレイト・ヴィントナーズ
アクレイドは一切ガレイトから視線を逸らさずに答えた。
その声色は淡々としており、感情は読み取れない。
「あー……元気か?」
「おかげさまで」
「訓練はどうだ? きつくはないか?」
「はい」
「部下たちはきちんとしているか?」
「はい」
「飯は……」
「はい」
「……最近、どんな感じだ?」
「どう、とは?」
「元気かなと」
「それはさきほどお答え致しました」
「お、おう……なんか、わるかった……」
「いえ」
アクレイドの最低限の受け答えに、ガレイトが固まってしまう。
その場にいた他の四人も、その空気を察したのか、同様に押し黙ってしまう。
「えーっと……そういえば、アクアから聞いたぞ。俺の料理の試食係をやってくれるんだってな」
「はい」
「やはりか。……てっきり、アクアがまた嘘でもついているのかと思っていたが、引き受けてくれたんだな」
「どうしても、と言われましたので」
「そ、そうか……それでも嬉しいよ。ちなみに、料理だが、あの頃と比べて多少はマシになっているから、それなりに期待してくれていい」
「はい」
「……あー……それとー……」
「それよりも、お爺様は……?」
「ああ、エルロンド殿ならなにか用事があると言っていたな」
「用事……ですか?」
「本当に何も聞いていないのか?」
「はい」
「いや、変な訊き方をしてしまったな。……とにかく、心配する必要はない」
「はぁ……」
「俺も詳しくは知らんが、そこまで大事な用ではないらしい」
「そうですか……」
「あ! いや! どうだろうな。アクレイドとの飯をキャンセルするくらいだから、それなりに大事な用事だったのかもしれん!」
「……気を遣っていただかなくても大丈夫ですよ」
「そ、そうか……」
「それで、ガレイト・ヴィントナーズ元団長殿たちがなぜ?」
「ああ、エルロンド殿がキャンセルしようとしたついでだ。たまたまそこに居合わせていてな……」
「なるほど」
「……いまの説明で理解できたのか?」
「大体は」
「そういえば、すんなりとこの人数でも予約が取れたが……エルロンド殿とアクレイドの他にも、誰か来る予定はあったのか?」
「いえ、僕とお爺様の二人だけです」
「そ、そうか」
再び、ガレイトたちのテーブルだけが沈黙に包まれる。
「あ、あの、がれいと殿?」
サキガケが手をあげてガレイトの顔を見る。
「こちらの方が、えるろんど殿のお孫さんの……?」
「ああ、はい。アクレイ──」
「アクレイド殿」
ガレイトの言葉を遮るようにして、イルザードが発言する。
「いい加減、切り替えたらどうです?」
「イルザード隊長殿……? 切り替えろとは?」
「大好きなガレイトさんが突然、料理人になるって言ってムカつくのはわかります」
「なっ!?」
「ですが、いつまでもそんな態度を取っているのは、さすがに幼すぎ──」
「だ、だれが大好きですか! だれが!」
アクレイドは顔を真っ赤にして、大声をあげながら立ち上がった。
店内のウエイターや客が、一斉にアクレイドを注視する。
アクレイドはハッなって我に返ると──
「す、すみません……」
と謝罪し、取り繕うように、静かに着席した。
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