第111話 見習い料理人は教え下手


「教えるのが……下手……?」


「はい。……それか、もしくは僕の正体に気が付いていて、適当に教えていたかですが……」


「いや、俺はおまえに教えを乞われた時、俺なりにわかりやすく、懇切丁寧に教えたつもりなんだが……」


「でしょうね。あなたがそこまで器用な人間ではないのはわかっています」


「おまえ……」


「それに、必死に教えようとする熱意は伝わってました。だからこそ、あなたは紛うことなく教え下手・・・・なんです。自覚してください。そして、いま僕が話しているので、静かにしておいてください」


「ぐぬ……なにも言い返せん……!」


「でも、それってどういう……?」


「……そうですね。たとえば……そう。包丁の持ち方」


「包丁の……?」


「ブリギットさん、僕に包丁の持ち方と、その使い方を教えてくれませんか? 簡単でもいいですので……」


「え? えっと……簡単に……」



 ブリギットは顎を指で押しながら、上を見た。



「アクアさんの利き手で、包丁の柄を動かないように、固定するように握って、持って……」


「続けて……」



 アクアがブリギットに話を続けるよう促す。



「……切る時は、空いたほうの手で、指を切らないよう、猫さんの手みたいに曲げて……できるだけ包丁は高く上げないよう、一定のリズムで切っていく……でしょうか? お肉を切る時は……」


「ああ、すみません、それで十分です。ありがとうございました、ブリギットさん」


「は、はぁ……」


「……では、ガレイトさん」


「なんだ」


「剣の持ち方、そして敵の斬り方について教えてください」


「うん? ああ、いいぞ……」



 ガレイトはそう言うと、持っていた皿を食卓の上へ置き、包丁を取り出した。



「これは包丁だが……剣だと見立てると、こうして握り……」



 ギュウ。

 ガレイトが順手で包丁を強く握る。



「そして、こうやって振る……!」



 そう言って、ガレイトは素早く縦と横に包丁を振った。



「敵がこう来たらこう返し……」



 ス──

 ガレイトは流れるような足さばきで、右足を引く。



「空いたところを素早く切りつける……!」



 シュバッ!

 一連の、流れるように洗練された動きを見せるガレイト。

 刃を振るたびに風切音が鳴り、その足運びや視線の移動もよどみがない。

 しかし──



「……わかりますか? これ?」


「ま、まったく……」



 アクアに尋ねられたブリギットが首を横に振る。



「わ、わからないんですか……!?」


「わかりませんよ……」



 アクアがため息をついて、首を横に振る。



「なぜ……!」


「なぜって……抽象的過ぎるというか、言葉足らずというか、『こう来たらこう』って言われても、わかるはずがないというか……」


「えぇ……」


「そもそもの話、普通の人間は、刃物を……すべてのものを、縦横同時に振れません」


「お、俺だって、同時には振っていないぞ!」


「余韻も間もないから、同時に振っているのと一緒です。その上、幾重にも目線や足の向き、体捌きでフェイントを入れていますし、理解できるはずないんですよ」


「だが、おまえは理解しているじゃないか」


「あのですね、その動きを理解するのに、俺がどれほど苦労したかわかってるんですか?」


「い、いや……」


「しかも、これだけじゃないですしね、あなたの太刀筋は……」


「当たり前だ。敵が変われば、その対応も変わるに決まっているだろう」


「……と、まぁこんな感じです。ブリギットさん、理解出来ましたでしょうか」


「な、なるほど……大体わかりました……! ガレイトさんの問題・・……」



 ブリギットが唇を噛んでうなずく。



「も、問題……ですか?」


「ええ。……ガレイトさん、あなたの教え方は、独りよがりなんです」


「ひ、独りよがり……」


「はい。動きがあなたの頭の中で勝手に完結していて、それをアウトプット出来ていない。アウトプットしようとしても、感覚でそれらを理解し、行っている為、理論立てて説明することができない」


「だが……」


「僕がこう言えば、あなたは動きを見て学べと言うかもしれませんが……」


「あ、ああ……」


「そもそも、あなたの動きを完璧に真似できる人間なんていません」


「な……!」


「……あまりこういう言葉は使いたくないですが、天才なんです。あなたは」


「お、おう……ありが──」


「いえ、褒めてませんよ?」


「な、なんだ……」


「天才ゆえに、そこで終わっているのです。感覚で理解しているから、もう体に染みついてしまっているから、べつに頭で覚えなくてもいい。……ですが、教わるほうからすれば、たまったもんじゃないですよ」


「こうしてこうしてこう……じゃ、わからないですよね……」


「ブリギットさんの言うとおり。……俺なんて、逐一ガレイトさんの動きを止めて、その時の視線、肩の上がり具合、剣の握り、強弱、足の位置、膝の曲げ具合、体重を移動するタイミング……などなど、隅々まで調べて、メモしていましたから」


「た、大変……だったんですね……」



 ブリギットが慰めるように言う。



「ええ、そりゃもう……」


「な、なるほど……だから、あまり俺に教わりに来る者がいなかったのか……!」


「ええ、その分、俺には嬉々として教えてくれましたが……」


「まぁ、嬉しかったからな……」


「話を戻しますが……いままで、あなたは戦いの天才だったからよかったんです」


「戦いの……」


「けど、今はどうですか? 少なくともガレイトさん、あなたの料理の腕は、剣ほどではない。なら、感覚だけでやるのではなく、きちんとレシピとかブリギットさんの教えどおりに、理論立ててやりましょう。という話です」


「理論立てて……」


「要するに──才能がないくせに余計なことすんな! 以上! 解散!」



 アクアはそう言うと、自身を縛っていた縄を解き、足元に捨てた。



「あ、あれ、縄が……」



 ブリギットが落ちている縄を拾う。

 縄はすこし湿っており、一か所だけ鋭い刃物で断ち切られたような跡があった。



「僕は魔法も使えるので、この程度の縄は拘束されたうちにも入りません」


「……もう行くのか?」



 ガレイトがアクアに尋ねる。

 アクアは一瞬だけガレイトの顔を見ると、踵を返した。



「ええ。さすがに時間ですから……では、僕はこれで──」


「助かったよ。ありがとうな、アクア」


「ふん。じゃあな、ガレイト」



 アクアはそう言うと、そのまま霧となってその場から消えた。



「……アクアさん、口ではああ言ってましたけど、付き合ってくれてたんですね」


「素直じゃないんですよ、あいつは」


「でも、それはそうと……私のやるべきことが分かった気がします……!」



 ふんす。

 ブリギットが鼻息を荒くしながら、両手を強く握る。



「ブリギットさん……?」


「ガレイトさん」


「は、はい……!」


「いままではあまり強く言えませんでしたが、これからは一切、余計なことはさせないつもりですので……!」


「お、お手柔らかに……お願いいたします……」



 ガレイトは、その勢いにすこしたじろぎながら答えた。



「あ、でも、その前に……」



 ブリギットは食卓から窓の外──

 すでに陽が暮れかかっている庭を見た。



「そろそろ準備をして、出かけなくちゃ、ですね」


「はい。行きましょうか、グロース・アルティヒへ……」



 ブリギットがガレイトに微笑みかけると、彼もまた優しく微笑んで返した。

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